とても面白く、また現代的な意義の大きい本である。ぜひ読むことを薦めたい。
しかし、おいそれと内容を要約して紹介することは多少はばかられる本である。なにせ、扱っている内容が「無知」-- 我々は、自分が思っているほどにはものごとを知っていないこと--を示す本なのだから。
- 作者: スティーブンスローマン,フィリップファーンバック
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2018/04/15
- メディア: Kindle版
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とは言え、私なりに本書の中心的なメッセージを要約してみようと思う。
本書の冒頭では、ファスナー、水洗トイレやミシンなど、身の周りにあるありふれた物の機構を説明してくださいと言われると、自分自身が思うよりも自分は物事を理解していないことが示される、という心理学実験が紹介されている。これを「説明深度の錯覚」と呼ぶのだそうだ。
本書前半部分では、このような錯覚が起こる認知科学的なメカニズムの説明が挙げられている。大きな理由としては「人間は、世界や環境そのもの、あるいは書籍、インターネットや他者の知識」と協調しながら、分業してものごとを考えるからである。著者の言葉では、「知識のコミュニティ」の中で人間が生きているからなのだ。そして、必要に応じて参照可能な知識は、まるで自分が持っている知識であるかのように感じてしまう。このような錯覚は、時として大事故、非合理な意思決定や政治的な分断を引き起こすことがある一方で、個人では到底理解不能な複雑な世界で人々が暮らしていくための、「知識のコミュニティ」の中で生きていくための不可欠の特性なのであるという。
本書の後半部分の5つの章では、個人の「説明深度の錯覚」と集合的な「知識のコミュニティ」の存在を前提として、科学コミュニケーション、政治的な政策議論、教育などの分野でどういった方法を取るべきかという著者らの提言が述べられている。個人の能力と知識のみを深める教育ではなく、「知識のコミュニティ」の中で他者と協調する方法を学ぶべきだという主張には頷けた。
帯に多分野の著名人からの推薦の言葉が掲載されていることからも分かる通り、本書が扱う内容は多方面に渡っている。(やや散漫に感じるほどである)
その中でも目を引いた (そして他の人のレビューであまり取り上げられていない) 話題を挙げておくと、認知科学と人工知能研究の間にある関連性、古き良き人工知能および認知科学が想定してきた「知能」と、生物や人間の実在の「知能」のあり方の差異を説明している部分だろう。
伝統的な人工知能や認知科学の想定とは異なり、人間や昆虫は世界のモデルを構築し、膨大な計算をしてから行動するわけではない。「世界についての事実(ボールや地面の光学的特性)を活用して、行動を単純化するのである。」本書の言葉を借りるなら、「世界が私たちのコンピュータ」なのであり、これが生物が「フレーム問題」に陥らない理由である。
そして、人工知能の進歩によって「スーパーインテリジェンス」 (本書の訳語では「超絶知能」) が発生するという主張に対し、「コミュニティとしての知識と知能」の見方から、著者たちは安直なシンギュラリティ論には与していない。
コンピュータに志向性を共有する能力がなく、またそれを獲得しつつある兆候もないことから、人類の利益に反して自らの目標を追求するような邪悪な超絶知能が誕生することはあまり懸念されていない。地平線上に超絶知能の姿はまったく見えない。関心や目標を共有するという人間の最も基本的な能力を持たない機械には、人間を理解することはできない。だから人間の心を読み、出し抜くこともできない。(p.164)
しかし、著者らは別の形での「超絶知能」がありうると述べている。それは、史上前例のない規模で人々の協業を可能にするテクノロジー的な基盤であり、地球規模に拡大した「知識のコミュニティ」なのだ。
ここまで本書を紹介してきたが、こうやって「分かったつもり」になって説明をしていること自体が、実は本書の主張する通り「知識の錯覚」に陥っている証拠なのかもしれない。私たちの自身の考え方自体を揺さぶる優れた本であるため、ぜひ手に取って (良ければこのページのリンクから購入して(笑))、直接著者の言葉に触れていただきたい。