Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:シャルル・フーリエとレモネードの残り香 (ジョン・マイケル・グリア)

ジョン・マイケル・グリアによる2020年12月2日の記事 "A Faint Whiff of Lemonade" の翻訳です。

A Faint Whiff of Lemonade

このブログ、エコソフィアの先週の投稿では、グレート・リセットについて議論した。世界経済フォーラムおよびその他エリート演説者集団により現在総力を挙げて宣伝されている、新規でイノベーティブであるとされるグローバル経済改革の提案である。そのプログラムについて最も強い印象を受けた点は、前回記した通り、そのすべてが驚くほどに時代遅れなものであったことだ: すなわち、初期のソビエト連邦の焼き直しの、私有財産の完全撤廃、侵入的な監視国家、巨大かつ非人間的な官僚機構に対する全面的依存、労働者の楽園ではあらゆる人々が幸福であるという追従的なプロパガンダ。現代史を知る人にとっては、懐しい思い出のようでさえあった。

けれども、ブログのコメント欄で、グレート・リセット、および最近のポップカルチャーエンターテインメントとして流通している作品の中にある多数の類似物についての議論が始まったとき、世界経済フォーラムスターリニズム2.0への熱意の下に、はるかに奇妙で興味深いものが潜んでいることに私は気付いたのだ。グレート・リセットの根底をなす中核的なアイデア、および、言うまでもなく、今日の企業貴族により販売されているあらゆる種類の無知なトゥモローランド的ファンタジーの排出物においては、ソビエトイデオロギーからの借用がまったく存在しないのである。また、その他の多数のアイデアも、スターリンの下僕たちがそれを手にしたときには、既に中古品だった。それらのアイデアが最初に新品状態で発表されたのは、更にその1世紀前、もっと奇妙な所からだったのである。

エスシャルル・フーリエについて語る時が来た。

f:id:liaoyuan:20200905184352j:plain
シャルル・フーリエ

フーリエこそが、近代社会主義を発明した男である。現在、そのことを知るためにはかなり掘り下げなければならないし、フーリエの思想の完全な説明を見つけるためには更なる労力が求められるだろう。その理由については、後述する。フーリエは、1772年にフランスのブザンソンで地元の商家の息子として生まれた。父親が亡くなった後、彼は遺産をかなりの短期間で浪費してしまい、しばらくの間仕事を転々とした後、行商の職にありついた。彼は生涯未婚であった - 一生にわたって、金銭の支払いのないセックスパートナーがいなかった [要は、素人童貞だった] という噂があった - そして、余暇には完璧な社会のアイデアを考えることに時間を費した。彼の最初の本、『四運動の理論』は1808年に出版されたが、ごくわずかな部数しか売れなかった。

フーリエにとっては幸運なことに、奇矯な金持ちにより書籍が購入され、その金持ちはフーリエパトロンとなった。それによって、フーリエは執筆と自身のアイデアを世間に売り込むために必要な収入を得られた。1815年にナポレオン戦争終結し、続いてヨーロッパに保守主義が復活すると、より良い新社会が実現できると信じたい多数の人々に対して、彼のアイデアは強い魅力を放ったのだ。フーリエは、未来社会の基本単位はファランステールとなると提唱した - 現代的な言い方では農工業コミューンであり、そこではコミューンの人々が使用するあらゆる生産手段とあらゆる財産が共有される - そして、数十ものファランステールが正式に発足した。特にアメリカ合衆国には多数存在したが、そこに限られるわけではない。

彼らに何が起こったのかを話す前に、フーリエのアイデアの世界に飛び込むことが必要となる。フーリエによれば、無数の世界が「星間アロマ」から凝縮され、それら世界とその住人は、野蛮[Savagery]、未開[Barbarism]、文明[Civilization] (すべての中で最悪)、そして調和[Harmony]という予め定められた一連のステージを経るとされ、文明状態の惑星の知的存在がフーリエの哲学を受け入れると即座に調和の段階に達するとされる。文明と調和の違いは、調和の状態では、経済活動は競争ではなく協力的であり、私有財産は共有に取って代わられ、人々は貧困や欲望からではなく、情熱的な魅力により働くよう動機付けられているということだ。フーリエによれば、この変化により労働効率が4倍に向上するため、調和状態にある社会では、それぞれの市民のごくささやかな労働だけで、あらゆる人々に途方もない豊かさを提供できるのだという。

f:id:liaoyuan:20210110143801j:plain
ファランステールはこのようになるはずであった

未来のファランステールでの生活に関するフーリエの説明を読めば、彼の作品がなぜ大きな熱狂を呼び起こしたのかとても簡単に理解できるだろう。フーリエの主張によると、人間には12個の基本的感情が存在し、それが組み合わされて810個の性格タイプを形成する。それぞれの性格タイプを備えた人は、何らかの生産的な仕事に情熱的に惹きつけられる。そして、性格タイプの分布はしかじかの通りであるので、十分な規模の集団には必要なタスクをすべてこなすだけの人が存在するのである。調和状態下の労働効率はきわめて高いため、彼が想像した未来の人々は、1日のうちでごく短い時間しか働いておらず、また、各々の人はその人自身の性格タイプによって定められる仕事に情熱的に惹かれるのであるから、不満や不幸が存在する余地はない。残りの時間は、食事 - フーリエの用語では「ガストロソフィ」に当てられる。それは純粋芸術の一種となり - また、乱交セックスになるのだという。

それだけでは不十分だとでも言わんばかりに、フーリエは、ひとたび調和状態が実現すれば、世界自体も変容すると主張した。宇宙のクエン酸の雲が星間アロマから凝縮されて降下し、海がレモネードへと変わる。4つの新たな月が太陽系のどこかの隠れた場所から現れて街灯を不要にする。「北方コロナ」が北極点を覆い熱を放射してアラスカ、シベリアその他の不毛の大地を実り豊かな農業地帯へと変貌させる。一方、類似の「南方コロナ」が南極大陸に対して同じことを行う。それから、ライオンは平和な、菜食主義のアンチライオンとなって人間が乗りこなせるようになり、クジラはアンチクジラとなりレモネードの海で喜んで船を引くようになる。人間は144年の寿命を得て、そのうち120年間は性的にアクティブなままで過ごせるのだ。

このすべてが、精神錯乱的に見えるかもしれないが、西洋思想改革の立役者としてのフーリエの役割を示している。彼以前の時代には、千年王国 - 我々が住む不満足な世界は、すぐにでも望み通りの世界で置き換えられるという信念 - は、宗教的観念であり、奇跡的な事象で満たされ、西方教会を中心として周囲をキリストの再臨にまつわる信仰に囲まれていた。フーリエは、現代の世俗的千年王国の偉大なる伝統の創設者であり、彼の時代以降の人々はあからさまな宗教的要素の恩恵を抜きにして完璧な世界が実現しうると主張できるようになった。時代の先駆者であることから十分予想できる通り、フーリエは古い時代の伝統に囚われていた; アンチライオンは、来たるべき平和な王国のキリスト教的イメージを想起させる。けれども、エマヌエル・スウェーデンボリその他の異端思想家を見てみれば、乱交セックスに関して何らかの類似点を見つけられるかもしれない。

つまるところ、フーリエは、未だ多くの人々が、より良い世界という約束を望んでいたにもかかわらず主流派宗教からもたらされる理想世界のイメージをもはや信じられなくなった時代に、世俗的な麻薬としての再臨、それに加えてセックスとレモネードを提供したのである。来たるべき輝かしい未来についての彼のビジョンは、それゆえ、多数の人々を魅了し、調和の未来を構築する仕事へと身を投じさせた。彼らは、ファランステールを築くための資金を集めてフーリエの理論をテストしたのであるが、そのテストには確実に合格できると確信していた。情熱的な魅力? 確かに彼らはそのような大きな情熱を持ち合わせていた。そして、そのような莫大な努力を注いだ結果は…

はい。明日、海辺へ行かれる際には、非常に申し訳ないのですが、ご自身でレモネードをご持参くださいと申し上げなければなりません。

実際問題として、フーリエの理論は完全なる失敗であり、あらゆるファランステールは創設者がプロジェクトのために集めた資金を使い果たすと、即座に崩壊した。問題は、当然、フーリエ義経済は機能しないということだった。労働生産性の4倍の向上は見られなかった - まったく逆に、人々が仕事に情熱的な魅力を感じる間だけ働く場合には、賃金のために働き、雇用の継続が仕事の達成に依存していることを理解している人々よりも、はるかに効率が悪化する傾向があった。

f:id:liaoyuan:20210110143853j:plain
ルイーザ・メイ・オルコット

また、フーリエが主張した通りに、人間の性格タイプが異なる分布をしているために、あらゆる仕事について誰かしらが魅力を感じるというわけではなかった。まったく逆に、人々は面倒な仕事よりも簡単な仕事に情熱的な魅力を感じるため、面倒な仕事は放置された。(あるいは、それらの仕事は女性によって行なわれるのであった。フルーツランズ *1 - その地の住人の間では、若きルイーザ・メイ・オルコット *2 (父親のブロンソン・アルコットが創設メンバーであった) と同程度に名の知られたファランステール - が崩壊した後、彼女が苦々しく思い返している通り、男性たちが集まって、詩作その他のさほど労苦のない仕事を情熱的に果たしている一方で、妻たちは、これまで通りに時間通り夕食の準備や洗濯をすることを期待されたままであったという。)

それがフーリエ主義の終焉であった。19世紀後半にもフーリエのアイデアを再構築する試みが存在したものの、それらの試みは最初の流行よりも先に進むことはなく、元々の計画に参加した人々は、その失敗が無視できなくなるにつれて可能な限りの距離を取った。フーリエの思想は、1960年代に抜粋版アンソロジーが出版され、前衛的な知識人集団のなかで小さいながらも影響力のあるファンに発見されるまで、ほぼ完璧に忘れ去られていた。 (フーリエは、LSDをキメている分には完璧に筋の通った思想家であるため、そのことは私にとってはまったく驚きではない。) けれども、基本的には、フーリエの再評価は60年代以降には続かなかった; 今日では、未だ現存するフーリエ主義の擁護者は、ピーター・ランボーン・ウィルソンであろう。フーリエに関する彼のエッセイでは、レモネードの海に関するフーリエの話をあまりにも多くの人がバカにしていることに不満を述べている。それは、もちろん、もっともなことであるのだが、しかしウィルソンが満足するようなものだというわけではあるまい。

それでも、フーリエ主義の終わりはまた、社会主義の始まりでもあった。社会主義の初期の年表を見てみたまえ - 社会主義者として分類可能なサン・シモンの後期著作、救貧法改正を通して真正の協同組合を設立しようとするロバート・オーウェンの初期の活動、1830年代のリカード社会主義の勃興、その後のマルクス主義の登場。フーリエ主義運動が発端となり、プルードンマルクスの時代以前にさえ産業社会に対して絶大なインパクトをもたらしたことが理解できるだろう。本当に現実的な意味において、フーリエ主義運動は社会主義の苗床であり、フーリエ以降のあらゆる社会主義の理論と実践の潮流が、フーリエの約束のうちで、あまりバカげていない部分を実現する方法を発見するための探求に動機付けられていたと言える。

その結果生じたムーブメントの一側面は、最近のこのブログのテーマであるアメリカの魔術史とは反対の方向へ向かった。19世紀後期から20世紀初頭は、アメリカのコミューンの黄金時代であった - 誇大広告ぎみの1960年代における実験的コミューンは、実は二番煎じであったのだ - そして、その期間全体を通して、オカルティズムとニューソートのアイデアキリスト教千年王国信仰と混ぜ合わせたアメリカのオルタナティブスピリチュアリティ界でコミューン事業は広がった。現状維持に代わる実行可能な小さな代替案を創造する試みは、1世紀以上にわたって社会主義活動の主要テーマの1つであったのだ。近年それが絶滅した唯一の理由は、いかなるムーブメントであれ、繰り返される失敗のために継続が困難であるからだ。アメリカにおけるコミューンの平均寿命は2年であり、コミューンを始めた人の大多数は投資をすべて失なった。

何度も失敗が繰り返される理由は、きわめてシンプルである。非常に狭い1種類の例外を除いては、これまで私が関与したコミューンプロジェクトのすべてで、また、私が観察したプロジェクトの多くで、暗黙のうちに、自分たちが現実的に生産しうるより多くの物とサービスを消費できると参加者が想定していたのである。これは特に、農村へ回帰して自身の食料すべてを栽培することを計画したコミューン集団に当てはまる - そのようなプロジェクトは、かなり短い時間のうちに、自給自足農業は、産業経済で通常の労働を続けるよりも "労多くして益少なし" であることを理解する - けれども、その原則はより一般的に適用される。理論的には、そのような特徴はコミューンを本当に魅力的に見せる。実際には、それは失敗を必然とする。

f:id:liaoyuan:20210110143936j:plain
これがお探しのものであるなら、あなたはラッキーだ

それでは、1種類の例外とは何だろう? 宗教的な修道院生活である。禁欲的に信仰に奉仕する人々、貧困、独身、従順の誓いを進んで受入れる人々の集団が存在すれば、コミューン生活を確立して、それを続けられる。それは、聖ベネディクト [5~6世紀頃。『西欧修道士の父』と称される] や弘法大師の時代から、シェーカー教徒のマザー・アン・リーの時代 [18世紀] とその後に至るまで、多くの異なる宗教により何度も証明されてきた。修道院の誰もが、通常の消費生活水準を維持することを期待していない。快適な生活をまったく望んでいない人々の集団だから、最低限の生活必需品だけしか得られずとも、なお祈りや瞑想に使う時間を十分に取ることが可能なのである。

それを好ましく思うのなら、読者諸君、あなたはラッキーだ。数世紀以内に、それは外部で未来の流行となるだろう。工業文明が終わりを迎えていくにつれて、修道院生活は、暗黒時代における文化管理人というおなじみの役割を引き受けることになる。それが気に入らないのであれば、クラブへようこそ。ブロンソン・アルコットらと同じような困難に陥ることなく、コミューンから得られる利点を得る方法がある。ファランステールが崩壊し炎上した際、フリーメイソン、オッドフェロー、グランジなどの友愛結社が爆発的人気を得た理由は、コミューンが提供できると主張した拡張コミュニティと相互扶助を、深刻な経済的欠陥なしに提供できたからである。

そして、大規模な解決策を模索する政治運動としての社会主義の進化があった。それは、冷戦により全体主義共産主義と企業資本主義の二択を迫られるまでは、極端に創造的で多様な運動であった。けれども、その運命は、ほぼ間違いなく、予め定められたものであった。なんとなれば、共産主義には、他の社会主義運動が持たないアドバンテージを持っていたからだ。共産主義は、フーリエが、そしてその後のほとんどの社会主義者たちが答えられず残されていた2つの大きな問題に対して、ついに実行可能な答えを見つけたのである。思い出してほしい。フーリエにとって、調和状態を実現し、皆を永遠にハッピーにするためには、労働に対する情熱的な魅力だけしか必要なかったのである。ひとたび、あらゆる人々がフーリエ主義の素晴しさを認識し、レモネードの海のほとりで月が上がるのを眺め、友好的なアンチ・ライオンと愛人たちの集団と寄り添いさえすれば… 見たまえ。必然的に、大量のファランステールが創設され、社会は文明状態から調和状態へと変貌するのである。

暴力、弾圧、強制労働 - フーリエにとって、そられすべては調和が必然的に乗り越えるはずの歴史段階の名残りでしかなく、フーリエの世界観に入る余地はなかった。フーリエの確固たるユートピアのビジョンの帰結としては、当然、フーリエの影響下にあった社会主義運動に、新しい社会経済体制を確立するための実効性ある計画が欠けていること、および、新たな社会が確立された際、社会主義理論が想定する望ましい行動を人々に取らせるための実効性ある手段が欠けていることが挙げられる。この2つが、19世紀全体を通して社会主義の理論家と実践家が解答を見つけ出そうとしていた大きな問題であった。- どのようにすれば、人々に輝かしい社会主義の未来を受入れさせられるのか? そして、次に、人々をそれに沿って行動させるためには?

限られた状況においては、とても有効な解答もいくつか存在することが分かった。ただし、その場合、フーリエから受け継いだ社会主義の目標、そのほとんどを放棄することになったけれども。社会民主主義は一つの解答であり、社会主義を官僚制国家で置き換えて、フーリエがそうあるべきと考えたことを立法により人々に強制するものである; それには問題があるけれども、社会民主主義は、ヨーロッパおよび世界中のいくつかの国で1世紀以上にわたって有効であり続けており、多くの人は制度を好んでいるようだ。民主サンディカリズムも別の答えである。それは、労働者所有企業と労働組合を通して賃金階級を組織化し、それを用いてフーリエが考えていたことと似た変化を起こすものである; それにも固有の問題はあるが、1世紀以上にわたって有効であり、今日でも多数の国において重要な力を持ち続けている。

既に述べた友愛結社も存在する; 今では時代遅れであり、特有の問題も存在する。けれども、当時は途方もなく効果的なシステムであったのだ。膨大な人々に保障と相互扶助を提供し、加えて政治的な影響力をも提供した。(その当時の一例として言及しておかなければならないのは、農民の友愛結社であるグランジ [今で言うところの農協組合] が、19世紀後期のアメリカにおける鉄道の独占支配を崩したことが挙げられるだろう。) 最後に、フェビアン社会主義も存在する。これはイギリスの社会主義者の一派であり、富める人々に対して、自身の富と地位を維持し続けるために最高の方法は、、賃金階級への「上からの社会主義」を施すことだという説得を試みた人々である。その答えにも、同様に、固有の問題がある。また - まぁ、これはすぐ後で述べよう。

f:id:liaoyuan:20210110144010p:plain
一つの方法

社会主義史へのウラジミール・レーニンヨシフ・スターリンによる偉大な貢献は、はるかに効率的な選択肢が存在すると証明したことにある。その選択肢とは、もちろん、巨大規模の残酷な組織的暴力である。もしも人々が輝かしい社会主義の未来に参加したくないと思うのなら、そいつらを射殺しよう; 人々がマルクス主義の理論が言う通りに行動しないのであれば、やつらを強制収容所に送り、死ぬまで強制労働させよう。ヘイ、問題解決だ! それらは実行可能な解答であった。良い解答ではなく、フーリエマルクスが考えていたような類いの解答ではない。けれども、他の社会主義者たちが考えたほとんどすべての答えとは異なり、それらは機能したのである - 少なくとも、失敗した多数の社会主義経済がソビエト連邦とその衛星国家を破綻状態に追い込むまでは、また、中国を支配する老いた冷酷な男たちが、静かに社会主義経済を放棄し国家資本主義と自由市場の不恰好な混合体で置き換えるまでは。(その政治体制が長期的にも生存できるのかどうか、歴史の審判は未だ継続中である。)

少なくとも現段階においては、グレート・リセットを取り巻くスターリニストのレトリックにもかかわらず、世界経済フォーラムとその御用学者たちが、内的に矛盾した理論を実現するために、大量虐殺と強制収容所を利用しようとしているという兆候は見いだせない。彼らは、フェビアン社会主義運動の知的相続人に属しており、自身の富、影響力、および現代の集合的世論における立場を活用して、彼らが考える大衆の希望に施しを与える一方、自分たち特権階級の権勢を維持するような社会変化を大衆に受け入れさせることができると信じた人々である。

それでも、グレート・リセットにまつわる議論が思い出させるのは、シャルル・フーリエの知的DNAがフェビアン社会主義者の中に、広く言って、オルタナティブな思想の中に強く残り続けているということである。可能な未来はどのようなものであるかを検討し、その中から最良のものを選択しようとするという方法ではなく、完璧な未来を夢想し、それが実現可能だという理由を考え出すことが効果的な戦略であると人々が信じる時にはいつでも、レモネードの海の残り香が感じられる [シャルル・フーリエの思想の影響下にある]。ついでに言えば、政治シーンのいかなるところの活動家であれ、過去から学ぶことは何もないと主張し、また、同じことを何度も何度も繰り返しながら異なる結果を望むのは狂気の沙汰などではないと主張するときには、19世紀社会主義を作り上げたかつてのフーリエ主義者たちの残響を聞くのはまったく難しいことではない。彼らは、かつてのフーリエ主義者と同じように、実現不可能な理論を実行するためのトリックを次々と作り出し、新たな月が登りアンチライオンが登場するのをずっと待ち望んでいるのだ。

四運動の理論〈上〉 (古典文庫)

四運動の理論〈上〉 (古典文庫)

四運動の理論〈下〉 (古典文庫)

四運動の理論〈下〉 (古典文庫)

*1:1840年代、マサチューセッツ州ハーバードに設立された農業コミューン

*2:若草物語』の作者である女流作家