Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:単一の未来のたそがれ (ジョン・マイケル・グリア)

ジョン・マイケル・グリアによる2019年7月31日の記事 "The Twilight of the Monofuture" の翻訳です。

The Twilight of the Monofuture

2週間前のこのブログの記事、進歩への信仰は、ある種の歴史的な記憶喪失にもとづいているという記事*1が、活発で大部分が思慮に富んだ反応を得たことを喜ばしく思う。オー、何件かの唾を飛ばすような汚い罵倒コメントを処理して削除したことは確かである。けれどもそれは、永続的な進歩という信念ベースの神話が今日の大衆文化において果たしている、重要だが未検証の役割についてハードな疑問を提示したとき常に起こることである。

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夢想…

進歩への信仰は、真に我らが時代の国教である。今日のほとんどの人々は、中世の農民が聖人や天使を信じていたのと同じくらい熱心に進歩の必然性を信じている。更には、最近の大多数の人々が進歩について話すとき、それは単に未来のテクノロジーが我々のものとは異なっており、やや複雑になることだけを意味するのではない。ノー、それよりもはるかに詳細である。[宗教学者] ジョセフ・キャンベルが、世界中のさまざまな神話を 単一神話 モノミス と呼ぶ1つのパターンへと落とし込んだように、我々の集合的イマジネーションは、非常に広い範囲にある人類のありうる未来に対して同じことをしており、未来を息苦しいまでに狭く厳密に定められたコンセンサスへ押し込めている。その未来は、 単一未来 モノフューチャーと呼ぶこともできるだろう。

親愛なる読者諸君、あなたたちはモノフューチャーを知っている。モノフューチャーは何十年にもわたってメディアに広まっており、繰り返し繰り返し、映画や小説やビデオゲームの終わりなきストリームの背景となり、現状の世界の欠陥を正当化するためにも繰り返し使用されている。モノフューチャーとは、我々が最終的に定期的な宇宙旅行、宇宙軌道上の生活圏、他の世界のコロニーを獲得した時代のことである - これらすべては私の世代が子供であったときに約束されたものであり、未だに実現していない。モノフューチャーには、核融合エネルギーや何らかの無限のクリーンエネルギー源があり、また同様に無限の原材料の供給もある。レプリケーターやロボット工場や何らかのギミックにより、誰もがあらゆる望みの商品を手に入れられる。もちろん、そこには空飛ぶ車もあり、ヒューマノイドロボット、超人的知能AIもある。そして、過去何十年もの間、工業諸国のイマジネーションの中に噴出していたその他あらゆる技術的な夢想も。モノフューチャーは測り知れない感情的なパワーを持っている。そのパワーを測定する方法は、そのような未来は訪れないとモノフューチャーの信者に指摘したとき、どれほど彼らが動揺するのかを見ることだ。

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…そして現実

おそらく、これを実際に確認する最も簡単な方法は、人類が他の惑星を植民地化することは決してできないと公言することである。もしそうしたとすれば、印象的なまでの反感を買うであろうと確信している。実のところ、人類は絶対に他の惑星を植民地化できないであろうと考える理由は膨大にある。凍結した、大気の無い、不毛な火星上に自給自足のコロニーを構築するという悪夢めいた経済学の問題から始まり、太陽系中心にある未防護の巨大熱核反応炉より放出される強烈な放射線から、脆弱な人間の身体組織を保護する磁気圏が、地球以外の太陽系内の居住可能な惑星には存在しないという冷酷な事実へと進み、有人宇宙飛行が富裕国における高価で一時的な道楽以外の何ものでもないと判明した、その他あらゆる理由にまで至る。

当然、これらすべてが問題ではないという反論も挙げられている。それらの反論を、モノフューチャーの一部ではない事象に対して検証してみると楽しいかもしれない。たとえば - このブログで過去に述べたことを再度言えば - 火星のコロニー化について述べられた主張はすべて、南極大陸中央のコロニー化についても強く主張できる。火星と比較すれば、南極大陸は実質的に熱帯のパラダイスである: その気候は極めて温暖であり、水と酸素ははるかに獲得が容易であり、太陽からの危険な放射線を遮る惑星磁場が存在し、鉱物資源は少なくとも豊富であり、その土壌は有害な過塩素酸塩で汚染されておらず、そこに行くには既存のテクノロジーでも容易であり、事故が起きた際にも1日か2日のうちに救助可能である - 火星の場合は、地球と火星が偶然適切な軌道上の位置にあったとしても9ヶ月も必要であり、それほど幸運でなければ期間は倍にも伸びるかもしれない。

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我々が約束されていたもの…

同様に、エベレスト山の頂上、マリアナ海溝の底、水もなく風に晒された中央アジアタクラマカン砂漠、あるいは地球上の他のいかなる過酷な環境ですら、火星コロニーを作ることよりも理にかなっていると説得力ある議論ができるだろう。それらの場所はすべて、火星よりも人間の居住に適している。そして、火星は地球以外の太陽系の惑星のなかで最も人間の居住に適している。それでは、なぜ入植者たちは南極のコロニー化に名乗りを上げないのだろうか? その理由は、南極のコロニー化はモノフューチャーの一部ではないためであり、そのため、ほどんどの人々は計算ができ南極コロニーが意味をなさないと理解できるからだ。

モノフューチャーに関して、これほどの明晰さはめったに見つからない。代わりに見られるのは、囚われの身に見られる色とりどりの不条理な思考停止によって支えられた、驚くほどの敬虔な熱意である。たとえば、もう私はいつからか忘れてしまったのだが、多くの人々がこのコンテキストで「人間が思いつくことができるものは、何でも達成可能である」と主張している。本当に巨大な規模のバカさ加減である。私は、機能する永久機関、宇宙全体のサイズのパディントンベアのぬいぐるみ、4つの辺を持つ三角形、猛烈に眠る無色の緑の概念、などを簡単に思いつくことができる - しかし、もしも宇宙コロニーという古びたファンタジーに疑問を呈したとすると、確実にそのようなバカげた反論を聞かされるだけではなく、他のコンテキストでは明白に誤りであるような屁理屈がここでは正しいのだと主張する人間を眼にすることになるだろう。

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…そして我々が得たもの

もしもお望みであれば、今挙げた思考停止を主張する人々を真剣にからかうこともできる。モノフューチャーの信奉者に、たとえば、天体の軌道の観察から未来を予測できるようになるだろうかと尋ねてみてほしい。おそらくあなたは憤慨した否定を受けるだろう。占星術は、極めて簡単に思いつくことができ - そして実際のところ、今日でも何百万という人々が実践しているのだが - モノフューチャーの一部ではない。それゆえに、我々が議論している信念体系からは擁護されないのだ。そのような信念体系を、私は進歩への信仰と呼んできたけれども、しかしここでも「進歩」という語は非常に微妙なニュアンスで理解されなければならない。惑星の軌道から未来を予測する方法を考案することは、実際のところ非常に目覚しい進歩である。しかし、「進歩」の信奉者はそれに興味を持っていない。彼らが信仰する種類の進歩は、それよりもかなり狭く定義されている; つまり、モノフューチャーへと向かう進歩のみから成り立っている。

それでは、モノフューチャーそれ自体は、宇宙コロニーや空飛ぶ車、超知能コンピューターと賢いヒューマノイドロボット、生命延長テクノロジーとボタンを押すだけで空気中から消費財を生み出すレプリケーター、汚染フリーな無限のエネルギー源、すべての人種と性別の人々が正確に同一のライフスタイルを取り、あらゆる重要な問題について同じ信念と意見を持っている - そのようなモノフューチャーのイメージは、どこから来たのだろうか? 未来のあり方についての単一の、狭苦しいこのような概念は、どのようにしてこれほどの信仰信条となり、今日の工業諸国において、多くの人が - 自慰的な大量死ファンタジーの未来を除いて - 異なる未来をまったく想像することができないほど信じられているのだろうか?

ここで、私は頭を下げてうなだれ足を引きずらなければならない。というのは、その元凶は私の大好きな文学ジャンルであるからだ。イエス。我々はサイエンスフィクションについて話している。

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我々がいるはずだった場所…

サイエンスフィクションの始まりは、モノフューチャーについての話、あるいは宇宙旅行のような何らかのモノフューチャーの標準要素とはまったく関係ないと言うのは公平だろう。このジャンルの歴史家の多くは、サイエンスフィクションにおける最初の作品 - 未だ実現していない科学的・技術的開発を中心とした物語、および、そのような開発の結果をプロットの中心とするもの - は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』であると意見が一致しており、それは宇宙旅行やその他のモノフュチャーの標準的な特徴に関連してはいなかった。その点については、サイエンスフィクション史における次の2人のビッグネームであるジュール・ヴェルヌH.G.ウェルズは、彼らの執筆した膨大な作品のうちの相対的にごく一部でしか、宇宙旅行その他のモノフューチャー的ギミックを取り扱ってはいない。

更には、サイエンスフィクションの次の黄金時代、戦間期のパルプ時代へと進み、当時の雑誌に掲載された物語を読むと、大部分がモノフューチャー関連のテーマを無視していることが分かるだろう。物語の舞台のほとんどは、1920年代から1930年代の平凡な世界に設定されている。ちょうど、フランケンシュタインの舞台が18世紀後期の平凡な世界であったように。そして、物語の中で説明された発見や開発は、世界をほとんど変化させない。確かに、現時点において、これらの物語のほとんどは忘却の淵に沈んでいる - 当然の評価であるものも、そうではないものもあるが - ここで私が思いつくのは、読者諸君の何人かはC.S.ルイスSF小説『沈黙の惑星より [Out of the Silent Planet]』を読んだことがあるかもしれないが、これが当時のSF小説の雰囲気を表しているということだ。

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…そして我々がいる場所

ルイスの物語は、宇宙旅行の話である。重要なキャラクターであるマッドサイエンティスト (そして、もちろん、パルプSF時代の 典型的 ストック キャラの1つ) は、惑星間航行に必要となる大きな技術的ブレークスルーを達成したのである。シリーズの主人公、 エルウィン・ランサムという名のオクスフォード大学言語学者は、 - イエス。このキャラクターは、また別のオクスフォード大学言語学者、J.R.R.トールキンという名のルイスの友人をモデルにしている - 予期せず火星への旅行をすることになる。その結果、世界は完全に変化するのだろうか? まったくそうではない。ランサムが最終的に地球に帰ってきたときには、冒険の結果として地球上のものは何も変化しておらず、今後も変化することはないという穏かな確信のなかで、彼は近所のパブへ行き1パイントのビールを買うのである。

注意してほしい。『沈黙の惑星より』の出版前に既に印刷されていた物語は、モノフューチャーを発明するプロセスを既に開始していたのだ。また、宇宙船とも空飛ぶ車とも何も関係のない当時の膨大な量の作品の中から、モノフューチャー的物語だけを作為的に取り出したオールドSFアンソロジー本が多数存在する。(だからこそ、SF小説が最初に掲載された雑誌を見返し、当時のSF小説が他に何をしていたのかを理解することは、とても学びが多いのだ。) また、モノフューチャーは、その後にも町で遊ばれていた唯一のゲームではなかった。むしろ、第二次大戦後にサイエンスフィクションが成熟するに従い、探求される未来の範囲は劇的に拡大したのである。

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これはあなたの近所だろうか…

ここでもちろん、その一部は、現代のSF関係者のほとんどが話題にしたがらないこと - すなわち、1980年代前後のSFとオカルティズムとの巨大なクロスオーバーに関連していた。1980年代初頭のCSICOP*2などの疑似懐疑主義者の唯物論者によるSFファンダムの乗っ取りは、このジャンルを根本的に変化させた。それ以前には、非常に多数のSFファンと、決して少なくない数の重要なSF作家が、ポップなオカルティズムに眼を向けていたのだ。それが、ハインラインの小説『もしこのまま続けば』の中で、初期ウィッカ *3 のイニシエーション儀式についてそこそこ妥当な描写が見られる理由であり、それが、1950年代と1960年代のSF界のビッグネームたちの半数以上が、サイキックなパワーをプロットの主軸とする小説を書いた理由であり、それが、SF雑誌の裏表紙に掲載された秘密の広告が、オカルト通信教育の広告でいっぱいであった理由である。(また、それが、1978年に私が最初に参加したSFコンベンションにタロット占いに関するワークショップが含まれていた理由である。それ以降、そのような会場では見つけられない。) それは別の世界であり、より多くのオルタナティブな現実に対してオープンだったのである。

それでも、そこにはそれ以上のものがあった。当時のサイエンスフィクション作家たちは、我々が今住んでいる世界から可能な限り大きく変化した未来世界を考案しようと争っていたのである。ヴォンダ・マッキンタイアの『夢の蛇 [Dreamsnake]』、ジョン・クロウリーの『獣 [Beasts]』、ブライアン・オールディスの『地球の長い午後 [Hothouse]』、スーザン・クーンの『ラーネ [Rahne]』、M.ジョン・ハリスンの『パステル都市 [The Pastel City]』、ポール・アンダースンの 『世界の冬 [The Winter of the World]』 - 最初に思いついた例を挙げているだけだが - などを読んでほしい。それぞれのケースで、モノフューチャーの世界観からあまりにも遠く離れすぎているために、その痕跡を見つけるためにはハイパワーな望遠鏡が必要となるかもしれない。

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…それともこれ?

その直後の数十年の間に、サイエンスフィクションに正確に何が起こったのかは、複雑な問題である。私が思うに、その一部は、宇宙探査機が次々と送信してきた太陽系の惑星の写真が、SF黄金時代の誰も想像していなかったほどに人類にとって過酷な世界であったことに関連しているのではあるまいか。一部には、また、宇宙空間ベースの製造の試行のいずれも損益分岐点にすら近づいてすらおらず、ましてやアーサー・C・クラークの『宇宙の約束 [The Promise of Space]』その他の熱狂的なSF作品の期待に応えられるものではなかったという不都合な発見とも関係があったのだろう。別の理由としては、確実に、SFが 変わり者 フリンジ の文学からマスマーケットのメディア資産へと変化したこととも関係があったのだろう。率直に言えば陳腐な、でなければ古典的なスタートレックシリーズから始まったプロセスは、ハリウッドの 金のなる木 キャッシュカウであるスターウォーズシリーズや E.T. などの巨大な興行上の成功により加速していった。

どのような因果関係にせよ、けれども、最も革新的であった文学ジャンルの1つは、ハーレクインロマンスと同程度に厳格に定型化されたジャンルになり果てた。そこでは、モノフューチャーが力強いハンサムな男性キャラの役割を演じ、人類がその男のサイバネティック強化された腕に抱かれる女性キャラの役割を演じている。定型的な物語への堕落を測定する尺度としては、しばらく前に現代SF作家のなかで最高の1人であるキム・スタンリー・ロビンソンが『オーロラ [Aurora]』というタイトルの、失敗した恒星間植民を扱った素晴しい小説を発表したとき、SFファンダムに上がった怒声の合唱が挙げられるだろう。そのような物語は、SFが広い範囲の未来の可能性についてオープンであったかつての時代には、完全に許容可能なものであった - ジョン・ブラナーの恐しい『皆既食 [Total Eclipse]』やジョン・クロウリーのリリカルな 『エンジン・サマー [Engine Summer]』は、これをテーマとして扱った多数の小説のなかのたった2つの例である — しかし、ロビンソンの本に対する反応は? ここでもまた、ハーレクインロマンスが完璧な同等物を提供する: その反応は、ハーレクイン小説の出版社が、次のような優れた小説を出版した際に受けるであろうものである。つまり、ヒロインがヒーローと出会い、通常通りの展開を迎えた後で、最終的に彼女は独身でいることを決断するというものだ。

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これはファンタジーであった

そのようなハーレクインとSFの平行線は、私が思うに、我らが時代の集合的イマジネーションの中でモノフューチャーが立ち往生している理由を直接的に説明する。人がハーレクインロマンスを読むのは、現実的な愛の話を求めているからではない; 人がハーレクインロマンスを読む理由は、まさに、現実の生活を模倣しているのではないからこそ満足できる特定のファンタジーを楽しみたいと望むからだ。それが定型的ジャンルのフィクションの役割である - そしてそれには何の問題もない。お金持ちで力強いハンサムな男が平凡な女と恋に落ちる物語、はぐれ者の主人公集団が、魔法を振るってファンタジー世界を悪の支配者から救う物語、チョコレートショップを経営する中年男が、たった一人で邪悪な殺人犯を次々と捕える心地良いミステリー物語、その他何であれ、そのような豊かな白昼夢を飲み込むことで自身の生活の逃れがたい不満を慰めて少しだけ気分が良くなるとすれば、まさに、それこそが文学が常に仕えてきた基本的な人間の欲求なのである。

我々のほとんどは、けれども、自分自身のロマンチックな出会いは、ハーレクインロマンスの表紙から裏表紙の間で起きることとそれほど共通していないことを認識している。悪の支配者からファンタジー世界を解放するための英雄的なクエストに呼ばれる可能性は、パブリッシャー・クリアリング・ハウスの懸賞が当たる可能性よりもはるかに低いことを理解している。また、もしも我々が重大犯罪の目撃者となった場合の捜査は、ダウンタウンオフィスビルで退屈した刑事に何度も何度も同じ事実を繰り返し供述することであろう。つまりは、想像力豊かな文学世界と現実世界の違いを我々は理解しており、前者が後者を模倣する何らかの義務を生じさせるとは考えていない。

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これが我々の連れていかれた場所…

それが、代わって、モノフューチャーへ向けた進歩という現代神話がレールを脱線する場所である。我々が他の惑星を植民地化することは決してないという確固たる理由が存在し、あるいは空飛ぶ車は1917年以来繰り返し製造されテストされ、一貫してろくでもないアイデアであることが判明し、あるいは核融合は私が生まれた時から20年後の未来であり、現在でも20年後の未来であり、そして遠い未来にシマリスの遠い子孫たちが我々の化石化した骨を調査する時代になっても20年後の未来であり続けているだろう、というだけのことではない。ほとんどの指標において、アメリカおよび多数の工業諸国の大多数の人々の生活水準は、1970年代以来、不連続だが容赦なく下降を続けており、その方向が変わる兆候はない。

進歩的な装いを取りつくろわれた飛び地を抜け出し、ピッツバーグボルチモアマンチェスターグラスゴーのみすぼらしい道、パリ郊外の寂れた工業地域を歩けば - まぁ、いくらでも長く続けられるだろうが、ポイントはきわ立っている: それらの場所からは、モノフューチャーの到来がまったく近付いていないことは簡単に理解できる。更に先へと進めば、死すべき時が訪れた夢想たちは "象の墓場" を探している。それが、あまりに多くの人々がこれほどの金切り声で、今でもモノフューチャーが近付きつつあると主張している理由である。社会心理学者がずいぶん昔から指摘してきた通り、信念体系がもはや世界を十分に説明できなくなった時にこそ、人々が最も教条的に信念に執着し、信念を疑われた際最も強く怒りだすのである。

最近のオープンポストの中で読者の1人が教えてくれたのだが、彼が頻繁に通うサークルの中で、少なくとも、一時はきわめて蔓延していたニューエイジの信念体系が最近ではほとんど見られなくなってしまったのだそうだ。そこで起きたことは、注意を払っていた人にとってはまったく驚きではない。ニューエイジの教師たちは、自身の教えによる利益を主張していたのだが、多かれ少なかれ、それらの主張はうまく行かなかった。2008年~2009年の経済危機の直前、ニューエイジのグルであるロンダ・バーンの「引き寄せの法則」を使い、不動産取引で金持ちになろうとして結果身ぐるみ剥がされた多数の人々は、直近かつ最大の類似した大失敗の連続の、たった1つの事例でしかない。

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…そして最終的にはこうなるかもしれない

この種の失敗に対する人間の通常の反応は、少なくとも1回は"倍賭け"をすることであるので、2008~2009年のクラッシュ後に起きたことは、膨大な数のニューエイジ関係者が、マヤ歴の終わりとされる2012年12月21日にすべてを賭けることであった。何の事件も起こらずその日がやって来て過ぎ去ると、ニューエイジムーブメントは静かに崩壊した。ニューエイジの教えを未だに信じている人々がいることは確かだ。そして実際のところ、真の信者たちの小集団の存続は、このような外れた予測の結果として通常のことである。けれども、意味のある文化的な力としてのニューエイジは終わりを迎えた。

モノフューチャーのカルトに対して、何がこれと同じことを行うのかは興味深い疑問である。遅かれ早かれ、何らかの出来事がトゥモローランドの電源プラグを引き抜くことは、けれども、この時点において織り込み済みである。サイエンスフィクションは、楽しいものであることは確かだが、恋愛小説がリアルな関係を扱ったものではないのと同様にリアルな未来を扱うものではない。ニューエイジムーブメントの命運は、真の信者たちが、自分たちの過剰発達した権利意識に宇宙は奉仕する義務があり、彼らが相応しいと考える未来を叶える義務があると主張したときに、何が起こるかを明確に示している。どのような出来事の連続が、モノフューチャーの信奉者たちに無様な、しかし不可避のレッスンをもたらすのかは、興味深い疑問である; すべてのことを考慮すると、けれども、それを見るまでにあまり長い時間待つ必要はないと考えている。

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グリアは、現代神話としてのSFの力を強く認識しており、彼自身もオルタナティブな未来を表現したSF小説を書いています。

Star's Reach: A Novel Of The Deindustrial Future (English Edition)

Star's Reach: A Novel Of The Deindustrial Future (English Edition)

Retrotopia (English Edition)

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*1:注: 翻訳:進歩と記憶喪失 (ジョン・マイケル・グリア) - Going Faraway

*2:注: 超常現象や疑似科学の批判を行う団体。サイコップ - Wikipedia を参照。

*3:注: キリスト教化以前のヨーロッパの多神教を復興した新宗教