Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:後ろ向きグレートジャンプ (ジョン・マイケル・グリア)

ジョン・マイケル・グリアによる2020年11月25日の記事 "The Great Leap Backward" の翻訳です。

訳者補足:
ダボス会議の主催で有名な世界経済フォーラム (World Economic Forum) は、今年6月、2021年開催予定の次期総会のテーマを「グレート・リセット」とすることを発表した。WEF自身の主張によれば、グレートリセットとは、特にCOVID-19のパンデミックにより明らかになった世界的な矛盾に対して、"協力を通してより公正で持続可能かつレジリエンス (適応、回復する力)のある未来のために、経済・社会システムの基盤を緊急に構築するというコミットメント"*1 と主張されている。
ところが、テーマ発表の直後から、「パンデミックを、不確かな社会実験のための機会として利用しようとしている」として、特にアメリカのSNSを中心にWEFは強い批判にさらされた。その中で、一部には、「グローバルエリートが、グレート・リセットという旗印の下に、意図的に新型コロナウィルスを世界に蔓延させ、その機に乗じて世界の既存政治経済体制を崩壊させコントロールしようとしている。」、「かつての共産主義国家のような監視社会を作ろうと目論んでいる」という陰謀論めいた主張も見られた。(以下の議論は、そのような陰謀論じみた議論が存在することを念頭に置いていると思われる)
グリアはこの記事で、読者からのリクエストに応じてグレート・リセットについての論評を行なっているが、若干不自然なほどに、その陰謀論に対しては言及を避けている。おそらく、グリア自身は、記事執筆のリクエストをした読者 (陰謀論を信じているであろう人) の認識に対して挑戦することを、直接的な意図としていないからであろうと思われる。
陰謀の真偽についてはさておくとしても、グリアが指摘している通り、グレート・リセットに対するさまざまな反応は、世界経済フォーラムの参加者をはじめとするグローバルな政治経済界のリーダーが、どれほど一般市民の問題意識や関心から乖離しており、どれほど憎まれているのかを示す良い証拠であるように思われる。また、彼らの語るテクノユートピアな未来像が、もはや人々から拒絶されていることも示している。
(なお、本邦に関して言えば、半年ほど前までは、コロナ禍を奇貨として日本政府も社会統制と監視を強める方向へ向かうのだろうと私も漠然と予想していた。しかし、現実の政府は、決断力を欠き、ITによる監視どころか疫学統計や給付金に必要な住民の把握ですらお粗末で、最も基礎的な行政力にも欠くありさまであった。日本政府は、陰謀論が成立する程度にはもう少しシャンと支配を行なってほしい。)

The Great Leap Backward

最近、最先端のインターネットを読んだことがあるなら、おそらく、グレート・リセットと呼ばれるものについての話を眼にしたことがあるだろう。グレート・リセットに関する私の意見を聞きたいというお願いを何度か受けたので、また、工業世界の未来の姿は長年の私の関心事であったので、喜んでこの問題を議論したいと思う。グレート・リセットの議論をまだご存知でない方は、デンマークの政治家、アイダ・オーケンによるこの短いフィクションが優れたスタート地点となるだろう。その元々のタイトルは (世間からの反発により現在では変更されているが) 意図されたテーマをとても上手く要約している: 「2030年へようこそ。私は何も持たず、プライバシーもない。そして、人生はかつてないほど良くなった。」

アイダ・オーケン
アイダ・オーケン

このタイトルから考えるに、オーケンは想像上の未来を素晴しい場所だと捉えていたことはきわめて明らかである。注意してほしい。彼女は、そのような意図はなく、単に議論を引き起こそうとしただけだと主張しているものの、率直に言うならば、私には信じられない。この物語のネバついて熱狂的で壮大なトーンは彼女の主張のウソを示しており、世界経済フォーラムをはじめ、主要な企業団体によって未来世界のテンプレートとしてインターネット上で拡散されたこと、および、エスタブリッシュメントの現代の御用学者集団から賞賛の声でもって迎えられたという事実については言うまでもない。誤解しないでほしい。これが、我らの同時代の企業官僚制を動かす実力者たちが、たった今、夢見ている未来なのである。

オーケンの想像上の2030年において、彼女は何も所有していない。というのは、何かが欲しい時には、単にオンラインで注文すれば即座にドローンが配達してくれるのだから。彼女は自分の下着すら持っていない。更には、すべてが無料なのである; 自分の家の家賃すら払う必要はない。なぜなら、外出している間には、誰かが家をビジネスミーティングのために使うからである。彼女は、24時間365日あらゆる言動を記録する電子的監視下にあり、誰もそのデータを悪用しないでほしいという形ばかりの希望にもかかわらず、彼女はそれを不安に感じてはいないようだ。彼女は、同じライフスタイルを受け入れていない人々、農村のコミューンや不法占拠した田舎の廃屋で過酷な貧困に追いやられて暮らす人々のことを心配しているものの、けれども、なぜその人たちが自身の生活をビッグブラザーに委ねず、 最高の ダブルプラスグッド 未来を共有しないのか、彼女には理解できない。

輝かしい未来
理論上はこう見える

オーケンの未来のなかで語られていないことは、そこで語られたことよりも更に示唆的である。もちろん、統計は意味をなさない - 最も楽観的な見積もりをしてさえ、日中時間帯に利用可能な住居の数に比べれば、毎週開催されるビジネスミーティングの数はごく少ないだろう。[あらゆる人の家賃が無料になるほどには、ビジネスミーティングの数は多くないだろう] - そして、何度も何度も指摘されている通り、もしも人々が望みのものを何でもタダで手に入れられるようになったら、人々を工場や農場で厳しい労働をさせるように動機付けることはまったく不可能であろう。もちろん、デンマーク議会に出席することは、それほど苦労のない良い取引だろうけれども。それでも、オーケンの偽ユートピアにおける一番の深刻なギャップは、政治的なものである。

彼女の想像した未来は、全体主義者の夢精といってもまったく過言ではない。私有財産とプライバシーの無いところでは、自由もないからだ。実際の人間の実際のモチベーションを組み合わせれば、その不可避の結末までの展開を想像することはまったく容易い。「申し訳ありません、オーケンさん。その本は不適切であるとマークされており、現在は利用できません。」「申し訳ありません、オーケンさん。多数の不適切な本をリクエストしたため、他の本へのアクセスが停止されました。」「申し訳ありません、オーケンさん。監視対象リストに掲載された人と会話したため、あなたの海外旅行はキャンセルされました。」「申し訳ありません、オーケンさん。ディナーの席での政府批判を止めない限り、あなたの食料割当量はカットされます。」「申し訳ありません、オーケンさん。あなたの家は別の家族に再割り当てされました。あなたを収容所へお連れします…」

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実際にはこう見える

現代史をよく知る人にとっては非常にお馴染みの光景だろう。私有財産の廃止? チェック。常時の侵入的監視? チェック。党官僚幹部の行動に対する、あらゆる個人的生活の依存? チェック。労働者の楽園における生活の素晴しさを称える追従プロパガンダ? チェック。つまりは、世界経済フォーラムが新しい、エキサイティングな、最先端の人類のゴールとしての未来を想像したとき、彼らとその子飼いのデンマークの政治家がなしうる最上の行動は、ソビエト連邦の再発明なのである。

このような想像力の莫大な失敗は、代わって、大きな重要性を持つ歴史的変曲点を示している。

私が最初にインターネット上でエッセイを投稿して以来15年以上にわたって繰り返し議論してきたテーマとして、進歩の市民宗教がある: もっとあからさまな神学的信念と同じくらい熱心に信じられている信念体系であり、新しいものは常に優れており、変化は常に良いものであるという信念、過去は反証され、昔の習慣は単に時が過ぎれば時代遅れとなる、そして、歴史というのものは、過去の無知な卑しさから、宇宙の星々の間のどこかで輝かしいガジェット中心の未来へと、必然的な軌道を辿るという信念である。 その信念は、我々の社会の国教である。その信念を拒絶するほどの独立心を持つ人は、他種の盲信的信者に厳しい質問をしたときに受けるであろう反応と同じ種類の、困惑した激怒に直面することであろう。

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なんと素晴しい未来に我々は住んでいることか!

最近、そのような困惑した激怒がありふれたものになった理由は、ここ数十年、進歩がその約束に対して正確に応えていないからである。2020年の生活には、本来あったはずのドーム型都市や宇宙移民が存在しないだけではなく、そう遠くない昔にはあまりにも放漫に約束されていた、物質的な豊かさが欠けている。2020年の生活は、直近の過去の生活と比べてさえ、決定的にみすぼらしく見える。洞窟から宇宙へ至る進歩の偉大なる行進は、汚れた、暴力的な、機能不全の都市、永続的な田舎の貧困、朽ちたインフラ、破綻した公衆衛生、そして日常生活に蔓延した荒廃という未来をもたらすとは考えられていなかった - けれども、それが我々の居る場所である。

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今度こそうまく行く

人間の本性の常として、進歩の市民宗教の預言の失敗に対する最初の反応は、同じ預言を"倍プッシュ"することであった。ひとたび、偉大なる神プログレス様が約束されたユートピアへと導いてくれれば、いずれすぐに素晴しい未来が我々のものとなるだろうという、いっそうバラ色の予測を振りかざしたのである。それこそが、トランスヒューマニストのド派手なファンタジーと、たくさんの抗議デモを実行しさえすれば世界中が環境に配慮したヴィーガンの平和主義者になるだろうと確信した活動家世代の穏やかな無知を生み出した原因である。その種の過激化は、熱狂的に信じられている信念体系が現実によって裏切られる際に生じる認知的不協和への、通常の反応である。

"倍プッシュ" の習慣は、けれども、必ずしもうまくいくとは限らない。それは、既に失敗した預言より更に豪華で実現不可能なものを、真の信者たちに約束してしまうからである。それらも同様に失敗した場合の標準的な動作は、擁護可能な場所まで撤退することである: 進歩という予測は、集合的イマジネーションの中にあまりにも深く埋め込まれているため、その予測は決して実現しないと認めることは、ほとんどの人にとって受け入れ難い。今日の工業社会においての企業マスメディアの重要性を考慮すると、ポップカルチャーの中で、ミイラ化した状態となった何らかのメディアにより当該の予測が固定されることは、おそらく避けられないことであったのだろう。イエス、現代文化のスタートレックに対する奇妙な執着心について語ろう。

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54年もの間、人々が行くことになっていた場所へ向かう

何年も昔、オンライン上での私の執筆活動が、エネルギー資源の減耗とそのプロセスによる工業文明の未来への長期的影響に対して焦点を当てていたときに、多数の人々の未来を想像する能力に対して、スタートレックが決定的に不気味な効果をもたらしていることに気付いたのである。それはまるで、宇宙船エンタープライズ号が、フェイザー銃を「ロボトミー化」にセットして、21世紀の人々に無謀な放漫さで使用したようなものであった。産業プロジェクトの長期的な生存可能性についての真剣な問題が問われるときにはいつでも、困惑するほど多数の人々がレプリケーターとジリチウム結晶を動力源とするファンタジー的未来に逃げ込んでしまうのだ。私と論争していた人たちだけに限らない。現代社会のどのような片隅であっても、進歩の市民宗教を拒絶したにもかかわらず、スタートレックに関するひねくれたジョークを言う人を見つけられるだろう。

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これが輝く未来である: 1966年のハリウッド

最近まで、私がまったく考えていなかったことは、スタートレックの未来がどれほど年老いているかである。スタートレックが初めて放送されたのは、1966年であることを思い出してほしい。読者諸君、1966年を覚えているであろうか? 私はかろうじて覚えている; その年に4回目の誕生日を祝ったのだ。リンドン・B・ジョンソンが大統領で、自動車にはテールフィンがあり、LSDはまだ合法であり、ロックンロールシーンの評論家たちは、ビートルズは既に全盛期を過ぎたと見なしており、明日にでも新たなバンドに取って替わられるだろうと考えていた。スタートレックが放送された夜、当時の私のオヤスミの時間は過ぎていたものの、明るい黄色の足付きパジャマを着て夜ふかしして、家族共用の白黒テレビでそれを見たのである。その晩に生まれた赤子は、来年には高齢者割引を受けることができる。

半世紀以上も前に、企業マスメディアにより生み出された想像上の未来が、未だ我々の集合的イマジネーションの関心の的であるということは、進歩の市民宗教が転倒して死にかけており、呼吸を求めて喘ぎ、医者は匙を投げていることを示す良い証拠である。それでも、この文脈で特筆すべきは、世界経済フォーラムが宣伝した疑わしい想像上の未来はスタートレックのものではないということだ。ノー、それは1920年代の新しい、エキサイティングな、最先端の未来である。それが、結局のところ、ソビエト連邦の最初期の姿であった。当時、西ヨーロッパと北アメリカの膨大な数の知識人たちが、新しく設立されたロシアのボリシェビキ政権は人類の未来に対する最高の希望であると声高に主張しており、当時既に目立っていた収容所と集団埋葬を好んで利用するその政権の傾向について言及する者は誰であれ、容易に強い非難を受けるのであった。

それが示しているのは、逆に、スタートレックの未来は、もはやかつてのような盲目的信仰と反射的な熱狂をもたらすものではないということだ。現時点では推測に過ぎないけれども、より多くの人が他惑星の植民地化にまつわる明白な問題を認識するにつれて、宇宙における人類の未来に関する大言壮語の長い時代が暮れていくのではないだろうか。地球の磁気圏のバリアの外側では、我々が太陽と呼ぶ防壁のない巨大な核融合炉からの強烈な放射能で満たされ、地質学的時間以内に辿りつける世界はガンマ線の爆風にさらされる凍った、空気のない砂漠であり、酸素、水、食料、救助に必要なリソースからは何百万キロも離れているのだ。(それが、1970年代にアメリカとソ連が有人惑星探査ミッションを密かに取り止めた理由であることはご存知の通りである。)

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火星はネバダ砂漠と似ているが、空気が薄い

偉大なる神プログレス様が必ずや輝かしい未来をもたらしてくれるはずだという陳腐な思考への反射的な撤退は、果たされぬ約束の重みで防衛拠点が崩壊した際の、通常の反応である。そのような2回目の撤退は、けれども、1回目と同じようにうまく働くとは限らないのだが、それには2つの理由がある。最初の理由は、もちろん、進歩の信者は、既に2回の撤退を強いられており、3回目の防衛をしなければならないという事実は、士気に悪影響をもたらす。また、その信念体系に疑いを持つ人の数が増えていくことは、その信念をより強化するようには働かない。それでも、この場合では、2つ目の理由がもっと重要なものとなるだろう。

ソビエト連邦の終末期は、結局のところ、未だに生きた記憶である。私有財産の廃止、侵入的監視の全般的な導入、個人の自由な選択に自身の人生を任せるのではなく、より効率的な意思決定ができるとされる専門家集団の制御下に人生のあらゆる活動を置くことなどを主張するイデオロギーが何をなすのか、今日生きている人々はあまりにもよく知りすぎている。アイダ・オーケンの短い物語は、マルクス社会主義が権力を掌握した際に何をするかが示される以前の文学作品を彷彿とさせる。自分の眼でそれを見たいと望む読者は、ウィリアム・モリスの優れた社会主義ユートピア文学『ユートピアだより』を探して、読んでみると良いだろう。続いて、ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソビッチの一日』を読めば、そのような輝かしい夢想が実際にどうなったのかを思い出させてくれるだろう。

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宣伝、約束されたもn

そのような類推を念頭に置くと、もしもグレート・リセットが実際に制定されたとしたら何が起こるかを予想することは、まったく難しくはない。ヨーロッパ連合が、世界のいろいろな所に位置する他のいくつかの国と共に、グレート・リセットを受け入れたと仮定してみよう。新たな消費者の楽園からの熱狂的なレポートがメディアに溢れ、多くの知識人は、ジョージ・バーナード・ショーといった人々が1920年代にレーニン体制のために行なったように、グレート・リセットの広報宣伝担当者として身売りするだろう。その間にも、保守派は足を強く踏みしめて、必死で押し返そうとするだろう - 覚えておいてほしい。第一次大戦後、東ヨーロッパでは共産主義革命が急増したのであるが、ロシアの革命を除くすべてが反革命的な流血事態のうちに終焉を迎えた。そうして世界は再び分裂する。未来に関する最新鋭の観念的流行を受け入れた国々と、そうではなく自由と呼ばれる何かを好む国々の間で。

それから、もちろん、強制収容所、集団埋葬、そして、ドローンの商品配達の遅延の増加 (現代版のパン屋の行列) などについて、ヨーロッパ連合のリセット主義共和国の輝かしい消費者の楽園から、厄介な噂が流れ始めてくる。難民たちは厳しい話を語り、インテリゲンチャは、その話は真実ではなく信じる人々は誰であれ (ここに罵倒語を挿入) であると怒って主張するものの、その話は聴衆を見つける。壁が破壊され、消費者の楽園から逃げ出そうとする人々が国境警備隊により射殺され始める頃には、最新の管理集産主義経済の試みが、過去とまったく同様に、経済的機能不全と政治的専制という同じ問題を抱えていることが明らかになるだろう。最終的に、21世紀の中頃には、おなじみの形ですべてが崩壊し、かつてのヨーロッパ連合の人々はついに世界に再参加するだろう。

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得られたもの

ノー、私はこんなことが本当に起こるとは思っていない。1917年の共産主義革命は、絶望的なまでに無能な当時のロシア王朝と壊滅的な戦争によって絶望の縁に追い込まれた農民の労働者の大集団と、彼らに対して有効な代替案を提供し、有力な政治勢力へと変化させた人々により引き起こされたのだ。グレート・リセットは、政治家、大富豪および御用学者たちのごった煮により宣伝されている: 地球上でもっともぬるま湯につかった人々であり、人生の厳しい現実に対する不意の遭遇から、居心地の良い特権的なシェルターで守られている。我々みんなが対処しなければならない世界に住んでいるわけではないのだ - 荒涼とした暴力的な都市隣人、田舎の進行する貧困、ひび割れて崩れかけた高速道路や橋梁、製品サイズの縮小と品質低下によるステルスインフレ! ゲート付きの住宅コミュニティや高級分譲住宅から、オフィスタワーと会員制バケーションリゾートを飛び回る彼らは、今日の世界のレーニンではない。ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ[1970年代~1980年代のソ連のリーダー]である。彼らが表しているのは、時代の始まりではなく、時代の終わりである。

グレート・リセットに対する幅広い世間からの反発は、逆に、今日の企業貴族たちがどれほど不愉快な声を発しているのかを示す良い指標である。極右から中道、極左までの政治スペクトル全体にわたって、巨大で説明責任のない企業テクノストラクチャーの気まぐれに、交換用下着や翌日の食事を依存するという予測を、人々は怒りとあざけりの眼で見ているが、それももっともなことだろう。ある意味では、アイダ・オーケンと産業界の彼女の雇い主たちは、米国にいる私達に好意を示しているのではないかと私は思う。約5年間の極めて分裂的な政治の後で、彼らは善意の人々が心から同意できる何かを与えてくれたのだ。

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実際にはこう見える

彼らは何か別のことをしたのかもしれない。上述の通り、進歩の市民宗教は、通常のように、人間が信じるあるべき姿とは無関係に存在する現実世界に対処するために、かなり長い間苦労してきた。年老いたスタートレックの未来を放棄し、それよりも更に古めかしいビジョンであるソビエト連邦の短期の歴史的名声を持ち出すことは、進歩にとっての致命傷となるかもしれない。ここに至り、大多数の人々は、歴史が特定の方向に進んでいると信じることを止め、甘やかされた今日の企業貴族たちがそうなるべきと信じる世界へと進むことを拒否し始めるのだ。

ひとたびそうなると、我々の多くの人々にとって、未来は選択できるものであり、必然ではないということを思い出すことが可能となる。個人、家族とコミュニティが、ガジェット中心主義的な生活を望まないと決断し、泥棒政治的な企業と政治制度への依存度を下げ、自身の欲求やニーズにもっと機敏に対応したいと決断するのであれば、そのような生活を送ることができる - そして、企業世界の政治委員や党官僚たちの、不要なものを受け入れさせるためのいじめじみた必死の試みは、克服できない障害物ではない。