Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

書評:しょぼい勤め人が読む『しょぼい起業で生きていく』(えらいてんちょう)

著者のえらいてんちょう (えらてん) 氏は、実は学生の頃からの数年来の友人だ。本書は、えらてん自身のリサイクルショップ、学習塾やイベントバーなどの起業と経営の実体験をもとに「しょぼい起業」の考え方と実践法を綴ったものだ。

しょぼい起業で生きていく

しょぼい起業で生きていく

とは言え、この本は単なる起業のマニュアルとハウツー本ではない。なにせ、冒頭の第一章には「消去法としての起業」や「日本にいるかぎり飢え死にはしない」といった内容が書かれている。起業の方法を説明するよりも前に、就職できなくても、究極的には起業すらしなくても生き延びられるというマインドセットが説かれているのだ。「成功方法」ではなく、「失敗してもOK」というメッセージは、現代社会の固定観念に凝り固まった人には刺さるのではないだろうか。

しかし、本書は心の持ちようとものごとの捉え方の変化のみを説いた本でもなく、実践的な「しょぼい自営業」で"やっていく"ためのノウハウもふんだんに書かれている。店舗と住居を兼用して生活とビジネス両方の固定費を下げること、自分が必要とするものの余剰でビジネスを行なうこと、完璧な計画を立てるのではなく、その時々で儲かりそうなことをすることなど、スモールビジネスを通して「生存」を目指すための方法として極めて実践的だ。

働くモチベーションについて

さて、私自身は、"普通の"企業勤めのサラリーマンとしてそこそこに生きているので、正直に言うと、本書の実際上のノウハウが即座に役に立つというわけでもない。それでも、第四章の「協力者を見つける」という章は、自分の働き方について考える上でも非常に面白いものだった。

中途半端な要約では誤解を受けそうではあるけれども、えらてんが本書の中で (あるいは彼自身の言葉と生き方の中で) 強調している考え方に、「正しいやりがい搾取」、つまり「他人を動かす対価は金銭だけではない」というものがある。ビジネスは金銭のやり取りであるが、実際のところその底には感情の交換が横たわっている。そして、そのような感情の交換は、なにも個人事業主に限ったものではない。

ある程度の規模がある企業であれば、多かれ少なかれ、仕事を部分的に細分化し、それぞれを動かすためのテクノロジーを整備して、また全体をまとめるためのシステムが作られている。そういったシステムの構築は、仕事から属人性を排除して一定水準の成果を保つためには必須である。しかし、そのようなシステムの中で働く人間は、自分がまるで取り替え可能な機械のパーツであるように感じるかもしれない。そこで働いている人は、まるで部品のように「疎外」されていく。そのような職場では、基本的には、命令と報告、金銭的・地位的なインセンティブにより人を動かすことになり、そこで働く人のモチベーションは「言われたことはやるが、それ以外のことはしない」という最低の状態にまで落ち込んでいく場合もある。

しかし、そういった企業の場合であっても、働く人々のモチベーションは報酬や恐怖だけから来ているわけではないだろう。少なくともその一部は、自尊感情と他者へのリスペクトからも生じているのではないだろうか。というよりも、企業内部のコラボレーションのほとんどは、厳密な対価支払いや業績評価がセットになっているわけではなく、感情的なやり取りを通して交換されている。それらの自尊感情や他者へのリスペクトは、他者からの認知と感謝から生じているものなのだ。

私自身を振り返ってみても、働く上でのモチベーションは、報酬や罰から直接生じているのではないように思う。実際は、他部署のプロジェクトで問題が発生した際に、自分の専門知識を頼られて問題解決への協力の依頼を受けたこと、他の専門家から私自身も専門家の一員として認められることが一番嬉しく感じた記憶がある。

とかく「感情労働」や「やりがい搾取」は昨今では評判の悪いものではあるけれど、(単なる雇用ではなく) 私たちが働くということを考えて、それを更に良くしていくためには、人間同士の感情的なやり取りにもっと注意を払う必要があるのだ。

その意味では、本書は「しょぼい起業」を実践することを検討している人だけではなく、何らかの形で働く人すべてに薦めたい。

書評:リベラル派によるリベラル批判の書 『リベラル再生宣言』(マーク・リラ)

最近では、日本でもアメリカでも、「リベラル派」は何となくうさん臭いものと思われている傾向があるようだ。「自由」を旗印に掲げながらも、その自由はリベラル派自身のみにしか適用されず、意見の異なる他者には極めて権威主義的に振る舞う態度を指摘されている。

しかし、そのような途方もない主張をするリベラル派ばかりではない。本書『リベラル再生宣言』は、中道左派を自認する著者による、リベラル派が道を誤った理由の解明とその批判、そしてリベラル再生のための提言だ。

リベラル再生宣言

リベラル再生宣言

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著者マーク・リラは、政治思想史を専門とするコロンビア大学歴史学部教授。上述の通り、穏健な左派の立場を取っており、本書の元になった論考はドナルド・トランプの大統領選出直後の2016年11月、ニューヨークタイムズ紙に掲載された。

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著者によれば、過去1世紀のアメリカ政治体制は大きく分けて「ルーズベルト体制」と「レーガン体制」を辿ってきたという。1930年代にルーズベルト大統領によって提示された「ニューディール」のビジョンは、1970年代のアメリカ社会の経済的成熟により終わりを迎え、その後レーガン大統領による「偉大な社会」のビジョンが続いた。

度々指摘されている通り、実際のところ、旧来の共同体や政府よりも個人の自己決定権と富の蓄積に対して無上の価値を置くレーガン体制は、何かを「守り保つ」という意味での伝統的な保守ではない。政府の存在そのものに対して敵意を持つレーガン主義的な共和党は、自己破滅的な運命を抱え込んでいたとも言える。

アメリカ国民は、もう何十年も、共和党が演じるブラック・コメディを見せられている。共和党は、自らが政権を持たない時には、「政府」というものを敵視することで、政権を奪取しようとする。また、政権を取った時にも、自分たちの支配下にある「政府」を壊すと国民に約束することで、政権を継続しようとする。

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レーガン体制下で、リベラル派もまた変化を遂げた。有権者に「市民」としての連携を訴えるのではなく、個人のアイデンティティを史上とし特定集団の利益のために声を挙げ、結果的にアメリカ人全体をバラバラに分断するアイデンティティ・ポリティクス (著者の用語ではアイデンティティ・リベラル) の袋小路へと陥っていったのだ。

もちろん、民族的マイノリティ、女性、同性愛者など、かつて、そして今でも平等の「市民」として扱われてこなかった人々は存在しており、それらの人々の解放運動の意義は否定できない。かつてのリベラルは、それらの人々との対等性を協調し、市民としての連携を促すものだった。ところが、近年のアイデンティティ・ポリティクスはむしろ人々を分断してしまう。マイノリティの属性を持つ人が、「○○の立場から言えば、××は許されない。」と宣言すれば、いかなる妥協や交渉もできず、そもそもその属性を持たない人には当該の問題について発言する権利すら持たないことにされてしまうからだ。

著者は、アイデンティティ・リベラルとは、超個人主義的な「左派レーガン主義」であると喝破する。

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著者は、現在のリベラル派の問題点を分析した上で、同志であるアメリカ人のリベラル派に対してリベラル再生のための提言を行っている。社会を分断し壁を作るアイデンティティリベラリズムではなく「市民」としての連帯を促すビジョンを提示すること、法廷や大学での現実社会から乖離した「反政治」ではなく、実効性のある方法で政治的権力を獲得して、反対勢力とも合意形成をすることが重要であるという。

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提言部分は若干抽象的なうえ、アメリカ人でもリベラルでもない私にはあまりピンとこない部分もあるものの、現代アメリカ社会の左派が社会と自身をどのように認識しているかを知る上で有用な本だった。

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ひるがえって、日本ではどうだろうか。日本では、人種や性差や性的志向を通したアイデンティティポリティクスによる社会の分断はそれほど激しくないように見える。それでも、ネット上の一部で過激化したフェミニズムやそれへのバックラッシュなど、分断が進みつつあるように見える部分もある。日本では、「市民」としての連携を促せるような思想的な伝統が存在しないことも懸念点だろう。

特に気がかりなのは、沖縄の基地問題に対する政府の対応が、むしろ沖縄の人々のアイデンティティポリティクス化を助長し、建設的な議論と対応が不可能になっているように見えることである。

合わせて読みたい

アメリカの保守政治の文脈から見たリベラル派の機能不全については、『破綻するアメリカ』でも取り上げられている。

過激化したリベラル派の問題点については、こちらのエッセイ(拙訳)も詳しい。

書評:タコであるとはイカなることか『タコの心身問題』/『Other Minds』(ピーター・ゴドフリー=スミス)

タコはとても知能が高い。なにせ、ワールドカップの優勝国を予想できるくらいなのだから…という冗談はさておき、本書『Other Minds』は、タコとイカに魅了された哲学者による、知能と意識の起源についての探究である。

Other Minds: The Octopus, the Sea, and the Deep Origins of Consciousness

Other Minds: The Octopus, the Sea, and the Deep Origins of Consciousness

著者ピーター・ゴドフリー=スミスは、オーストラリア出身でシドニー大学で教鞭を取る哲学教授で、特に科学哲学と生物学の哲学を専門としている。また彼はスキューバダイビングの愛好家でもあり、趣味でダイビングをしてタコを観察しているという。

本書には、頭足類、タコやイカたちの知能の高さを示すさまざまなエピソードが記されている。タコは迷路を解いたり、瓶の蓋を開けて食料を取り出したり、視覚的に物体を認識できる。更には、タコは人間を個人として識別可能である。特定の (嫌いな?) 研究者に対して水を吹き出したり、ラボへの新しい訪問者だけに水を掛けることもある。それ以外にも、ある水族館で飼育されていたタコは、夜の間に自分の水槽の蓋を持ち上げて隣の水槽へと忍び込み、そこで飼われていた魚を食べてしまい、そして何事もなかったかのように自分の水槽へと帰り蓋を戻して"隠蔽工作"を行なったという。

加えて、一部の頭足類は皮膚に埋め込まれた多数のメカニズムを使い、極めて高速で詳細に肌の色を変化させられる。これは、獲物と捕食者双方からのカモフラージュのためのメカニズムだと考えられているものの、肌の色を言語のように使ってコミュニケーションしている可能性も示されている (ただし、これには別の研究者からの懐疑的な意見もある)。

知能は少なくとも二度進化した

上で述べた通り、タコやイカたちの知能は高く、イヌと同程度の知能を持っていると考えられている。けれども、その身体の作りは人間や他の哺乳類、あるいは脊椎動物とはまったく異なっている。頭足類は中央集権的な脳を持っておらず、頭の中にあるニューロンは全体の3割から4割程度でしかない。ほとんどのニューロンは触手の中にあり、触手は独自に"思考"し動作しているようにも見える。その触手は、身体の本体から切り離されたとしてもしばらくの間は自律的に動いたり物を掴んだりできる。著者によれば、それは「通常の心身の分離の外側に位置している」のだ。

進化論的に言えば、我々を含む脊椎動物と、イカやタコを含む軟体動物の共通の祖先は、およそ6億年前の小さな扁形動物にまで遡る。進化上の分岐後、我々と頭足類とはまったく異なる経路を辿った。頭足類の祖先は、まず身体を保護するための貝殻のようなものを進化させ、地球上で最初期の捕食者となった。海底を這うこれらのカタツムリ状の動物たちは、やがて触手を使って海を泳ぎ始めたのだ。それから彼らは殻を捨て去った。最初の頭足類はおそらく約3億年前に出現し、貝殻を失なったことによる脆弱性を補うために、高い知能を発達させたのだ。つまり、タコたちは我々とはまったく別の経路で、別のデザインで知能を得たのである。そして、おそらくタコたちも我々と似たような主観的な経験をしている可能性が高い。「これはおそらく知的なエイリアンとの遭遇に最も近いだろう」と著者は言う。

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本書の若干の欠点を述べておくと、著者が多数挙げている逸話はやや散漫でまとまりに欠けるようにも感じられた。それでも、タコたちの知能の高さによるお茶目なエピソードはおもしろく、著者のタコ愛が感じられた。タコの寿命は短く、野生状態ではせいぜい1〜2年しか生きられないという。著者がそれを知ったときのショックを書いた文章は、こちらも少し悲しくなってしまうほどだ。

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本書の翻訳は11月17日に出版された。(原書を読んだため邦訳は未読)

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

 ロドニー・ブルックス氏も、本書の内容を取り上げ未来のロボットの意識と知能のありかたを議論している。

読書メモ:オピオイド危機あるいは"ピル"ビリー・エレジー 『Dopesick』 (ベス・メイシー)

現在アメリカでは薬物中毒が深刻な社会問題となっていると、おそらく一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。過去20年の間に、700万人以上が薬物中毒となりそのうち20万人以上が死亡した。50代以下の若年層では、既に交通事故や銃器による年間の死者数を上回っており、HIV/AIDS問題の初期よりも速いペースで死者が増加しているという。2017年10月には、トランプ大統領により「公衆衛生上の非常事態」が宣言された。

本書『Dopesick』は、ヴァージニア州の地元新聞社の元記者であるノンフィクション作家、ベス・メイシーによって書かれたオピオイド危機の始まりから現在までのルポタージュだ。著者は、ヘロイン中毒で19歳の一人息子を亡くした母親の疑問「なぜ息子は死んでしまったのか?」という問いに答えるために、調査を進めていく。 

Dopesick: Dealers, Doctors, and the Drug Company that Addicted America (English Edition)

Dopesick: Dealers, Doctors, and the Drug Company that Addicted America (English Edition)

 第一部では、どのようにして現在の薬物危機が始まったのかが描かれている。

1996年、製薬企業のパーデュー・ファーマ社は鎮痛剤オキシコンチン (OxyContin) を発売した。「鎮痛剤」とは言っても化学的にはヘロインに似た化合物であり、もともとは末期癌患者の疼痛を抑えるものとして開発されたらしい。ところが、実際には癌患者以外にも大量に処方されるようになっていった。

背景には、パーデュー社の強烈なマーケティングキャンペーンがある。12時間という長い時間作用が継続し依存性も小さいという謳い文句で、医師に処方箋を書くよう積極的に売り込んだのだ。そればかりでなく、医師に金品を提供したり、研修などの名目で接待旅行に連れていくことすらあったという。2000年代までに、オキシコンチンは年間20億ドルを売り上げる大ヒット商品となった。

しかし、オキシコンチンの流行に伴なって、その依存や乱用も社会問題化した。実際のところ、オキシコンチンの持続時間は12時間以下であり、患者は短時間のうちに何度も服用しなければならなかった。加えて、パーデュー社は臨床実験により持続時間の問題を認識していながらも、売上を維持するために隠蔽していたのである。

当初、薬物乱用は個人の問題であり薬剤そのものに問題はないとパーデュー社は主張していた。しかし、2007年、パーデュー・ファーマ社は「誤った宣伝により世間をミスリードした」ことにより有罪判決を下され、示談金として約6億ドルを米国政府に支払うこととなった。(この示談金額は当時、米国史上最高額であったという) 更には、パーデュー社の社長、研究開発の責任者、代表弁護士の3名個人に対しても約3500万ドルの罰金刑が科されたのだった。

“The corporation feels no pain.”

普通の物語であれば、悪徳大企業とその幹部に罰が下されてハッピーエンドを迎えるところかもしれない。ところが、オピオイド危機はその後も続いていく。パーデュー社はその後もオキシコンチンを販売し続け、2007年の裁判前後で売上は一時落ち込んだものの、2010年代を通して年間20〜30億ドル程度の売り上げが続いている。

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上記グラフは 'You want a description of hell?' OxyContin's 12-hour problem #InvestigatingOxy - Los Angeles Timesより引用

更に悪いことに、乱用が社会問題化した結果オピオイド系処方薬の入手が難しくなったため、中毒患者は、オキシコンチンの禁断症状を抑えるために、コカインやヘロインなどの安価で入手の容易なハードドラッグを使用するようになっていった。

続く第二部と第三部では、深化する薬物危機と、今なお継続中の危機からの回復過程、特に依存症治療に関する問題に焦点が当てられている。

著者は多くの人にインタビューを行ない、薬物中毒のミクロな姿を描き出そうと試みている。中毒患者たちは郊外に住むごく普通のアメリカ人労働者で、薬物中毒になったきっかけも「親しらずの抜歯後に鎮痛剤として処方された」、「失業と貧困による不安を柔らげるために薬物から抜けられなくなった」、「両親が持っていた鎮痛剤を興味本位で試してみた」といった程度のものだ。

著者がインタビューした人々は、中毒患者本人や医師、冒頭でも取り上げた通りの息子を薬物中毒で亡くした母親、その息子に薬を売った売人にまで及ぶ。(取材対象者の人数が極めて多いため、人名を確認するために何度も本を行ったり来たりしなければならなかった。KindleX-Rayが便利でした…) 時として、著者と対象者の交流は、ジャーナリストとインタビューイの関係を越えて、心から共感し合っているようにも見える。


子を喪った親の疑問には、おそらく決して答えが与えられることはないだろうし、アメリカの薬物問題は現在でも続いている。それでも、著者の暖かな人柄が感じられるとともに、現代アメリカの薬物問題のさまざまな側面に光を投げ掛けるとても貴重な一冊なのではないかと思う。

余談

痛みの問題は意識の問題に似ている。それが自分にあることは確実だが、他人にそれを明確に証明することは難しい。形而上学的な議論であれば、「意識は客観的に証明できないから存在しない」と言い切ることもできるかもしれないが、臨床の現場ではそうはいかない。鎮痛剤乱用の根本には、そんな「痛み」の性質がある。

But what exactly was adequate pain relief? That point was unaddressed. Nor could anyone define it. No one questioned whether the notion of pain, invisible to the human eye, could actually be measured simply by asking the patient for his or her subjective opinion. Quantifying pain made it easy to standardize procedures, but experts would later concede that it was objective only in appearance—transition labor and a stubbed toe could both measure as a ten, depending on a person’s tolerance. And not only did reliance on pain scales not correlate with improved patient outcomes, it also had the effect of increasing opioid prescribing and opioid abuse.

合わせて読みたい 

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 薬物問題そのものがテーマではないものの、昨年評判になった『ヒルビリー・エレジー』も、本書と同じくアパラチア地域での薬物・貧困問題を取り上げている。(ただし、この本の著者の、成功者が後ろ足で故郷に砂をかけていくような態度はあまり好きになれなかった)

翻訳依頼に関するスタンスについて

最近、Twitterやメール等で「記事や本を訳してほしい」という依頼を頂くことがあるので一応明記しておきます。

私の翻訳は純粋な余暇の趣味の活動なので、報酬の有無に関わらず基本的にはお受けしておりません。依頼があった記事について、気が向いた場合には趣味の範囲で訳すことがあるかもしれませんが、その場合にも期日やクオリティについてのお約束はできません。

とは言え、「こういう面白い記事や書籍があるよ」という情報提供はいつでも歓迎です!

翻訳:ケク戦争Part4 闇の中でうごめくもの (ジョン・マイケル・グリア)

以下は、ジョン・マイケル・グリアによる"The Kek Wars, Part Four: What Moves In The Darkness" の翻訳です。


The Kek Wars, Part Four: What Moves In The Darkness

前回のケク戦争のスリリングなエピソードでは、アウトサイダーの一団が、集合的に「ちゃんねる」と呼ばれるオンラインフォーラムのネットワークによって結び付けられた方法を語り、またケイオス・マジックの方法で武装した彼らが、意味のある偶然の一致と奇妙な出来事の只中にいると見出したことについて語った。それらは、多かれ少なかれ、カエルのペペ、古代エジプトの神ケク、そしてドナルド・トランプの大統領選挙勝利に関連していたのだ。オカルトと密接な関係を持った深層心理学のある学派について知っている読者は、これらすべてが何によって起こされたのかを理解していると思う。しかし、その知識は今日では一般的ではない。

それを念頭に置いた上で、読者諸君、あなた方をスイスのチューリッヒ湖の湖畔にある石塔にバーチャルな旅へとお連れすることをお許し願いたい。そこで我々はカール・ユングと出会うだろう。

誰に尋ねるかにもよるが、ユングはオカルティズムに精通した心理学者か、あるいは心理学を語っているかのように人を欺いたオカルティストであるかどちらかだと言えるだろう。(私自身は、後者の説明に傾いている) いずれにせよ、ユングは20世紀における最も興味をそそる思想家の一人であり、彼の教えの中には我々が議論している出来事に大きな光を当てるものがある。

彼が詳細に議論したこととしては、たとえば、先週のエピソードで議論した通りの、奇妙だが意味のある偶然の一致の連続が挙げられる。ユングはこれらのパターンをシンクロニシティと呼び、--ノーベル賞受賞者である量子物理学者ヴォルフガング・パウリと共著した本で-- 通常の因果関係とは完全に分離した、宇宙を結びつけるコネクションのパターンが存在することを実証したのである。ユングは、自身の臨床経験から、ある種の深刻な精神的緊張にある患者の周囲でシンクロニシティが重なり合い、患者の問題の根本原因と治癒への道を示すことを観察したのだ。

ユングシンクロニシティについて多くのことを語っているけれども、ここで関連があるのはシンクロニシティがランダムに現れないということだ。何かに集中しているとき、とりわけ特定のイメージとアイデアの周囲に心を向けているときには、精神の暗い場所で何かが動いているのが分かるだろう。この「何か」がユングの研究の焦点となった。彼はそれをアーキタイプと呼んだ。

仮に、通常の思考が心の海の表層を泳ぐ小魚であるとすれば、アーキタイプは深海でいななく巨大なクジラである。それらは潜在的な感情のエネルギーと結び付けられた非理性的なイメージの塊であり、また人間の精神に対して最も基本的な思考の原材料を提供する。アーキタイプは決して意識の明光が当たる表層へと浮かび上がることはない; せいぜい1つか2つのイメージが時おり浮かび上がり、否応なしに意識的な精神の内容を一掃し、意識的な理性とはまったく関係のない形を与えるのだ。

アーキタイプの働きを理解する最も簡単な方法は、心に現れる最もありふれたアーキタイプを追いかけることであろう。おそらく、発見が最も簡単なのはユングがシャドウと呼ぶアーキタイプである。これは、敵、ライバル、憎悪し恐怖する他者のアーキタイプであり、このアーキタイプに気付くことが極めて容易であるのは、心理学者たちも遥か昔から認識していたからである。人々は、自分自身について絶対的に耐え難い性質のすべてを一貫してシャドウに割り当てるのだ。

おそらく、読者諸君も、少し考えれば「憎悪に落ちる」とでも呼べるような人類共通の経験をしたことがあるだろう。個人的であれメディアを通してであれ、誰かに出会う。すると、その人の何かがあなたに嫌な摩擦を起こす。すぐに、あるいはゆっくりと、状況に依存するものの -- ある人々は他の人よりも憎悪に落ちるのが速いが -- その人物は、あなたが見知った普通の面倒な人とは区別されるようになる。あらゆる言葉が、あらゆる性格が、あなたの神経を逆撫でする; 彼はすべての毛穴から憎悪を発している; どんなふうにヤツの顔を殴ってやろうか、と考えることなしに顔を見ることはできない。どれほど真剣に努力しても、あなたの憎悪がからむ対象に対して客観的にはなれない。そしてこの過程が進むと、あなたの憎悪を共有してくれない人々と会話することもできなくなってしまう--何らかの理由により、あなたが嫌う対象に対する合理的な批判でさえ、他の人からは唾を飛ばした激しい激昂であるかのように扱われてしまうのだ。

ユングの見方によれば、ここで発生していることは、シャドウのアーキタイプがあなたの思考を支配し、あなたを通して他人へとシャドウを投影したのである。そんな投影が働いている間は、対象人物のことを文字通り明白に考えられなくなる。なぜならば、その人に関するあらゆる思考は、アーキタイプの動きにより一掃されてしまうからだ。まるで、投影の対象を見た瞬間、突然目の前に激怒の色のフィルターが下ろされたかのように。この激しい怒りの秘密として、逆に、あなたが対象に対して言うことすべては、実際には、あなたがあなた自身について耐え難いと考えている何かなのだ。もしもあなたが「嘘吐き!」と叫ぶのであれば、投影の機能を知っている人は、あなたは実際には自分自身の不誠実さに耐えられないのだと認識するであろう。もしもあなたが他人に「いじめだ!」と叫んだら、あなた自身のいじめを好む性格が表現されているのだ、など。

f:id:liaoyuan:20180929112009j:plain:w180:leftシャドウとして投影される性質は、必ずしも一般的な感覚で道徳的に悪とされるものではないと述べておく必要がある。この連載の以前のエピソードで、たとえば、私は伝統主義思想家のユリウス・エヴォラを取り上げた。彼の文章を読めば、近代社会の軟弱さと 人道主義 ヒューマニタリアニズム--後者はエヴォラの語彙では汚い言葉なのだ-- に対する嘲笑うかのような軽蔑に満ちていると分かるだろう。更に言えば、エヴォラを個人的に知っていた人たちの文章から判断すると、彼は自分自身の親切心、丁寧さ、共感的な性格を呪っていたという。そこで、彼は周囲の社会に対してそのシャドウを投影したのである。彼の最も知られた著書『近代社会への叛乱』は、そのようなものの常として、究極的には彼自身に対する叛乱だったのだ。

通常の合理的な嫌悪と、シャドウの投影の違いはどのように区別されるのだろうか? 極めてシンプルである。しかし、「シンプル」であることは「簡単」と同じものではないのだが。アーキタイプは絶対的であるが、一方で人間は決してそうではない。最悪の人間の中にも、それでも賞賛されるべき性質がある。我々の種のうちの最良の人々の中にも卑劣な性質が存在するように。あなたが嫌悪する対象を見て、少しばかり考えた上で、その人に関して賞賛できると思う特徴をいくつか列挙してほしい --皮肉や反語ではなく、心から賞賛できる特徴を-- それができるならば、おそらくあなたはシャドウのアーキタイプには捉われていない。逆に、それができないのならば、おそらくあなたはシャドウを投影しているのだ; もしも、あなたが嫌う人物にごくわずかでも褒めるべき事が存在するかもしれないという考えを提案すること自体が、あなたを強烈に激怒させるのであれば… まぁ、どうぞご自由に書いてほしい。

シャドウは、単に1つのアーキタイプでしかない; それ以外にも多くのアーキタイプがある。恋に落ちて我を忘れているとき、たとえば、ここでは異なるアーキタイプ -- ユングはそれを性によりアニマまたはアニムスと呼んだ-- が他人へと投影されている。シャドウの投影と同様の効力を持つが、感情的な力は逆方向へと働く。人間同士の激しいインタラクションは、ほとんどが1つまたは複数のアーキタイプにより仲介されている。けれども、すべてのアーキタイプがすべての人々に適用されるわけではない。人間全体に普遍的なアーキタイプが存在する一方で、人類の特定の小集団に向けたアーキタイプも存在する。

ユングは、有名な1936年のエッセイ『ヴォータン』で、このようなアーキタイプについて論じた。ヨーロッパのほとんどの人々が、その頃ドイツ首相に就任したチャーリー・チャップリン髭の愉快な小男は三流のムッソリーニワナビーに過ぎず、ドイツ政界でいつも通りのけいれんが起きればすぐに政権から叩き出されるだろうと考えていた頃、ユングは、より深いところでより恐しい何かが働いていると捉えていた。「ドイツでハリケーンが発生した、」と彼は記した。「我々が未だ良い天気だと信じている間に。」

そのハリケーンとは、ユングが示したところによると、人類すべてに属するのではなく、中央ヨーロッパに住む特定の人々に適用されるアーキタイプの覚醒であった。ユーラシア平原から起こる広大な大地が、アルプス山脈と北海の間を走る丘陵と渓谷にぶつかる場所である。そのアーキタイプは、古代の神ヴォータンの神話と関連していた。今日では、ほとんどの人々はこの神をほぼ同等の神オーディンと同一視している。その活躍と運命が古ノルド詩で謡われ、あるいはリヒャルト・ワグナーのオペラ、ニーベルングの指輪で中心的な役割を果たす神として。けれども、ドイツ民話には異なるバージョンのヴォータン神話がある。それは雷雲に乗った恐るべき狩人の姿をしており、真夜中の空を巨大な幽霊の軍勢を率いていく。

神々がアーキタイプの反映であるのか、あるいはアーキタイプが神々の反映であるのかは、また別の機会に議論するとしよう。ここで関連のあるポイントは、ユングは他の誰もが気付けなかった何かを捉えたということだ。19世紀の暮れ以来何十年にもわたって、何かが中央ヨーロッパのドイツ語圏をかき回していた。自信に満ちた時代の重厚な合理主義を揺るがし、人間の意識が自然の力と融合した深い場所へと飛び込んだ何かが。敗戦と苦しい経済的不況の目覚めにおいて、アーキタイプの力はありえそうにない依代を捉えた -- 芸術家から政治扇動者へと転じたオーストリア人、名はアドルフ・ヒトラー-- そして、ヨーロッパの大部分を 大渦 メイルストロムへと巻き込み、その結末は、ヴォータン神話の結末と同じく、神々の黄昏ゲッターデンメルングであった。

ドナルド・トランプの2016年の選挙運動を取り巻くシンクロニシティの連鎖は、それと完全に異ならない何かが今日のアメリカでも働いているように思える。ヴォータンは、けれども、アメリカ人のアーキタイプではない。アメリカにもワイルドハント*1と同等の物語があるけれども -- 古いカントリーミュージックのファンは、古典的な曲「ゴーストライダー・イン・ザ・スカイ」を思い出すかもしれない-- 八本脚の馬スレイプニルに跨る死者の王はその曲には登場せず、またアメリカの神話と民話一般でもそれは同様である。我々は、どこか別のところで今日の政治に影響を及ぼしているアーキタイプを探さなければならない。

聡明なネイティブ・アメリカンの哲学者であり活動家でもあるヴァイン・デロリア・ジュニアは、彼の最も影響力ある著作『神は赤い』で重要な示唆を与えている。宗教改革の目覚めにおいて、西洋のスピリチュアリティは重要な要素を失なったと指摘している --聖地の重要性である。ほとんどのスピリチュアルな伝統には、そして特にネイティブ・アメリカンスピリチュアリティではより顕著だが、地上のある特定の場所は固有の特殊なスピリチュアルな性質と力を備えているとされ、その性質や力はたまたまその場に居住する人には依存しない。デロリアは更に議論を進めて、予防可能であったはずの自然災害に現代アメリカ社会が次々と盲目的につまずく原因は、場の力への神聖な作法を、我々が住む土地の精霊に対する作法を未だ学んでいないからではないかと主張している。--そして、それらの力に対する敬意はネイティブアメリカンのなかに残り続けているものである。

そこで、ここにはちょうど現在アーキタイプとして働いている特定の神話的な存在がいるように思える。

非常に多くのネイティブ・アメリカンの神話には、北アメリカ大陸全体にまたがって、人間が住めるよう世界を作り変える仕事を任された存在、あるいは存在の類型について語る物語がある。ピュージェット湾南部のサリッシュ語を話す部族では、たとえば、 変革者 チェンジャーは月である; オレゴン州の極南西部に住むタケルマ族の間ではトンボであり、西部の乾燥地帯の一部ではそれはコヨーテである、など。ある話では彼は英雄であり、別の話では道化であり、また別の話では理解不能な自然の力である。ディテールは異なるけれども、基本的なテーマは同じだ。かつて、世界は異なる姿をしていた。そして、物語が語るところによれば、チェンジャーがやって来て世界を今の形に作り変えたのだ。

私が一番よく知っているチェンジャーの物語は、特徴的な形式を持つ。その話はエピソード的であり、チェンジャーの旅路、川の河口から源流に向かって進む道のりを辿るのである。

南ピュージェット湾のバージョンでは、たとえば、長く複雑な前日譚の後、月は山々へ向かって川を歩いていく。そこに住んでいるあらゆるものが、彼がやって来ていると知っている。そして、彼らは月を止めるためにさまざまな武器と罠を準備する。なぜならば、世界を変えられることを望んでいないからだ。そして、月は川辺に座り木から大きな平たい板を削り出している男に出会う。「何をしているのだ?」と月は尋ねる。彼は答えて「ものごとを変えようとする何者かが来ている。私はこの板でヤツの頭を殴って、ヤツを殺してやるのだ。」 月は板を取り上げ、それを男の尻に刺す。「これからお前の名前はビーバーだ。人間がやって来たら毛皮のためにお前を狩るだろう。」

月は更に谷を登っていく。そして丘の頂上で不安そうに周囲を見回している別の男に出会う。彼は両手に2本の武器を持っていて、武器には鋭いトゲが付いている。「何をしているのだ?」月は尋ねる。「ものごとを変えようとする何者かが来ている。私はこれらすべてのトゲでヤツを刺して、ヤツを殺してやる。」月は武器を取り上げ、それらを男の頭に刺して言う。「これからお前の名前は鹿だ。人間がやって来たら肉と家のためにお前を狩るだろう。」

そして物語は続く。巧みなストーリーテラーの手により --そして、ストーリーテリングは、ネイティブアメリカン文化の芸術である-- チェンジャーの物語は、状況が許す限りどこまでも続いていく。いくつもの生き生きとした事件が、道徳や英知の一片を伝えることを意図して。チェンジャーと、チェンジャーが変えようとする世界に住む存在との間では、大きな戦闘に繋がるような対立の上昇はない。チェンジャーがついに川の源に辿りついた後、空へと飛んで月になり、あるいは山へと変身する。チェンジャーの運命が何であれ、彼の目覚めによって変化した世界は永遠にそのままの姿で残される。

読者諸君、アメリカ史において、我々の公的生活を良くまたは悪く変貌させる巨大な変化で、このパターンがどれほど頻繁に繰り返されているかに気付いただろうか。すべてを決するただ1回の巨大な紛争はほとんど見られない。ナポレオン戦争の終わりにワーテルローの戦いが起こり、決定的に状況を決した一方で、我々の最も類似した事象であるゲティスバーグの戦いは、ただ南部連合国の満潮を示した南北戦争中盤のできごとに過ぎず、最終的にアポマトックスの戦いに続く道のりの中の一点でしかない。問題の変化は、変化の焦点となった1人の周囲に集中していることが非常に頻繁にある。そして、我々の国家の生命という川を遡るチェンジャーは、次々と危機に見舞われるものの、どうにかしてそれらを乗り越えていく、死や引退によって物語が終わるまで -- そして、物語が終わる時には、世界は完全に変化しており、二度と元には戻らない。

これが、ちょうど今アメリカの生活で展開されているように見えるアーキタイプ的パターンである。ネイティブアメリカンの神話で、チェンジャーの役割が魔術の力を備えたカエルによって演じられているのかは分からない。けれども、我々が今いる状況はそのように見える。

現時点では、チェンジャーの神話のうち特に2つの特徴が関連性が高いように見える。最初のポイントは物語の中で巧みに指摘されている。チェンジャーを止め、世界をそのままに留めようとする存在は、チェンジャーが到着した時にも自身の行動を続けるということだ。木の板を持つ男は木の幹を削り続け、多数のトゲのある武器を持つ男は周囲を見渡し続ける。- そして彼らは今日では、ダムの横のビーバー、丘の上の鹿なのだ。変化を拒否したために、彼らは変化できなくなり、失敗した自身の行動計画を永遠に続けるのである。これはまさに、トランプの立候補が躍進を遂げて以来、またはもっと特定すれば彼の大統領就任以来、トランプの敵対者が採り続けている行動である。「これよりお前の名前は抗議者だ。」チェンジャーは言い、その人物の頭にネコミミ帽子*2を被せ、手にプラカードを握らせる…

同じ物語の逆側を見れば、トランプ自身の将来も追えるだろう。選挙キャンペーンの開始以来、トランプの敵対者は、この事件が、あの事件が、また別の事件が、必ずや彼を止めるだろうと確信していた。次々と事件が起こったが、彼は川を遡り、ものごとを変え続けていた。彼らが心から望む巨大な破局は存在しない。決して危機は来なかったし--更には、今後も決して来ないだろう。

これがアーキタイプの特徴である。ひとたび何らかのアーキタイプが人間の依代を見つけ、社会の想像力の内で集合的生活を変貌させ始めた時、もしもアーキタイプを知っていれば、ものごとがどのように進むのかを予測できる。ユングは、先に私が引用したエッセイの中でそれほど多くの予測を立てていない。けれども、ひとたびヴォータンのアーキタイプがその依代を発見しドイツ人のイマジネーションを捉えたら、一直線に終戦ラグナロクへ至るであろうと考えていたことはエッセイの冒頭から明白である。そればかりか、ユングの死後もヒトラーは古典的スタイルで神話の役割を演じ続け、現代世界における死者の王となり、我々の集合的イマジネーションの闇夜を600万人の霊を引き連れて永遠に駆け抜けていったのだ。

ヴォータンはチェンジャーではなく、異なるアーキタイプは異なる運命を追求する。ここまで議論してきたポイントを踏まえると、トランプの歩みを止めようとする将来の試みは、既に試行されてきたこと以上の効果をもたらすことないだろうと思う。取調べでトランプの頭を叩こうとしたり、メディアの弾劾でトランプを突き刺そうとする努力は間違いなく継続されるだろう--実際のところ、神話を眼にした上では、ミュラーの調査*3が何の効果も上げられないまま長期間ダラダラ続いていったとしても驚かないし、メディアや公式のインテリゲンチャからの狙撃がわずかでも減少したとしたら、私は驚くだろう--けれども、それらすべては結果に影響を与えることはあるまい。2025年の始まりに、ドナルド・トランプが後継者へと大統領の地位を受け継ぐ時、長きにわたる危機の連鎖も決して私を脱線させられなかった、と彼は回顧するであろう。その時には、更に、この国と世界は元に戻らないほど変化しているだろう。

この連載記事の最初の2件を見れば、トランプ時代の向こう側で形作られる新しいリアリティを予想することはそれほど難しくない。連邦規制の劇的な削減、労働者階級の雇用のオフショアリングを推奨する一方的な自由貿易協定の終焉、そして、大規模な違法移民の暗黙的推奨政策の終焉と、その結果としての賃金と福祉の下方圧力の終焉--トランプ政権のすべての中核を成す政策--は、アメリカ国内社会から管理貴族を追放し、経済力の劇的な再均衡リバランスを暗示している。政治におけるリアリティとはこのようなものであり、またこれは政治的な影響力にも同様に劇的なリバランスをもたらすだろう。既に我々は活発な社会主義者の反乱が民主党エスタブリッシュメントを脅かしつつあるのを目撃している。それより劇的ではないものの、同じように広範な影響力を持つポピュリスト候補者が共和党流入を始めてもいる。主流派メディアと公式のインテリゲンチャの声高な非難にもかかわらず、代替策はある [There Is An Alternative] のだ --実際のところ、1つ以上ある-- そして、それ自体が、過去40年間にわたる強制的コンセンサスが我々の周囲で粉砕されつつあると示している。

国際環境にも同様の劇的な効果をもたらすだろう。直近の管理貴族が権力と富を保持していた理由は、アメリカ合衆国が全世界のほとんどでヘゲモニーを維持していたからである。我々の帝国は--イエス、分かっている。このような単語を使うことは不適切かもしれない、しかし現実を話そう--我々の帝国が、と私が言っているのは、人類の5パーセントに過ぎないアメリカ合衆国の居住者が、惑星の資源の4分の1と工業製品の3分の1を独占しているからだ。また当然、それらはアメリカ人の間でもまったく平等に分配されていない。オールドマネーの名家と、テック株のゴジラ長者 [godzillionaires] たちが、多かれ少なかれ、揃ってトランプ政権の反対者の周囲に集っている事実は、彼らは風向きがどちらであるかを完全に理解していると示している。

あらゆる帝国の歴史には、帝国を維持するコストが利益を超過する地点がある。我々は既にその点をかなり前に通過してしまった。そして、アメリカの労働者階級を貧窮と悲惨へと突き落す政策は、帝国の維持費をあらゆる者に押し付けることで特権階級の安寧を維持しようとする試みとしては、とてもよく理解できる。自由貿易協定の終焉、NATOのような対外軍事協定からの撤退、ロシア、北朝鮮その他の敵対国との暫定協定に向けた第一歩は、帝国からの撤退においては必須のステップである。遠く離れた未来、川を遡るチェンジャーの旅路の向こう側で、我々はポスト帝国時代のアメリカの最初のぼんやりとした予兆を眼にできる。運が良ければ、その国は今ほどの激しい階級間対立によって引き裂かれておらず、そのため多くの喫緊の問題に少しだけ上手く対処できるかもしれない。

覚えておいてほしい。今から50年後にも、屋根裏部屋から持ち出した虫食いのネコミミ帽を被る人々は確実に存在しているだろう。そして、古き良き時代を懐しく追憶するのだ。まだアメリカ合衆国が世界に代わりのない国であると装うことができた時代、バラク・オバマが攻撃ドローンを使って世界の裏側で結婚パーティを蒸発させていた時代、嘆かわしい人々が未だ自身の持ち場をわきまえていた時代を。それが時代遅れになった貴族の本質である; より広いスケールでは、それが歴史的な変化の本質なのである--特に、集合的精神の深層パターンが行動へと波及し、その目覚めに従い衰退する時代の前提を後に残していった時には。

*1:訳注:ワイルドハント - Wikipedia

*2:訳注: トランプに対する抗議として、ネコミミの帽子(pussy hat)を身に付けるという運動がある。トランプが「女性のpussyを掴んでやる」と発言したことに由来するのだとか。

*3:訳注:特別検察官ロバート・ミュラーによるロシアの大統領選挙介入疑惑の調査

翻訳:ケク戦争Part3 カエル神の凱旋 (ジョン・マイケル・グリア)

以下は、ジョン・マイケル・グリアによる"The Kek Wars, Part Three: Triumph of the Frog God" の翻訳です。


The Kek Wars, Part Three: Triumph of the Frog God

前回のケク戦争についてのスリリングなエピソードでは、何千人もの不満を持つ若者たち、我々の社会の特権サークルから締め出され独立した大人への通常ルートを否定された人々が、どのようにして魔術へ向かっていくのかを確認した。この連載記事の最初で議論した通り、魔術は排除された者にとっての政治である; 意思に従って意識に変化をもたらす技芸と理論 --ダイアン・フォーチュンによる魔術の古典的な定義-- は、自身の要求と要望を気付かせたり、不満の救済を求める方法をすべて否定された者にとっての論理的なリソースとなる; また、特定の、明確なポストモダン版の魔法、ケイオス・マジックは、容易にアクセス可能であり、目前の作業に対して適していた。

次に何が起こったか理解するためには、おそらく、読者の大部分が現実に遭遇したことがないであろうインターネットの一角に飛び込む必要がある; 集合的に「ちゃんねる [the chans]」として知られるオンラインフォーラムである。それらの始まりは、日本語のアニメファンのための電子掲示板、ふたばちゃんねるなど無害なものであり、後にネット上のスラングで「2ちゃん」と呼ばれるようになった。2003年には、アメーバが増殖するようにアニメファンの集団は新たなサイト、4chanへと分離した。そこでは英語で同じことが行なわれていたのである。

やがて、同様にして8chanといった他のサイトも4chanから派生していった。4chanその他の子孫は、匿名の管理されない会話の場所であり、どんな話題でも許容される場所である -- 一般常識に対して攻撃であるほど、より望ましいとされる。トランプが立候補を宣言するよりずっと前から、ちゃんねらーはインターネット文化に多大な影響を与えていた。ほとんどの読者は、たとえば、lolcat*1が何であるか知っているだろう。4chanがlolcatsを発明したのだ。4chanと他の分派の掲示板に存在する下位グループとして、/pol/, 「政治的に不適切 [pollitically incorrect]」という板 *2 があり、若く不機嫌な人々が集まって今日の職場や大学では話すことを許されない話題について会話しているのである。

この現象は少しばかり掘り下げておく価値があるだろう。道徳史の教訓として、何かを強烈に抑圧すればするほど、人々はますます必死にそれを求めるようになる。ビクトリア朝イングランドで、礼儀正しい社会ではまったくセックスについて言及されなかった時には、ロンドンの道には売春婦が溢れ、娼館は繁盛し、大っぴらには話せない夢を私的に満たすことができたのである。同様に、近年のアメリカにおける薬物乱用の蔓延も、過剰宣伝された「薬物戦争」の産物であることはほどんど疑いがない。-- 薬物依存を通常の医療問題として扱い、道徳的な見世物の対象としない国では、薬物乱用率ははるかに低いのである。

近年の「ヘイトスピーチ」に対する抑圧も、今日のアメリカにまったく同様の効果をもたらした。大学の講義に出席したことのある人、あるいはホワイトカラーの仕事に就いている人であれば、嫉妬深いライバルによってあらゆる言葉が検査され、性差別、人種差別その他への告発が、地位を求める競争で武器として利用されると知っているだろう。ほとんどの人は、そんな息苦しい環境に押し込められたとしたら、深呼吸ができ、どれほど攻撃的であれ言いたいことを何でも言える場所を必死で追い求めるだろう。ちゃんねるは、そのような自由を提供するインターネット上のサイトである。ちゃんねるの投稿は匿名であるため報復を受ける心配はなく、また、ちゃんねるの文化では (特に /pol/ は) 過激な言説ほど賞賛される傾向があるため、先週の記事で議論したような負け組の人々を吸い寄せる磁石となった。何らかの理由により、確立された社会秩序の使用人となる戦いに敗北し、急落する賃金と上昇する家賃によって独立した大人への通常の道のりから締め出された人たち。そして、あらゆる答えを保持しているという優越感に自惚れたシステムにより、その数を増やされた人たち。

ちゃんねらーを人種差別主義者、性差別主義者あるいは反ユダヤ主義者として非難することは、儀礼上必要不可欠となった。/pol/ やその他の同等の場所に人種差別、性差別、または反ユダヤ主義は存在するのだろうか? もちろん存在する。しかし、それがすべてではない。匿名での発言を許容する場は、激しく禁じられている言説なら何であろうと取り扱える。ちゃんねるで繰り広げられていることは、それらのカテゴリが指し示すものよりもかなり広い: 文化的な主流派のあらゆる価値観、あらゆる偏見、あらゆる前提が、最大限の歓喜をもって弾劾されている。それはアウトサイダー文化で普通に見られるものである。

また、奇妙なマスコットが、内輪向けスラングが含まれたジョークを言っているのも眼にしたことがあるだろう。ここでカエルのペペが登場する。カエルのペペは、マット・フューリーの漫画、『ボーイズクラブ』のキャラクターとして2005年に登場した。典型的な怠け者であり、いかなることも気にかけないキャラクターである。よくある通り、彼はインターネットを横断して最終的に /pol/ のマスコットとして受け入れられた。そして、「ケク」という言葉があった。オンラインゲーム『ワールド・オブ・ウォークラフト』のゲーム内で、他のグループにLOLというメッセージを送信しようとすると、ソフトウェアの奇妙なバグによりそう表示されてしまうのだ。ちゃんねらーの間では、「ケク」は笑い声を意味するようになった -- 奇妙なことに、それは韓国語で笑いを意味するのだ。

もう一つ、何が起こったかを知るために、説明しておくべきちゃんねらー文化がある。ちゃんねるのそれぞれの投稿には、掲示板ソフトウェアにより8桁の番号が割り当てられる。投稿者は、投稿を終えるまで番号が何であるかを知る方法はなく、最初はジョークとして、次第にちょっとした強迫観念的に、連続した数値が探されるようになった。 - たとえば、14186333の333のように。二重の数字は「ダブ」で、三重の数字は「トリップ」であり、以下同じように続く。繰り返された数字が何であれ「キリ番 [get]」である。*3

ドナルド・トランプが大統領選挙への立候補を宣言した瞬間、相当数の /pol/ 参加者が彼の大義の元へと集った。それはマッチしていたのだ -- まぁ、おそらく完璧ではないだろうが、しかしポイントは理解できるだろう。トランプのデカい態度と、リアリティTVのスターが大統領選挙に出馬するという強烈なパロディ的ポテンシャルによって、またアメリカ政治の一般通念に対する大声の拒否によって、彼はすぐに /pol/ 住人たちのお気に入りとなった。トランプが提供するまで代替策はなく、連邦規制の大規模な削減、自由貿易イデオロギーへの拒否、違法移民の暗黙的な推奨の終了を要求する者は存在しなかった: つまり、アメリカ人労働者階級を粉砕した政策の3つの中核的要素を排除することである。明白な理由により、我々が議論している場では、これらすべてが極めて強く肯定された。

そして、 /pol/ の住人たちが気付いたところによると、トランプに言及する投稿は、普通でないほど多くの「キリ番」を得られたのだ。

その時までに、/pol/ 上のトランプの支持者たちの中にはケイオス・マジックを学んでおり、彼らの候補者を代表して魔術を使い始めていた。トランプの髪をカエルのペペにかぶせるミーム、トランプの隣にペペを副大統領候補として並べたり、あるいは、それ以外の方法でペペをトランプの選挙運動に関与させるなどのミームがちゃんねる上全体で活発に投稿され、インターネットへも広がっていった。トランプを支持する投稿が大量の「キリ番」を生み出すにつれて、大声のケッキング [kekking] も上がっていった。-- そして、2016年6月19日が来て、匿名のユーザが関連のない投稿の連続に対する返信として「トランプは勝つ」とタイプし、エンターボタンを押した。

その投稿の番号は、「77777777」であった。

それと同じころ、ちゃんねる上の誰かが「ケク」は単にLOLを面白く言うだけの言葉ではないと気付いたのである。それは、古代エジプトの神の名でもあり、光を生み出した原始の闇の神であり、ヘルモポリスの都市で崇拝されていた -- そして、しばしば擬人化されたカエルとして描かれていた。この手がかりに続いて、別の匿名ユーザがインターネット上で古代エジプトのカエルの銅像の写真を発見し、これをケクの像であると見なしたのである。実際には、それはカエルの女神ヘケットの像であったのだが、当初それに気付いた者はいなかった -- また、ヘケットの名前のヒエログラフ文字は、不気味なほどにコンピュータのスクリーンの前に座る人に似ており、スクリーンの逆側に描かれた渦巻き形は、まるで魔術的なエネルギーを発しているようにも見える。

これがちゃんねる全体に広まった後では、ドナルド・トランプはケク神によって選ばれた候補であると、昼の光をもたらし、カエルのペペとして顕現し、「キリ番」により承認を世に伝えたのだときわめて多くの人が確信したのである。あるいは皮肉な言い方をすれば、彼らは確信しているかのように装い、また、すべての出来事は彼らが確信したかのように進んでいったのだ。それに反応して、/pol/ のケイオス・マジシャンたちは即座に行動を起こした。2016年の大統領選挙を追いかけていた読者たちは、当時、民主党候補のヒラリー・クリントンに関するある噂が渦巻いていたことを覚えているだろう。彼女の健康状態は衰弱しており、それをメディアと有権者に隠していると主張するものだ。/pol/ のオペレイティブ・メイジたちは、彼らの努力を一つの目標に集中させた: ヒラリー・クリントを公衆の面前で倒れさせることだ。

2016年の9月11日がやってきて、その日3つのことが起こった。1つ目に、クリントンがカエルのペペを右翼のヘイトのシンボルとして非難したのである。ちゃんねらーたちは大喜びした -- すべては彼らのマスコットに対する無料の宣伝だった! そして、クリントン世界貿易センターテロ攻撃の追悼式典から立ち去る時、カメラに撮影されている前で、彼女はよろめき、倒れそうになり、まるでじゃがいも袋のように待機していたSUVに引きずられていったのだ! 共和党の間で激しく噂が起こり、/pol/ のケイオス・マジシャンの間でもデジタル的に等価な現象が起こり、皆がショックを受けているように見えた。オカルト界隈には、TSWという便利な略語がある。 -- その意味を丁寧に言うならば、「this stuff works [このものは機能する]」である -- 初心者に魔術を教えた人は皆、不可避のTSWパニックに慣れている。魔術を学ぶ者が、魔術には思い込み以上の何かがあると最終的に確信する不安定な瞬間である。通常の場合、ヒステリーに近い状態から会話によってなだめる必要がある。その日、ちゃんねらは彼ら自身のTSWの瞬間を経験したのだ。

そして、同じ日に3番目のイベントがあった。また別の匿名投稿者が、1980年代のポップミュージックの一片を偶然に発見したのである。忘れられていたかもしれないその曲のタイトルは「シャディレイ [Shadilay]」であった。レコードのラベルにはマンガのカエルが描かれており、魔法の杖を持っている。おぉ、そのバンドの名前は? P.E.P.E だ。ヒラリー・クリントンがカエルのペペを非難し、倒れたちょうどその日にこれがちゃんねらーたちを襲ったのである。多くのちゃんねらー達は決断した。あるいは、皮肉な言い方をすれば、決断したかのように装ったのである。そして、すべての出来事は彼らが決断した通りに進んでいったのだ。すなわち、カエルの神ケクからの大いなる信任を得たのであると。

「シャディレイ」の曲は、正式に /pol/ の国歌となり、「シャディレイ!」という言葉自体も、ケク神への信仰へを示すものとして、敬虔なムスリムにとっての「 アッラーは偉大なり アッラーフアクバル」と同様のステータスを持つ言葉となった。その後、もしもドナルド・トランプがちゃんねる上の支持者に対して海へと歩いていくように呼び掛けたならば、彼らがそのような行動を取った可能性は十分にある。- そして、/pol/ その他に集ったケイオス・マジシャンたちは、選挙キャンペーンが最も重要な局面に差し掛かる数週間に、カエルの神の旗印のもとに狂気じみた熱意を持って集い、その熱意は投票日までずっと続いたのである。

これが、2016年の大統領選挙を形作った魔術の衝突の一つの側面である。では、別の面とは? 話が本当に面白くなってくるのはここからだ。

ケク戦争の最初のエピソードでは、我々は、どのようにして社会の排除された者と排除する者との間で亀裂が生じるかを語った。そして、これらの分離した非対等な半分の各々が魔術へ向かう理由についても語った。排除された者は変化を求めて、排除する者は変化の必要がないと自分を確信させるために。ほとんどの状況においては、これらの2つの魔術的な意図は、比較的安定したバランスを見つける。貴族は、自分たちの側に真実と礼儀が存在し、世界はすべて正しいと確信して自己参照バブルの中で愉快に踊る。一方で、バブルの外にいる人たち、自身の要求と要望の追求と不満の救済を阻止された人々は、彼ら自身の生活を改善するためにケースバイケースで魔術を適用する。

これは、特権を持つ階級が、あらゆる人々の犠牲のもとに自分自身に利益をもたらす政策以外に代替策はないと思い込んだ場合の平常運転 [business as usual] である。前回のエピソードで言及した誤りが犯されると、これは異常運転 [business as unusual] へと変わる。 すなわち、雇用できる以上の人間を管理業務のために教育するという慣習により、豊富なスキルを携え将来の見込みのない十分に巨大な知的アンダークラスの若者が作られ、システムの転覆を目指して利用可能な戦略に眼を向けるようになった時である。

この時点において、排除する者の魔術が破滅的な責任を負うようになる。特権階級によるファッショナブルなスピリチュアリティの利用により、まさに眼と鼻の先で起きていることが完全に見えなくなってしまうのだ。最初のエピソードで言及した通り、発生した事象を無視するリスクがより深刻になるにつれて、リスクを無視することは何よりも魅力的になる。

実例? イングランドのチャールズ1世は、後期ルネッサンスのヘルメス主義を用い、エスタブリッシュメントキリスト教スピリチュアリティを堅実に実践したことにより道を見失い、彼の政策は国家を内戦へと一直線に導き、戦争に敗北し処刑された*4。ニコラス2世、全ロシアのツァーリは、ロシア正教会スピリチュアリティ神秘主義を用い、同様の窮地へ追いやられまったく同様の血なまぐさい結末を迎えた*5アドルフ・ヒトラーは、ウィーン時代に学んだポップなオカルティズムを用い、自身と彼のインナーサークルに対して敗北の可能性はないと確信させ、結果として更に破滅的な敗北を迎えた。

そして、ヒラリー・クリントン。確かに、トランプは選挙の勝利を目指して熱心に運動し、集会から別の集会へと地方を巡業し、主流派メディアを迂回して自身のメッセージを有権者へと直接伝える努力で大きな成功を収めていた。それでも、クリントンの驚くべきほど不活発なキャンペーンによって、トランプはホワイトハウスへと進む道のりを助けられたと言うのは公平だろう。

いくつかの失敗は、クリントン自身の行いにあることはかなり明白だ。たとえば、彼女の2016年のキャンペーンは、2008年の民主党指名選挙で敗北した際の運動とまったく同一であったということは示唆的である。選挙運動の初期において、かつてバラク・オバマが演じた役割をバーニー・サンダースが再演したのである。それにもかかわらず、過去と同様に予備選で敗北しなかった唯一の理由は、クリントン民主党の幹部を味方に付けていたために、党幹部はクリントンが指名されるように規則を曲げ、破り、無視したからである。もちろんその行いの対価は、一般投票においてクリントン自身に大きく降りかかった。何百万人という民主党有権者は、指名獲得において不正を働いたと見なす候補に投票するよりは、選挙を放棄して家に留まることを選んだからである。それでも、このようなオウンゴールは、彼女の選挙キャンペーンではごくありふれたものである。

それでも、私はそれ以上の何かがあると思う。クリントンの選挙キャンペーンの運命を定めたのは、他の何よりもまして、候補者自身と彼女のインナーサークルのアドバイザーとマネージャーが、何か悪いことが発生していると気付けなかったことにある。世論調査の度に、大きな割合のアメリ有権者たちが候補者を嫌い、信用していないということが示されたが、クリントンのアドバイザーたちは単に虚空を見つめ、有権者に対してもう一度彼女を紹介するよう定めたのである。それがうまく行かないと --またそれは決してうまく行くことは無かったのだが-- 彼らは虚空を見つめ、同じことを繰り返したのだ。私の視点からは、そして私だけではないと思うのだが、彼らは本当に呪文にかけられているかのように見えた。

選挙運動が進んでいくと、クリントンの組織が現実から奇妙に遊離しているという事実はいっそう顕著になった。民主党の選挙運動の地方組織に携わっていた人たちは、中央本部へ警告を伝えようとする必死の努力について書いている。シカゴのような、仮に民主党がジッピー・ザ・ピンヘッド*6を候補者に指名したとして容易に勝利できるような地域に何百万ドルも費やされている一方で、トランプは重要なスウィングステートで支持を得つつあり、もはや無視することは非合理である、と。トランプが死活的に重要な上中西部で何度も集会を開催し、毎回の世論調査で数字がトランプの方へ傾いていった時、クリントンのキャンペーンはそれらの戦場州を無視し、まるで勝利の運命が宇宙によって定められているかのように、うやうやしく前へと進んでいたのである。

私が知りたいと思うのは、もしも誰かがそんな統計を取っていればだが、クリントンの選挙スタッフのうちの何人が、最近の特権階級の間で広く広がっているスピリチュアリティ、たとえば希釈されたバージョンのマインドフルネス瞑想、ヨガ、その他類似のスピリチュアリティを実践していたかである。それらのスピリチュアリティの実践は、もともとのコンテキストから切り離され、包含していたスピリチュアルなリアリティとの繋がりを失なうと、あまりに効率的に「すべては素晴しい」との確信を抱かせてしまう手法へと成り下がる。たとえ、「すべては素晴しくない」と認識し、破局を避けるためには抜本的対策が必要となる状況にあってさえである。私が耳にしたそのような逸話的な証拠は、スピリチュアルな実践が、少なくともクリントンの選挙スタッフの間で蔓延していたと示している。今日の裕福なリベラル派のサークルで一般的であるように。

言い換えれば、スピリチュアリティクリントンの敗北において重大な役割を果たしたのだろう。同様に、このような主張が今日の工業文明の大部分では受け入れられないと知っているけれども、/pol/ のケイオス・マジシャンのオカルト的な働きも、選挙の結果に何らかの関連を持っているのだろう。オカルティストがよく言うように、TSW [This Stuff Works; このものは機能する] のだ。今日の世界で一般的な通念が、魔術の有効性を説明する理論を提供しているか否かにかかわらず、事実としてこの惑星上のあらゆる人間社会が、あらゆる時代を通して魔術を実践してきた。そのリアリティを最も簡潔に説明するならば、意思に沿って意識に変革を起こす技芸と理論は、本当に、意思に沿って意識に変革を起こすのである。

それでも、ここでは他の力も働いている。その後の影響を見れば明白である。

ドナルド・トランプの勝利による衝撃と喜びからちゃんねらーたちが立ち直った後、同じケイオス・マジシャンたちの多数は、同じテクニックを更に別の類似プロジェクトに用いると決めたのである。カエルのペペとして顕れたケク神に、より多くの魔術を求め、次なるプロジェクトを立ち上げたのだ; フランスの次期大統領選挙で、国民戦線の極右候補マリーヌ・ルペンを当選させることである。彼女は敗北した。何件かの類似プロジェクトが立ち上げられ、/pol/ のケイオス・マジシャンによって強烈に支持されたが、それらも同様に手酷く失敗した。私が知る限りにおいて、これらの他のプロジェクトのうちで、「キリ番」の連続と意味のある偶然の連鎖による答えを得られたものは無かったようである。

一方で、クリントンの選挙キャンペーンを捉えた奇妙な麻痺は、彼女の支持者たちの間で、また更に一般的には、アメリカその他のトランプへの反対者たちの間で凍結されたかのように留まり続けている。毎日毎日、「レジスタンス」を自称する者達が、最近トランプが何かを言ったり行なったりするたびにメルトダウンしている。まるで、激怒の叫び声が効果的な政治行動であるとでも考えているかのように。この時点において、トランプはその効果を自身の目的のために活用しているということはかなり明白である --意図的に、抗議者を狂乱させるような発言をする。すると、彼らは政権が別のところで別の課題に取り組んでいることに気付けないのだ。その課題とは、もしもトランプの抗議者たちが叫び声を上げることに忙しくなければ認識できて抗議をするような課題である。

更には、民主党の側では、次の中間選挙民主党が勝利しうる2つの行動 -- 最初に、2016年の選挙の敗因を見極め、そしてその言動を止めること; 次に、あまりに長い間民主党から無視され、2016年の選挙で家に居たかトランプに投票した民主党の普通の労働者階級の有権者たちの忠誠心を取り戻せる方法を発見すること-- この2つを提案した者は誰であれ、強烈な非難を叫ばれている。その代わりに、トランプの敵対者たちは横断幕を持って行進を続けている。これは、選挙の日以来彼らが取ってきた方法と正確に同一であり、過去の抗議運動と同じく薄い効果しか挙げられないだろう。

私が知る限りにおいて、これらすべてのことが起こるように魔術を使用したちゃんねらーは存在しない。しかし、それは起こっている。次の記事、ケク戦争の最後のエピソードでは、アメリカ政治の表層の下の暗がりで、何がうごめいているのかを説明しよう。

*1:訳注:Lolcat - Wikipedia

*2:訳注: 政治隔離板の類い

*3:訳注:4chan類似の掲示板では、投稿のIDとして、掲示板全体で一意の通し番号が使われる。(スレッドや板単位の番号ではない)

*4:訳注:清教徒革命

*5:訳注:ロシア革命

*6:訳注: 漫画のキャラクター