Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

読書メモ:オピオイド危機あるいは"ピル"ビリー・エレジー 『Dopesick』 (ベス・メイシー)

現在アメリカでは薬物中毒が深刻な社会問題となっていると、おそらく一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。過去20年の間に、700万人以上が薬物中毒となりそのうち20万人以上が死亡した。50代以下の若年層では、既に交通事故や銃器による年間の死者数を上回っており、HIV/AIDS問題の初期よりも速いペースで死者が増加しているという。2017年10月には、トランプ大統領により「公衆衛生上の非常事態」が宣言された。

本書『Dopesick』は、ヴァージニア州の地元新聞社の元記者であるノンフィクション作家、ベス・メイシーによって書かれたオピオイド危機の始まりから現在までのルポタージュだ。著者は、ヘロイン中毒で19歳の一人息子を亡くした母親の疑問「なぜ息子は死んでしまったのか?」という問いに答えるために、調査を進めていく。 

Dopesick: Dealers, Doctors, and the Drug Company that Addicted America (English Edition)

Dopesick: Dealers, Doctors, and the Drug Company that Addicted America (English Edition)

 第一部では、どのようにして現在の薬物危機が始まったのかが描かれている。

1996年、製薬企業のパーデュー・ファーマ社は鎮痛剤オキシコンチン (OxyContin) を発売した。「鎮痛剤」とは言っても化学的にはヘロインに似た化合物であり、もともとは末期癌患者の疼痛を抑えるものとして開発されたらしい。ところが、実際には癌患者以外にも大量に処方されるようになっていった。

背景には、パーデュー社の強烈なマーケティングキャンペーンがある。12時間という長い時間作用が継続し依存性も小さいという謳い文句で、医師に処方箋を書くよう積極的に売り込んだのだ。そればかりでなく、医師に金品を提供したり、研修などの名目で接待旅行に連れていくことすらあったという。2000年代までに、オキシコンチンは年間20億ドルを売り上げる大ヒット商品となった。

しかし、オキシコンチンの流行に伴なって、その依存や乱用も社会問題化した。実際のところ、オキシコンチンの持続時間は12時間以下であり、患者は短時間のうちに何度も服用しなければならなかった。加えて、パーデュー社は臨床実験により持続時間の問題を認識していながらも、売上を維持するために隠蔽していたのである。

当初、薬物乱用は個人の問題であり薬剤そのものに問題はないとパーデュー社は主張していた。しかし、2007年、パーデュー・ファーマ社は「誤った宣伝により世間をミスリードした」ことにより有罪判決を下され、示談金として約6億ドルを米国政府に支払うこととなった。(この示談金額は当時、米国史上最高額であったという) 更には、パーデュー社の社長、研究開発の責任者、代表弁護士の3名個人に対しても約3500万ドルの罰金刑が科されたのだった。

“The corporation feels no pain.”

普通の物語であれば、悪徳大企業とその幹部に罰が下されてハッピーエンドを迎えるところかもしれない。ところが、オピオイド危機はその後も続いていく。パーデュー社はその後もオキシコンチンを販売し続け、2007年の裁判前後で売上は一時落ち込んだものの、2010年代を通して年間20〜30億ドル程度の売り上げが続いている。

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上記グラフは 'You want a description of hell?' OxyContin's 12-hour problem #InvestigatingOxy - Los Angeles Timesより引用

更に悪いことに、乱用が社会問題化した結果オピオイド系処方薬の入手が難しくなったため、中毒患者は、オキシコンチンの禁断症状を抑えるために、コカインやヘロインなどの安価で入手の容易なハードドラッグを使用するようになっていった。

続く第二部と第三部では、深化する薬物危機と、今なお継続中の危機からの回復過程、特に依存症治療に関する問題に焦点が当てられている。

著者は多くの人にインタビューを行ない、薬物中毒のミクロな姿を描き出そうと試みている。中毒患者たちは郊外に住むごく普通のアメリカ人労働者で、薬物中毒になったきっかけも「親しらずの抜歯後に鎮痛剤として処方された」、「失業と貧困による不安を柔らげるために薬物から抜けられなくなった」、「両親が持っていた鎮痛剤を興味本位で試してみた」といった程度のものだ。

著者がインタビューした人々は、中毒患者本人や医師、冒頭でも取り上げた通りの息子を薬物中毒で亡くした母親、その息子に薬を売った売人にまで及ぶ。(取材対象者の人数が極めて多いため、人名を確認するために何度も本を行ったり来たりしなければならなかった。KindleX-Rayが便利でした…) 時として、著者と対象者の交流は、ジャーナリストとインタビューイの関係を越えて、心から共感し合っているようにも見える。


子を喪った親の疑問には、おそらく決して答えが与えられることはないだろうし、アメリカの薬物問題は現在でも続いている。それでも、著者の暖かな人柄が感じられるとともに、現代アメリカの薬物問題のさまざまな側面に光を投げ掛けるとても貴重な一冊なのではないかと思う。

余談

痛みの問題は意識の問題に似ている。それが自分にあることは確実だが、他人にそれを明確に証明することは難しい。形而上学的な議論であれば、「意識は客観的に証明できないから存在しない」と言い切ることもできるかもしれないが、臨床の現場ではそうはいかない。鎮痛剤乱用の根本には、そんな「痛み」の性質がある。

But what exactly was adequate pain relief? That point was unaddressed. Nor could anyone define it. No one questioned whether the notion of pain, invisible to the human eye, could actually be measured simply by asking the patient for his or her subjective opinion. Quantifying pain made it easy to standardize procedures, but experts would later concede that it was objective only in appearance—transition labor and a stubbed toe could both measure as a ten, depending on a person’s tolerance. And not only did reliance on pain scales not correlate with improved patient outcomes, it also had the effect of increasing opioid prescribing and opioid abuse.

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