Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:ふつうの政治の終わり (ジョン・マイケル・グリア)

この記事は2016年4月6日に書かれた。グリアは毎週水曜にブログ記事を投稿しているが、2016年3月は記事投稿を休止しており、2016年4月6日にこの記事で週次の定期投稿を再開した。ジョン・マイケル・グリアによる2016年ドナルド・トランプ当選予測に関するエッセイはこちら

The End of Ordinary Politics

ドルイドも休暇を取るけれども政治は眠らないので、このブログ『The Archdruid Report』の最後の投稿以来の一ヶ月の間、このブログのプロジェクトに関連のあるたくさんのものごとが、アメリカ政治シーンに注意を払っている人々の眼の前を通過していった。今後数週間で他のいくつかも取り上げたいと思う; 私の注意を最も強く引いたのは、読者はおそらく理解できるだろうと思うが、数ヶ月前に私が書いた記事『ドナルド・トランプと憤怒の政治』というタイトルの記事に対する反応である。

論争的なテーマについての私の記事が他のブログに取り上げられ、かなりの量の議論とコメントを引き付けることは珍しいわけではない。一方で、このブログ『The Archdruid Report』の歴史の中で最も読まれた記事になるまでに一週間もかからず、次点の記事の倍以上ものページビューを集め、過去記事で最もコメントされた記事の2倍近くのコメントを集めるとしたら、何かしら尋常ではないことが起きたと言えるだろう。続きの記事、『ヒラリー・クリントンの大転落』は、即座にこのブログの過去記事のうちで2番目に読まれた記事となり、それ以上のコメントを集めた-まぁ、ここでももう一度言えば、私はこの上なくセンシティブな議題に触れたということはかなり明白であるように見える。

こちらも偶然ではないかもしれないが、最初の記事を公開してから1週間程度経って、関連のある2つのできごとがマスメディアを通して浸透を始めていった。最初は、私には最も見込みが高いと思えるのだが、若干のジャーナリストが一般的な粗野なステレオタイプを何とか乗り越えて、あれほど多くの有権者たちが今年ドナルド・トランプの野心を支持すると決断した実際の理由について議論を始めていることだ。私が見て驚いたのは、同じ方向を向いたウォール・ストリート・ジャーナルの記事とペギー・ヌーマンによる思慮深い記事であり、更に驚いたのは類似の点を指摘する記事が他のメディアでも見られたことだ。これが例である別の例はこちら

注意してほしい。私が眼にしたこれらの記事のどれ一つとして、あまりに多数の賃金階級のアメリカ人を、未来へ残された最後の希望をドナルド・トランプへと託さざるをえない状況へと追い込んだ素の現実を捉えられていない。ヌーマンの記事でさえ、ほとんどの記事よりも優れており我々が後で検証するつもりの重要なポイントを捉えているのだが、十分ではない。彼女の分析によれば、問題は、アメリカ人の特権的な下位集団は過去数十年間の公共政策の影響から保護されてきた一方で、それ以外の人々はそのような贅沢を受けていないことだという。これはもちろん正しいのだが、しかしこれはものごとを過少申告している。彼女が語る階級 - 私の記事で提案した用語を使うなら、給与階級の裕福な半分以上の人々- は、単に他のアメリカ人を襲ったトラブルから保護されていただけではない。彼らは、賃金階級の多数を貧困と悲惨に陥れた政策から、直接的にであれ間接的にであれ利益を得てきたのである。そのような厄介なディテールを議論しようとするあらゆる試みに対する給与階級からの反応は、彼らの多くがそれに気付いていると示している。

同じ方向に沿った多数の事例がある中でここで私が考えているのは、今年初め、職場の性差別に関するフェミニストのカンファレンスに出席した記者からの暴露的な記事である。そこで交わされたあらゆる会話は、どうすれば給与階級の女性たちが、自分自身の昇進の見込みや何やらを改善できるのかについてのものだった。記者の姉妹はたまたま賃金階級の仕事に就いており、彼女は、給与階級に属さない女性の将来を改善するために少しだけカンファレンスの時間を割けないかと、極めて冷静に尋ねたのだ。このような議論に参加したことのある読者は、次に何が起こったかを正確に予測できるだろう: 多少の眼に見える不快感、あいまいに同意する少しのコメントがあり、その後にはそんなバツの悪い提案をした人が誰もいなかったかのように元の話題が再開される。

これは今日の工業諸国で階級的な偏見を取り巻く典型的なタブーであり、記者自身でさえこの交流についての最も明白な2点の問題に言及していない。1つ目は、もちろん、そのイベントに参加したフェミニストが、彼女たちが関心を持つ性差別の問題に苦しむ女性と、彼女たちがまったく気にしない女性の間に引いた線とは、階級の分断線であったということだ。2つ目は、そのイベントにいた女性たちには、そのような線を引く完全に正当な、完全に自己中心的であるとしても、理由があるということである。多くの女性を雇用している賃金階級産業の労働者の状況を改善するためには、結局のところ、カンファレンスに参加した女性たちは保育サービス、美容院、流行の洋服などのために毎月より多く支払わなけれればならないだろう。[フェミニズム運動の]初期時代のスローガンが主張する通り、姉妹の絆シスターフッド はパワフルなのかもしれないが、給与階級の女性たちに、彼女たちの特権的地位を共有していない女性たちの利益のため不自由を受け入れさせるほどにはパワフルではないようだ。

けれども、このカンファレンスの女性を公平に評価するなら、少なくとも彼女たちは、厄介な質問から注意を逸らすため何か別のホットな問題について叫び始めたわけではなかったと言えるだろう。それが、私の記事が公開された後に起こり始めた、私の記事と関連のある2つ目のできごとである。突然、アメリカの左派の多くはドナルド・トランプの台頭に反応して、声高に、トランプが支持される唯一の理由唯一のありうる理由は、トランプは人種差別主義者であり彼の支持者も同様であるのだから、トランプの選挙キャンペーンが支持されるに違いないと主張している。

たぶん、この疑わしいロジックを検証することから始める必要があるだろう。そうすれば、それを乗り越えて、実際には何が主張されているのかを理解できるだろう。トランプは人種的な偏見を抱いているのか? 疑いがない; ほとんどの白人アメリカ人がそうだ。トランプの支持者は同じ偏見を共有しているのか? 再び、一部がそうであることは疑いがない - 結局のところ、トランプの支持者全員が白人というわけではない。左派メディアはここ数週間、必死になってそれを隠そうとしているのだが。けれども、議論の目的のために、トランプと彼の支持者は実際にそのような人種的憎悪を抱いていると仮定しよう。その事実は、もしそれが事実であるとして、人種差別がトランプを支持者にアピールした唯一の理由であるということを証明するのだろうか。

もちろん、そのようなことは証明されない。同様のあからさまな詭弁を使えば、トランプはステーキを食べ、彼の支持者もその好みを共有しているのであるから、彼を支持する人はベジタリアンに対する憎悪によって動かされていると主張できるだろう。時として、一般的に白人アメリカ人が語らないことは、しかしほとんどの有色人種の人々は鋭敏にこれに気付いていると私は聞かされてきたのだが、今日のこの国で人種問題は白人の人々が考えるほどには重要なものではないということだ。ジム・クロウ時代に典型的であった狂信的かつ熱狂的な人種的憎悪の擁護は、今日では白人至上主義者のフリンジ以外ではまれである。人種的偏見を代替したものは、多かれ少なかれ、ほとんどの白人が大した問題ではないと見なす思考と行動の習慣である - そして、実際にそのような態度を抱いている人が大した問題ではないと見なす態度に訴えかけることにより、政治的エスタブリッシュメントからの強烈な反対の中で巨大なムーブメントを起こすことはできない。

きわめて多数の裕福な白人リベラル派による、トランプの選挙キャンペーンに向けた「レイシスト!」という叫び声の後ろには、むしろ、かなり異なる現実が横たわっている。人種差別の告発は、現代アメリカの言説において大きな役割を果たしている - そしてもちろん、実際の人種差別の実例もその中に含まれている。裕福な白人リベラル派が人種差別の告発を行なうとき、その一方で、かなりの場合は "犬笛" である。

インターネット語を流暢に話せない読者のために、おそらく最後のフレーズを説明しなければならないだろう。犬笛とは、ネット用語としては、ある面ではもっともらしい否認を与える一方で、何らかの形で偏見を表現する言葉や比喩の転換のことである。公民権運動の時代には、たとえば、「州の権利」という言葉が典型的な犬笛であった; その言葉によって実際に議論されている権利とは、黒人の隣人に人種分離政策を課す南部白人の権利のことであった。しかし、白人団体のスポークスマンはそれほど長い言葉を費す必要はなかったのだ。州と連邦政府の権力均衡に関する重大な問題は、人種問題とは当時何の関係もなかったし、今でも関係ない。それゆえに、闘争の両サイドからほとんど無視されたのだが、それは既に十分すぎるほどに皮肉な状況に更なる皮肉を付け加えている。

同様に、トランプの選挙キャンペーンに対してあまりにも自由にその言葉を適用する専門家や政治家の口から発せられる「レイシスト」という言葉は、彼らがあまり長い言葉を費して語りたいと思わないことを表現する犬笛である。彼らがその言葉によって意味しているのは、もちろん、「賃金階級のアメリカ人」である。

それは極めてありふれている。最近のオレゴン州での武装集団と連邦政府職員との膠着 *1を考えてほしい。事件が進行中の間に、ブログ界と低俗なメディアは、武装集団を指して「ヨールカイダ [Y'all-Qaeda]」と呼び始めた。カンの良い読者は気付いているだろうが、武装集団のメンバーに南部 -アメリカ合衆国の中で「y'all」が二人称複数形代名詞として使われる唯一の地域- の出身者はいなかった。私の知る限りでは、武装集団のメンバーは全員西部乾燥地帯から来ており、そこでは「y'all」はマンハッタンやバンクーバーの路上と同程度に一般的ではない。それでは、なぜ、このレッテルはすぐに注目を集め、給与階級の通常通りの笑い声を引き起したのだろうか。

それが急速に広まって笑いを起こした理由は、アメリカの給与階級のほとんどの人々は、アメリカ人の賃金階級全体に特定のステレオタイプを適用することを好むためである。読者諸君も、私と同様にそのようなステレオタイプを知っているだろう。太った、赤ら顔の、歯が抜けた、ジーンズと汚れたTシャツを着た古き良き男で、テレビでNASCAR [モータースポーツ] のレースを壊れたソファの上から見ている。片方の手を肘のところまで深くチーズ菓子の袋に突っ込み、もう片方の手は散弾銃を掴んでいる。野球帽には南部連合旗のワッペンが張られ、ベッドルームのクローゼットにはKKKの衣装がある。アメリカ人の賃金労働者全体をこのように描写することは、今日では多くの人が非難するような人種的・性的なステレオタイプと同様に、無知で偏見に満ちており、政治的意図に動機付けられていると言えるだろう - しかし、もしもこのように指摘した場合、同じパラグラフの中でアフリカ系アメリカ人とスイカに言及したとすればデザイナー製コルク抜きで即時に自らを串刺しにするような裕福な白人リベラル派が *2 声高に主張するのは、これはステレオタイプではなく、「アイツら」の本当の姿を表現したものであるというのだ

給与階級の人間を知らず、そのため給与階級の人々が賃金階級の人々に対して使うヘイトスピーチを聞く機会がなかった私の読者は、ナショナル・レビュー誌の最新号を見てみたいと思うかもしれない。そして、ケヴィン・ウィリアムソンによる真に注目に値する苛烈な非難を読んでほしい - 有料ではあるが、しかしここにサンプルがある。このようなかんしゃくの背後にある原動力は、共和党の草の根的な支持基盤にいる人たちが、給与階級の人々に協力し、給与階級の人々が主張するところの善行を行うのではなく、自らの最高の利害のために、つまりはトランプに投票したという事実であった。まさにこの考えである! これは完璧な階級主義者の偏見の表れであり、給与階級の多数の人々が、貧困とは常に貧者自身の責任であると主張する方法の第一級の事例である。

率直に言っても良いだろうか? 何百万人というアメリカ人は40年にわたって生活水準を粉砕されてきた一方で、最も豊かな上位20%は更に裕福になった理由には、何の不思議もない。この国の企業の利益のために、政府の超党派コンセンサスにより援助され幇助され、給与階級の大多数によって応援を受けて、一方では米国の産業経済のほとんどをオフショアすることにより賃金の仕事を奪われたからであり、他方では、国内の労働市場を何百万という合法・違法の移民で氾濫させたからである。

1966年に平均的なフルタイムの賃金労働者一人に頼る家族は、家、車、1日3回の食事、その他の普通のアメリカ人のライフスタイルの必需品と贅沢品を買うことができた。一方で、今日、平均的なフルタイムの賃金労働者一人に頼る家族が路上で暮らしているのはそれが理由である。それは偶然に起きたわけではない; 何らかの不可抗力でもない; 不可解な道徳心の崩壊がアメリカ人賃金階級に発生したために、給与階級の専門家が吹聴するようなあらゆる想像上のチャンスを掴むことが不可能になったわけでもない。そのような変化は、むしろ、特定の、容易に同定可能な政策によりもたらされたのである。その結果、すべてを考慮に入れれば、裕福な人々の推進した政策によって賃金階級に強要された貧困のためにアメリカ人貧困層を非難することは、強姦被害者が強姦犯の行動を引き起したとして非難することと等しい。

どちらの場合にも、被害者を非難することは、誰が実際に責任があるのか、誰が現在の状況から利益を得ているのか、また本当の問題は何かを議論することの、便利な代替であることに注意してほしい。パブリックな世論形成において特権的な役割を持つ人々がその話題についての議論を望まない場合、被害者への非難は有効な偽装戦術となる。結局のところ、今日のアメリカでパブリックな世論を形成する人々が語りたくない話題は無数に存在する。同じ世論形成者たちが押し進めた政策が、何百万というアメリカ人家族を貧困と悲惨のうちに陥れたという事実は、あいにく、最も言及できない話題ではない。最も言及できない話題とは、それらの政策が失敗してきたという事実である。

それは、本当に同じくらいシンプルである。我々が話している政策 - 企業と富者への贅沢な施しと、貧者への懲罰的な貧窮スキーム、中東その他の場所での終わりなき戦争、国内インフラの悪意ある放置、我々の生存基盤たる生物圏のバカげた酷使によって起きた気候変動その他の帰結に対する、"ヘッドライトに照らされた鹿"のような呆然自失状態や無意味なキャッチフレーズ- それらの政策は、米国とその同盟国に繁栄をもたらし、世界に安定をもたらすと考えられてきた。それらの政策は約束を実現できなかったし、今後も実現できないだろう。そしてヒラリー・クリントンの支持者がどれほど彼女を強く支持したとしても、あと4年間の同じ政策の継続によってもその事実は変わらないだろう。ここでの困難は、単に政治的エスタブリッシュメントが、また給与階級内の特権的な少数者がその失敗を認識したがらず、いわんやその失敗の明白な教訓は学ばれず、それら政策がマジョリティに課している恐るべき負担に気付けないということだ。

けれども、ここで、本ブログの開始以来プロジェクトをガイドしてきたある歴史家により事前に描き出されていた領域へと我々は至る。大部な12巻本『歴史の研究』において、アーノルド・トインビーは社会が失敗するプロセスの詳細を容赦なく探求した。トインビーが書いた通り、自身のコントロールの及ばない力により圧倒された文明も存在する。しかし、これは通常歴史の死亡記事に記される死因ではない。むしろ、それよりもはるかに多くの場合、「衰退と転落」と記された荒廃した道のりを滑落する社会には、依然として、文明を圧倒する危機に対処するための十分なリソースが残っており、窮地を脱するための十分なオプションがある。けれども、それらのリソースは建設的に使用されることはなく、オプションは省みられない。

このようなことが起こる理由は、失敗した社会の政治的エリートたちが、彼らが望む政策が機能しなくなったということに気付く能力を失うからである。上昇する文明のリーダーは、政策の結果に注意を払い、機能しない政策を捨て去る。失敗する文明のリーダーは、「成功」を「望ましい帰結を得る」ことではなく「承認された政策に従う」と再定義し、失敗を認識してその帰結に対処することよりは、政策の失敗を拒絶することに集中する。失敗からの教訓は学ばれず、もはや無視できなくなるときまで失敗のコストは積み上がっていく。

ここではペギー・ヌーマンの「保護された」階級と「未保護の」階級という現状の人口分類が有用となる。保護された階級のメンバー - 今日のアメリカでは、既に述べた通り、給与階級の裕福な半分以上に属する人々 - は、ますます貧困化し悲惨化していくマジョリティとのあらゆる接触から区切られたバブルの中に暮らしている。彼らが見る限りは、すべてが素晴しく見えるだろう; 友人は全員成功しており、そして自分自身も成功している; 情報操作されたニュースストーリーと政府機関によって巧妙に改竄された統計は、間違ったことは何も起こっていないと主張する。彼らは閉ざされた住居コミュニティからオフィスタワーへ、会員制レストランから高級リゾート地へと行き来を繰り返す。いっときそのバブルの外へ出て、この国の他の場所での実際の状況を確認することは価値があるかもしれないという考えは、ひどく彼らを怯えさせる。もしもそのような思い付きを彼らが持ったとすればだが。

上昇する文明においては、トインビーが指摘する通り、政治エリートは問題を認識しそれらを解決することにより大衆の忠誠と尊敬を勝ち取る。失敗する文明においては、それとは逆に、政治エリートは問題を作り出しそれらを無視することにより大衆の忠誠と尊敬を失う。衰退中の社会の暮れ時にあまりに頻繁に発生する正統性の危機の背後にあるものはこれだ - そして、それはまたドナルド・トランプの急激な上昇の背後にあるもっと深い現象である。社会の公認されたリーダーが指導できず、従うこともできず、また彼らが権力を手放さないのであれば、いずれ人々はリーダーたちを歴史の回転扉から押し出す方法を探し始める。必要とあらば、いかなる手段を用いても。

ゆえに、もしトランプが11月の選挙で敗北したとしても、それは現状維持への脅威が終わったということを意味しない-まったく逆である。もしヒラリー・クリントンが大統領となったら、これまで同様の失敗して無知な政策が4年間続くだろう。それが彼女の政治的キャリアの全体を通して支持してきた政策であり、ゆえにあと4年の間、富者の狭いサークル外にいる何百万というアメリカ人が貧困と悲惨へと追い立てられ、その一方でニヤついた官僚のカカシが、すべては順調であると言い続けるだろう。それは社会の安定へのレシピではない; よく言われているように、平和的な変革を不可能とする者は、暴力的な変革を不可避とする。更には、既にトランプはこの国のすべての野心あるデマゴーグに、大衆運動を作り上げる正確な方法を示し、またあまりに多数の賃金階級のアメリカ人は許容しがたい現状維持への代替案を既に示されてしまった。

今日のエスタブリッシュメントが、彼らが好む政策だけが考えうる唯一のオプションであるとどれほど大声で主張しようとも、それらの政策の失敗の連続、特権のバブルの外側にいる人々に対して彼らが課す膨大なコストは、遅かれ速かれ、"考えられないこと" が不可避になることを確実にしている。それが、この選挙シーズンの本当のニュースである: すなわち、ふつうの政治の終わりと今日の一般常識に重大な変更をもたらす、けいれん的な変革の時代の最初の胎動である。

*1:訳注: 2016年1月から1ヶ月あまり、武装集団がオレゴン州の野生動物保護区を占領した事件。 Occupation of the Malheur National Wildlife Refuge - Wikipedia

*2:訳注: 黒人はスイカを好むという差別的なステレオタイプがある。ここで著者は裕福な白人はワインを飲むというステレオタイプ的なイメージを使い皮肉を述べている。 黒人とスイカのステレオタイプ - Wikipedia