Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:ヒラリー・クリントンの大転落 (ジョン・マイケル・グリア)

この記事は2016年2月24日に書かれた。ジョン・マイケル・グリアによる2016年ドナルド・トランプ当選予測に関するエッセイはこちら

The Decline and Fall of Hillary Clinton

過去数週間のアメリカ政治では、私がこのブログ上で議論しているメインテーマを確かめる興味深い事例が見られた。10年前にこのブログが始まって以来、その研究が私のエッセイを導いてきた思想家である歴史哲学者、オズワルト・シュペングラーには、過去数週間のできごとはまったく驚きではないだろう。もしもシュペングラーがアメリカ大統領候補者2名のここまでの運命の分岐について考えたとすれば、彼のしかめっ面がつかの間の喜びでほころぶだろうとあまりにも容易に想像できる。つまり、たった1年以内以前には、ほとんどすべての人が一般投票で対決すると主張していた候補者、ジェブ・ブッシュとヒラリークリントンだ。

ある意味では、ブッシュは私がたった今考えているテーマの完璧な申し子である。昨年彼が選挙キャンペーンを始めたとき、それは過去30年間成功を収めた大統領選挙キャンペーンの完全なるコピーであった。彼はたくさんのビッグマネーの支援者を集めた; キャンペーン運営のため、ゴーストライター、メディア戦略担当者、そして訪問勧誘員のチームを招集した; 広告会社にはキャッチーなロゴをデザインさせた; 彼は、2分間その意味を考えない限りは意味があるように聞こえる空虚なレトリックを発する練習を行なった; 彼は、論争的なトピックの一握りについてのみ注意深く計算された立場を取り、それ以外のすべての問題については一般常識を口にした。そして、別の候補ではなく彼をホワイトハウスに送り込んだほうが、自分の利害はあまり損なわれないのだと有権者たちを信じさせようとした。

そのような中身のないキャンペーンは、ジョージ・ブッシュビル・クリントンジョージ・ブッシュ2世、そしてバラク・オバマアメリカ大統領のリストへと載せたものであった。ジェブ・ブッシュが得たものは、けれども、屈辱的な敗北の連続であった。ある人が言うには、サウスカロライナ州での予備選挙後の涙ながらの撤退は、パパから輝かしい大統領の座を約束されていたものの、イジワルな有権者がそれをくれなかったと知った子供の行動であるという。けれども、私はそれ以上のことがあると思う。ブッシュが、衝撃と恐怖のうちに認識したのは、彼が知らないうちにゲームのルールが変更されていたということだ。また、大統領へ至る道のりについて彼にアドバイスしていた有識者、有力者たちは、基本的には何も状況を理解していなかった。

どちらかと言えば、けれども、ヒラリー・クリントンのキャンペーンのほうがアメリカの政治プロセスの腐った中心部をより明白に見せてくれる。彼女は、ジェブのキャンペーンとまったく同じことをした-両者ともに、似たような陳腐なキャンペーンロゴ上に自分のファーストネームを掲げたことは示唆的である-また彼女は、ジェブはこれをしなかったのだが、選挙キャンペーンシーズンが始まるよりも前に、党官僚 からの自陣営への支持を確実なものとしていた。アメリカ政治の通常のルールのもとでは、ジェブ・ブッシュ対立候補たちと格闘する一方で、ヒラリーは予備選挙から党大会までの気楽なお散歩を楽しみ、そして一般選挙へと突入したときには十分な資金を残しているはずだった。そのときには、アメリカの人々に対して、彼女のリーダーシップのもとでの4年間はブッシュのもとの4年間よりもほんの少しだけ破滅的ではないと信じさせるための広告の大洪水でテレビの電波を飽和させる。

今回は、けれども、ルールは変更されていた。クリントンは、党のアウトサイダーであるバーニー・サンダースからの活気ある挑戦に直面している。とはいえ、おそらく彼女は指名を得るだろう-これは皮肉な喜びの源泉であるのだが、現在、民主党の指名手続きは、共和党よりもかなり民主的ではない。この時点において、彼女が戦いなしで指名を得ることはほぼ確実である。ひとたびそうなると、今度は、一度か二度の広告の空襲で容易に喰らいつけるような生温い選挙戦で、凡庸なインサイダー候補と戦うのではなく、クリントンドナルド・トランプと相対決することになるだろう。その人気は、特権階級の専門家たちが投げかけるあらゆる怒りに満ちた告発のなかでも急上昇しており、その裸拳の"ルール無用"スタイルの選挙キャンペーンは、クリントンも彼女の鈍感な選挙スタッフたちも、ほとんど対処する能力を持っていないように見える種類の挑戦であり、そして、ほとんど変わりのない二者の "よりマシな悪" 以外の選択肢を有権者に提供する準備のあるドナルド・トランプと。

ここで当然、クリントンは、彼女自身の選挙キャンペーンへのアプローチにより、状況を著しく悪化させた。彼女は、私がこのブログの昨年の記事で名付けた「コントロール幻想」という奇妙な精神的盲点に捉われた途方もない実例である-それは、不合理であるが蔓延しているのだが、社会の特権階級のメンバーが何かを行なった場合、残りの全宇宙は完全に受動的で、完全に機械的な方法でその働きかけに反応するはずだ、という信念である- この世界レベルの事例としては、大多数のアメリカ人が候補者を憎み、信頼していないということが示されたとき、クリントンのアドバイザが単に虚空を見つめ、繰り返し彼女を「再紹介する」ことを試みていることを見てほしい。まるで、選挙キャンペーン機械のリセットボタンを押し、最初からやり直すことができると考えているかのように。

その点において、これまでの選挙キャンペーン中のクリントン自身の態度は、壊れた自動販売機にお金を入れた人が取る行動とそれほど変わらないものを思い起こさせる。クリントンは25セント硬貨を投入し正しいボタンを押したのだが、望みの商品は手が届くところまで落ちてこない。現在、彼女はボタンを何度も何度も押している。そして時が来れば、彼女が支払ったものが得られないために、拳を叩きつけて叫び出すだろう。正直に言って、彼女はただの一度も、ほんの一時さえ、選挙民とは、適切な方法で操作しさえすれば大統領になるための票を吐き出す、単なる受動的で、機械的大衆/質量マスではないという可能性を考えたことがないのではないかと思う。アメリカの人々が立ち上がり、彼女の利害ではなく自分達の利害を推進するために票を投じることを決断するという、彼女の最も恐しい夢に突入したのではないかと疑っている。

その分析はいくつかの理由により私には極めて可能性が高いと思えるのだが、しかしその中でも最も大きな理由は、クリントン支持者のうちで彼女と同じ階級と性別の下位カテゴリに属している人々が、すべてのアメリカ人女性にクリントンの選挙キャンペーンを支持するよう要求していることだ。ここで私は特にマデリーン・オルブライトを考えている。しばらく前、彼女は「他の女性を助けない女性には、地獄の特別な場所がある」と主張する怒りに満ちた声明によりニュースを騒がせた。それは第二世代フェミニストの、ある種の高給階級の人々に共通する特徴である。想像できる通り、それはかなり多数の他のフェミニストの間で物議を醸した。特に、部分的に重なり合った、有色人種女性の集団および賃金階級の女性の集団において。彼女たちに耳を傾ければ、マデリーン・オルブライトのような裕福で影響力を持つ女性の目標追求への支持を期待されていることについてどう思っているかを、かなり長く語ってくれるだろう。

結局のところ、女性器を持つ大統領の誕生から得られるであろう代償的な興奮以外には、クリントン大統領はアメリカ人女性のマジョリティに何を提供してくれるのだろうか? 彼女の配偶者 [ビル・クリントン] の経済政策 - 現状の超党派コンセンサスで、彼女はそこからわずかなりとも逸れる兆候を示していない- は、クリントンの特権的なバックグラウンドと莫大な収入を共有していない何百万人というアメリカ人女性に対して、既に貧困と悲惨をもたらした。彼女の国務長官の在任期間を特徴付けるのは、他国への不器用な介入戦争であり、その昔、民主党が反対していた政策とまったく同じである: 介入戦争は、注意してほしい、既にシリア、リビア、そして世界中の何万という死に責任がある。おそらく-とりわけ、もしもクリントンホワイトハウスに入っても同じ態度を取り続けたら- 多数のアメリカ人女性は、また別の残忍で無意味な中東の戦争から子供たちが死体袋に入って帰ってくるのを見る経験をするかもしれない。

オルブライトの公然のかんしゃくに対する反応も、多くの点においてかんしゃくそれ自体と同じくらい有益である。大多数のアメリカ人女性は、単にそれを買っていない。より一般的には、クリントンと彼女の取り巻き連中がどれほど激しく自動販売機のボタンを叩き、彼女たちが当然期待できると考えている機械的反応を起こそうと試行したとしても、有権者たちはそのような行動を起こしていない。トランプとサンダースは、各々のやり方で、耐えがたい現状維持以外の何かを望むことができるとあまりに多くの人々に示したのだ。彼らの立候補の目覚めにより、かなり多数の有権者は、2つの悪のうちのよりマシな方に投票することを望まないと決断した。

f:id:liaoyuan:20190316054743j:plain:left:w180:h180 ここで重要なポイントがある。私の考えでは、過去数十年の間、ここアメリカでのあらゆる大統領選挙が、クトゥルフの大統領への野心を支持するよう有権者に呼びかけるバンパーステッカーにより活気付けられてきたことは、まったく偶然ではない。クトゥルフとは、H.P.ラブクラフトによる宇宙的恐怖の物語に登場する、触手を持った原始的な恐怖の邪神である。残念なことに、この旧支配者の選挙キャンペーンは深刻な憲法上の問題に直面している。というのも、彼の出生地は第23星雲のヴール、現在の居住地は海に沈んだ廃墟都市ルルイエであり、私の知る限りではどちらもアメリカ合衆国の領土ではない。それでも、クトゥルフホワイトハウスへの挑戦は、他のほとんどの想像上の候補者たちよりもリードしている。私は長い間考えていたのだが、クトゥルフの選挙キャンペーンの成功の秘密はそのスローガンにあるのではないかと思う。「どうして"よりマシな悪"で満足するのか? [Why settle for the lesser evil?]」

このスローガンが確実に笑いを引き起す理由は、まさに、過去何十年間のアメリカ大統領の政治についてのレトリック全体が、一方の政党の子飼いの詐欺師は、他方の詐欺師よりも悪いことをしないという主張を続けてきたからである。たとえ、どちらの側の候補者も同じ政策を支持し、同じ腐敗した利害によって売買されるとしても。何度も何度も繰り返し、我々はこの党あるいは別の党が選出した候補者が誰であれ、その人に投票しなければならないと言われてきた。なぜなら、そうでなければ相手側が最高裁判所判事を任命し、新たな戦争を始め、あるいは何かしら悪いことをするから。候補者が、何かポジティブなことをすると期待されるという提案、たとえば、ほとんどのアメリカ人の生活水準を悪化させた超党派の経済政策、悪意ある無視への国家インフラの委託、大企業に対する福利プログラムの追求、たとえば、無価値で、実用的でも必要でもないF-35戦闘機の開発など、を拒絶することは「非現実的」であるとして無視される。

トランプとサンダースの反逆的な立候補が決定的に示しているのは、代わって、"よりマシな悪"というレトリックと「現実的な」政策への固執が、その延長期限を過ぎたということだ。それにはまったく正当な理由がある。よりマシな悪を求めるということは、大多数のアメリカ人が望んでいることが現状の継続であると想定している -結局のところ、もしもあなたの議論のポイントが、ものごとの更なる悪化を止めることに固定されているならば、それがあなたの得る結果である- また、今日のほとんどのアメリカ人にとって、現状は受け入れがたい。低下する賃金と上昇する家賃、企業と富裕層以外のあらゆる人にとって基本的人権さえも否定されつつある法的環境、ますます増大するコストを労働者の人々に負わせる一方で、既に十分すぎるほどに豊かな者に更なる恩恵を与える経済 - まぁ、このリストはいくらでも長くできるだろう。もしも特権階級に属していなければ、今日のアメリカでの生活は急速に耐えがたいものとなりつつある。そして、この数十年間両党が同じ熱意でもって追求してきた「現実的な」政策は、アメリカの生活を耐えがたいものとしたことに対して直接的な責任がある。

そこで、多数の、普通のアメリカ人労働者が、今回は現状維持スタトゥス・クォ の更なる焼き直しを受け入れることを拒否した理由は、彼らにはもう後がないからである。それはあらゆる社会の歴史の中の特定の時点において確実に出現する状況であり、またオズワルト・シュペングラーがアメリカ合衆国が現在直面している状況を予測していたということは、私にとって皮肉な喜びの源泉である。また、必要に応じて変更を加えれば、その他の工業化世界についても同様のことが言える。

シュペングラーの歴史分析は膨大な領域をカバーしているけれども、ここで関連のある論点は、『西洋の没落』第二巻の後半に現れている。そこでシュペングラーは、我々が西洋工業文明と呼び、彼がファウスト文化と名づけたものの直近の未来をスケッチしている。彼のテーマは、民主主義の死に方であった。シュペングラーの主張によれば、民主主義は致命的な脆弱性に苦しめられている。それは、金銭の影響力に対して意味のある防衛手段を持たないことだ。ほとんどの市民は、国家の長期的運命よりも自身の個人的で短期的な利益に大きな関心を持っているため、裕福な人間が票を買う方法を学習すれば、すぐに民主主義は金権政治の丁寧なフィクションとなる。その学習に時間を要することはめったにない。

金権政治の問題は、今度は、その権力への参入を可能とした短期的な個人的アドバンテージに対する同様の執着を具現化していることである。というのは、ますます腐敗していく統治において、富裕層の行動を導く唯一の目標は、短期的な個人的な富と満足だけであるからだ。更には、エコノミストのたわ言にもかかわらず、超富裕層に利益を与えることが自動的に社会全体の利益にもなるということは、単に真実ではない; 実際はまったく逆である、金権政治制度をドライブする個人的利得への盲目的なオブセッションにより、たいていの場合、金権政治家たちはあまりに行きすぎた利益追求はシステム全体を崩壊に追いやるという厳しい現実を忘れてしまう。その終末期にある民主主義は、このようにして、ただ狭まっていく特権的富豪のサークルのみが実質的な利益を引き出せる破綻社会へと至る。時が来れば、その特権サークルから排除された人々は別のどこかでリーダーシップを求め始める。

その結果は、シュペングラーがカエサル主義と呼ぶものである: 排除されたマジョリティに訴えかけ、その人々の取り分が増加するという望みを提供し、金権政治体制に挑戦することにより権力を掌握できることを理解したカリスマ的リーダーの台頭である。今も昔も、それを理解したリーダーは金権政治体制の内部から登場する; ユリウス・カエサル、その姓がシュペングラーの用語となった人物は、元老院の家系の旧家出身の、きわめて裕福な男であった。そして、カエサルは唯一の例ですらない。1918年には、シュペングラーはカエサル主義の最初の波動が西洋世界に打ちつけようとしており、それは金権政治によって負かされるだろうと予測した。そして、その後には別の波動が続くだろうとも予測していた。彼は最初の2つの点については完璧に正しかった。そして現在の選挙は、3番目の予測も同様に正しいと判明するであろうことを示している。

かなりの程度まで、ヒラリー・クリントンによる弱体化した大統領選挙キャンペーンは、シュペングラーが瀕死のデモクラシー [democracy in extremis] についての冷徹な分析で語ったことの完璧なる縮図である。彼女の提案全体が、アメリカ合衆国が取りうる政策は、ただミレニアムの変わり目以来実施されてきた政策以外にないということを前提としている: 大企業と富裕層に対するより多くの施し、あらゆる人へのより多くの貧窮、国家インフラと環境へのより意図的な無視、中東でのより多数の戦争、そしてより夢想的にバカげた対立的な[対外]政策 -これより穏当な表現は不可能だ- それは、あらゆる見込みに反して、ロシア、中国、イラン、またアメリカ合衆国に敵対する小国の集団を団結させている。それらの国々のリーダーに、アメリカ中心の世界秩序からは何も得られず、またそれに挑戦することにより失うものは何もないと確信させたのだ。

それらの政策は、政策の推進者たちが主張していた通りの良い結果をもたらさなかった。まったく同じ政策をあと4年間続けたとしても、その事実は変わらないだろう。アメリカ人有権者のみんながこのことを知っている。そして、ヒラリー・クリントンも。彼女の選挙キャンペーンが、今日アメリカ人有権者のマジョリティに実際にかかわる問題以外にのみに正確に焦点を当てている理由はこれだ。あらゆる実際上の目的において、クリントンジョージ・W・ブッシュと同程度にしか女性たちに与えられるものがないにもかかわらず、マデリーン・オルブライトによるあらゆる女性に対するクリントンへの支持を呼び掛ける過酷な要求を残酷な皮肉にしている理由はこれだ。オルブライトの声明は、老年期の金権政治が崩壊しつつある時に聞こえる典型的な声であり、まったく何も得られない他の者たちに忠誠を求めるものである。

現在の選挙シーズンがその終わりに向かうにつれて、我々は同じ種類の皮肉をもっとたくさん眼にするのではないかと思う。クリントンと彼女の取り巻きが、既に彼女を十分すぎるほどに知っている有権者に対して、クリントンを再紹介しようと試み続けるであろうことには疑いがない。どうもありがとう; 彼女がどれほど素晴しい人間であるかを褒め称える、あらゆる賛辞を我々が聞くであろうことにも疑いがない-まるで、彼女の支持する政策をあと4年間継続すれば、自分たちが仕事から追い出され路上生活へと陥らされると知っている人々に対して、そのようなちょっとした情報が重要であるかのように。その点においては、すべてが順調で、経済は成長しており、アメリカ人は数十年前より幸福になっているという安直な主張は、既にマスメディアに表れている。もしもあなたが特権のバブルの中に住んでいるのならば、ものごとがそのように見えることに疑いはない。特権バブルから外に出て、残りの80%がどのように暮らしているかを絶対に眼にしないように注意してほしい; その点においては、もしもあなたが特権的少数によってかき集められた曖昧な利益を得ており、全人口の平均よりも良い暮らしをしているのなら、それは経済の改善であるかのように見えるのだろう-しかし、それらの利益は全人口に平等に分配されておらず、そして全人口はこれを知っている。

歴史的な皮肉の愛好家にとって、クリントンの選挙キャンペーンを観察することには、間違いなくたくさんの楽しみがあるだろう。クリントンがあまりにも明白かつ絶望的なまでに切望している賞賛を、壊れた自動販売機に吐き出させるため、あの手この手の駆け引きが行なわれるであろうから。より広い意味においては、それらの進路変更には意味がない。なぜならば、ドナルド・トランプバーニー・サンダースは、アメリカの支配的マイノリティのコンセンサスを拒否することが、選挙における成功への切符であることを既に示してしまったからだ。クリントンは老いたサンダースを圧迫して、正当であれ不正な手段であれ民主党の指名を得ることはできるだろう。実際のところ、私はその可能性が高いと考えている。彼女が一般投票でトランプに勝利できる可能性は、それに比べるとかなり低い; たとえ彼女が勝ったとしても、他の人間がトランプとサンダースの進んだ道に続き、遅かれ早かれそのうちの誰かが勝利するだろう。

私が思うに、現時点においてもっと可能性がありそうなのは、クリントンのキャンペーンがトランプの手により破滅的な敗北を喫することである。そして、ヒラリー・クリントンの大転落は何十年もの間アメリカ政治を支配してきた破綻したコンセンサスの終焉を示すだろう。その事実のみでは改善が保証されるわけではない; 古い一般通念を代替する政策が何であれ、それが必ず改善をもたらすという法則は存在しない。そうであったとしても、ものごとは変化するだろう。少なくとも、そのような変化のうちの一部は、我々の周りでその終わりに差しかかりつつある厳しい時代の最悪の特徴を、少なくともいくつかは取り除くであろう。

Dark Age America: Climate Change, Cultural Collapse, and the Hard Future Ahead (English Edition)

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