Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳。技術ネタと読んだ本の紹介。

翻訳:ケク戦争Part4 闇の中でうごめくもの (ジョン・マイケル・グリア)

以下は、ジョン・マイケル・グリアによる"The Kek Wars, Part Four: What Moves In The Darkness" の翻訳です。


The Kek Wars, Part Four: What Moves In The Darkness

前回のケク戦争のスリリングなエピソードでは、アウトサイダーの一団が、まとめて「ちゃんねる」と呼ばれるオンラインフォーラムのネットワークによってどのように結び付けられたのかを語り、またケイオス・マジックの方法で武装した彼らが、意味のある偶然の一致と奇妙な出来事の只中にいると見出したことについて語った。それらは、多かれ少なかれ、カエルのペペ、古代エジプトの神ケク、そしてドナルド・トランプの大統領選挙勝利に関連していたのだ。オカルトと密接な関係を持った深層心理学のある学派について知っている読者は、これらすべてが何によって起こされたのかを理解していると思う。しかし、当該の知識は今日一般的ではない。

それを念頭に置いた上で、読者諸君、あなた方をスイスのチューリッヒ湖の湖畔にある石塔にバーチャルな旅へとお連れすることをお許し願いたい。そこで我々はカール・ユングと出会うだろう。

誰に尋ねるかにもよるが、ユングはオカルティズムに精通した心理学者か、あるいは心理学を語っているかのように人を欺いたオカルティストであるかどちらかだと言えるだろう。(私自身は、後者の説明に傾いている) いずれにせよ、ユングは20世紀における最も興味をそそる思想家の一人であり、彼の教えの中には我々が議論している出来事に大きな光を当てるものがある。

彼が詳細に議論したこととしては、たとえば、先週のエピソードで議論した通りの奇妙だが意味のある偶然の一致の連続が挙げられる。彼はこれらのパターンをシンクロニシティと呼び、--ノーベル賞受賞者である量子物理学者ヴォルフガング・パウリと共著した本で-- 通常の因果関係とは完全に分離した、宇宙を結びつけるコネクションのパターンが存在することを実証したのである。ユングは、自身の臨床経験から、ある種の深刻な精神的緊張にある患者の周囲でシンクロニシティが重なり合い、患者の問題の根本原因と治癒への道を示すことを観察したのだ。

ユングシンクロニシティについて多くのことを語っているけれども、ここで関連があるのはシンクロニシティがランダムに現れないということだ。何かに集中しているとき、とりわけ特定のイメージとアイデアの周囲に心を向けているときには、精神の暗い場所で何かが動いているのが分かるだろう。この「何か」がユングの研究の焦点となった。彼はそれをアーキタイプと呼んだ。

仮に、通常の思考が心の海の表層を泳ぐ小魚であるとすれば、アーキタイプは深海でいななく巨大なクジラである。それらは潜在的な感情のエネルギーと結び付けられた非理性的なイメージの塊であり、また人間の精神に対して最も基本的な思考の原材料を提供する。アーキタイプは決して意識の明光が当たる表層へと浮かび上がることはない; せいぜい1つか2つのイメージが時おり浮かび上がり、否応なしに意識的な精神の内容を一掃し、意識的な理性とはまったく関係のない形を与えるのだ。

アーキタイプの働きを理解する最も簡単な方法は、心に現れる最もありふれたアーキタイプを追いかけることであろう。おそらく、発見が最も簡単なのはユングがシャドウと呼ぶアーキタイプである。これは、敵、ライバル、憎悪し恐怖する他者のアーキタイプであり、このアーキタイプに気付くことが極めて容易であるのは、心理学者たちも遥か昔から認識していたからである。人々は、自分自身について絶対的に耐え難い性質のすべてを一貫してシャドウに割り当てるのだ。

おそらく、読者諸君も、少し考えれば「憎悪に落ちる」とでも呼べるような人類共通の経験をしたことがあるだろう。個人的であれメディアを通してであれ、誰かに出会う。すると、その人の何かがあなたに嫌な摩擦を起こす。すぐに、あるいはゆっくりと、状況に依存するものの -- ある人々は他の人よりも憎悪に落ちるのが速いが -- その人物は、あなたが見知った普通の面倒な人とは区別されるようになる。あらゆる言葉が、あらゆる性格が、あなたの神経を逆撫でする; 彼はすべての毛穴から憎悪を発している; どんなふうにヤツの顔を殴ってやろうか、と考えることなしに顔を見ることはできない。どれほど真剣に努力しても、あなたの憎悪がからむ対象に対して客観的にはなれない。そしてこの過程が進むと、あなたの憎悪を共有してくれない人々と会話することもできなくなってしまう--何らかの理由により、あなたが嫌う対象に対する合理的な批判でさえ、他の人からは唾を飛ばした激しい激昂であるかのように扱われてしまうのだ。

ユングの見方によれば、ここで発生していることは、シャドウのアーキタイプがあなたの思考を支配し、あなたを通して他人へとシャドウを投影したのである。そんな投影が働いている間は、対象人物のことを文字通り明白に考えられなくなる。なぜならば、その人に関するあらゆる思考は、アーキタイプの動きにより一掃されてしまうからだ。まるで、投影の対象を見た瞬間、突然目の前に激怒の色のフィルターが下ろされたかのように。この激しい怒りの秘密として、逆に、あなたが対象に対して言うことすべては、実際には、あなたがあなた自身について耐え難いと考えている何かなのだ。もしもあなたが「嘘吐き!」と叫ぶのであれば、投影の機能を知っている人は、あなたは実際には自分自身の不誠実さに耐えられないのだと認識するであろう。もしもあなたが他人に「いじめだ!」と叫んだら、あなた自身のいじめを好む性格が表現されているのだ、など。

f:id:liaoyuan:20180929112009j:plain:w180:leftシャドウとして投影される性質は、必ずしも一般的な感覚で道徳的に悪とされるものではないと述べておく必要がある。この連載の以前のエピソードで、たとえば、私は伝統主義思想家のユリウス・エヴォラを取り上げた。彼の文章を読めば、近代社会の軟弱さと 人道主義 ヒューマニタリアニズム--後者はエヴォラの語彙では汚い言葉なのだ-- に対する嘲笑うかのような軽蔑に満ちていると分かるだろう。更に言えば、エヴォラを個人的に知っていた人たちの文章から判断すると、彼は自分自身の親切心、丁寧さ、共感的な性格を呪っていたという。そこで、彼は周囲の社会に対してそのシャドウを投影したのである。彼の最も知られた著書『近代社会への叛乱』は、そのようなものの常として、究極的には彼自身に対する叛乱だったのだ。

通常の合理的な嫌悪と、シャドウの投影の違いはどのように区別されるのだろうか? 極めてシンプルである。しかし、「シンプル」であることは「簡単」と同じものではないのだが。アーキタイプは絶対的であるが、一方で人間は決してそうではない。最悪の人間の中にも、それでも賞賛されるべき性質がある。我々の種のうちの最良の人々の中にも卑劣な性質が存在するように。あなたが嫌悪する対象を見て、少しばかり考えた上で、その人に関して賞賛できると思う特徴をいくつか列挙してほしい --皮肉や反語ではなく、心から賞賛できる特徴を-- それができるならば、おそらくあなたはシャドウのアーキタイプには捉われていない。逆に、それができないのならば、おそらくあなたはシャドウを投影しているのだ; もしも、あなたが嫌う人物にごくわずかでも褒めるべき事が存在するかもしれないという考えを提案すること自体が、あなたを強烈に激怒させるのであれば… まぁ、どうぞご自由に書いてほしい。

シャドウは、単に1つのアーキタイプでしかない; それ以外にも多くのアーキタイプがある。恋に落ちて我を忘れているとき、たとえば、ここでは異なるアーキタイプ -- ユングはそれを性によりアニマまたはアニムスと呼んだ-- が他人へと投影されている。シャドウの投影と同様の効力を持つが、感情的な力は逆方向へと働く。人間同士の激しいインタラクションは、ほとんどが1つまたは複数のアーキタイプにより仲介されている。けれども、すべてのアーキタイプがすべての人々に適用されるわけではない。人間全体に普遍的なアーキタイプが存在する一方で、人類の特定の小集団に向けたアーキタイプも存在する。

ユングは、有名な1936年のエッセイ『ヴォータン』で、このようなアーキタイプについて論じた。ヨーロッパのほとんどの人々が、その頃ドイツ首相に就任したチャーリー・チャップリン髭の愉快な小男は三流のムッソリーニワナビーに過ぎず、ドイツ政界でいつも通りのけいれんが起きればすぐに政権から叩き出されるだろうと考えていた頃、ユングは、より深いところでより恐しい何かが働いていると捉えていた。「ドイツでハリケーンが発生した、」と彼は記した。「我々が未だ良い天気だと信じている間に。」

そのハリケーンとは、ユングが示したところによると、人類すべてに属するのではなく、中央ヨーロッパに住む特定の人々に適用されるアーキタイプの覚醒であった。ユーラシア平原から起こる広大な大地が、アルプス山脈と北海の間を走る丘陵と渓谷にぶつかる場所である。そのアーキタイプは、古代の神ヴォータンの神話と関連していた。今日では、ほとんどの人々はこの神をほぼ同等の神オーディンと同一視している。その活躍と運命が古ノルド詩で謡われ、あるいはリヒャルト・ワグナーのオペラ、ニーベルングの指輪で中心的な役割を果たす神として。けれども、ドイツ民話には異なるバージョンのヴォータン神話がある。それは雷雲に乗った恐るべき狩人の姿をしており、真夜中の空を巨大な幽霊の軍勢を率いていく。

神々がアーキタイプの反映であるのか、あるいはアーキタイプが神々の反映であるのかは、また別の機会に議論するとしよう。ここで関連のあるポイントは、ユングは他の誰もが気付けなかった何かを捉えたということだ。19世紀の暮れ以来何十年にもわたって、何かが中央ヨーロッパのドイツ語圏をかき回していた。自信に満ちた時代の重厚な合理主義を揺るがし、人間の意識が自然の力と融合した深い場所へと飛び込んだ何かが。敗戦と苦しい経済的不況の目覚めにおいて、アーキタイプの力はありえそうにない依代を捉えた -- 芸術家から政治扇動者へと転じたオーストリア人、名はアドルフ・ヒトラー-- そして、ヨーロッパの大部分を 大渦 メイルストロムへと巻き込み、その結末は、ヴォータン神話の結末と同じく、神々の黄昏ゲッターデンメルングであった。

ドナルド・トランプの2016年の選挙運動を取り巻くシンクロニシティの連鎖は、それと完全に異ならない何かが今日のアメリカでも働いているように思える。ヴォータンは、けれども、アメリカ人のアーキタイプではない。アメリカにもワイルドハント*1と同等の物語があるけれども -- 古いカントリーミュージックのファンは、古典的な曲「ゴーストライダー・イン・ザ・スカイ」を思い出すかもしれない-- 八本脚の馬スレイプニルに跨る死者の王はその曲には登場せず、またアメリカの神話と民話一般でもそれは同様である。我々は、どこか別のところで今日の政治に影響を及ぼしているアーキタイプを探さなければならない。

聡明なネイティブ・アメリカンの哲学者であり活動家でもあるヴァイン・デロリア・ジュニアは、彼の最も影響力ある著作『神は赤い』で重要な示唆を与えている。宗教改革の目覚めにおいて、西洋のスピリチュアリティは重要な要素を失なったと指摘している --聖地の重要性である。ほとんどのスピリチュアルな伝統には、そして特にネイティブ・アメリカンスピリチュアリティではより顕著だが、地上のある特定の場所は固有の特殊なスピリチュアルな性質と力を備えているとされ、その性質や力はたまたまその場に居住する人には依存しない。デロリアは更に議論を進めて、予防可能であったはずの自然災害に現代アメリカ社会が次々と盲目的につまずく原因は、場の力への神聖な作法を、我々が住む土地の精霊に対する作法を未だ学んでいないからではないかと主張している。--そして、それらの力に対する敬意はネイティブアメリカンのなかに残り続けているものである。

そこで、ここにはちょうど現在アーキタイプとして働いている特定の神話的な存在がいるように思える。

非常に多くのネイティブ・アメリカンの神話には、北アメリカ大陸全体にまたがって、人間が住めるよう世界を作り変える仕事を任された存在、あるいは存在の類型について語る物語がある。ピュージェット湾南部のサリッシュ語を話す部族では、たとえば、 変革者 チェンジャーは月である; オレゴン州の極南西部に住むタケルマ族の間ではトンボであり、西部の乾燥地帯の一部ではそれはコヨーテである、など。ある話では彼は英雄であり、別の話では道化であり、また別の話では理解不能な自然の力である。ディテールは異なるけれども、基本的なテーマは同じだ。かつて、世界は異なる姿をしていた。そして、物語が語るところによれば、チェンジャーがやって来て世界を今の形に作り変えたのだ。

私が一番よく知っているチェンジャーの物語は、特徴的な形式を持つ。その話はエピソード的であり、チェンジャーの旅路、川の河口から源流に向かって進む道のりを辿るのである。

南ピュージェット湾のバージョンでは、たとえば、長く複雑な前日譚の後、月は山々へ向かって川を歩いていく。そこに住んでいるあらゆるものが、彼がやって来ていると知っている。そして、彼らは月を止めるためにさまざまな武器と罠を準備する。なぜならば、世界を変えられることを望んでいないからだ。そして、月は川辺に座り木から大きな平たい板を削り出している男に出会う。「何をしているのだ?」と月は尋ねる。彼は答えて「ものごとを変えようとする何者かが来ている。私はこの板でヤツの頭を殴って、ヤツを殺してやるのだ。」 月は板を取り上げ、それを男の尻に刺す。「これからお前の名前はビーバーだ。人間がやって来たら毛皮のためにお前を狩るだろう。」

月は更に谷を登っていく。そして丘の頂上で不安そうに周囲を見回している別の男に出会う。彼は両手に2本の武器を持っていて、武器には鋭いトゲが付いている。「何をしているのだ?」月は尋ねる。「ものごとを変えようとする何者かが来ている。私はこれらすべてのトゲでヤツを刺して、ヤツを殺してやる。」月は武器を取り上げ、それらを男の頭に刺して言う。「これからお前の名前は鹿だ。人間がやって来たら肉と家のためにお前を狩るだろう。」

そして物語は続く。巧みなストーリーテラーの手により --そして、ストーリーテリングは、ネイティブアメリカン文化の芸術である-- チェンジャーの物語は、状況が許す限りどこまでも続いていく。いくつもの生き生きとした事件が、道徳や英知の一片を伝えることを意図して。チェンジャーと、チェンジャーが変えようとする世界に住む存在との間では、大きな戦闘に繋がるような対立の上昇はない。チェンジャーがついに川の源に辿りついた後、空へと飛んで月になり、あるいは山へと変身する。チェンジャーの運命が何であれ、彼の目覚めによって変化した世界は永遠にそのままの姿で残される。

読者諸君、アメリカ史において、我々の公的生活を良くまたは悪く変貌させる巨大な変化で、このパターンがどれほど頻繁に繰り返されているかに気付いただろうか。すべてを決するただ1回の巨大な紛争はほとんど見られない。ナポレオン戦争の終わりにワーテルローの戦いが起こり、決定的に状況を決した一方で、我々の最も類似した事象であるゲティスバーグの戦いは、ただ南部連合国の満潮を示した南北戦争中盤のできごとに過ぎず、最終的にアポトマックスの戦いに続く道のりの中の一点でしかない。問題の変化は、変化の焦点となった1人の周囲に集中していることが非常に頻繁にある。そして、我々の国家の生命という川を遡るチェンジャーは、次々と危機に見舞われるものの、どうにかしてそれらを乗り越えていく、死や引退によって物語が終わるまで -- そして、物語が終わる時には、世界は完全に変化しており、二度と元には戻らない。

これが、ちょうど今アメリカの生活で展開されているように見えるアーキタイプ的パターンである。ネイティブアメリカンの神話で、チェンジャーの役割が魔術の力を備えたカエルによって演じられているのかは分からない。けれども、我々が今いる状況はそのように見える。

現時点では、チェンジャーの神話のうち特に2つの特徴が関連性が高いように見える。最初のポイントは物語の中で巧みに指摘されている。チェンジャーを止め、世界をそのままに留めようとする存在は、チェンジャーが到着した時にも自身の行動を続けるということだ。木の板を持つ男は木の幹を削り続け、多数のトゲのある武器を持つ男は周囲を見渡し続ける。- そして彼らは今日では、ダムの横のビーバー、丘の上の鹿なのだ。変化を拒否したために、彼らは変化できなくなり、失敗した自身の行動計画を永遠に続けるのである。これはまさに、トランプの立候補が躍進を遂げて以来、またはもっと特定すれば彼の大統領就任以来、トランプの敵対者が採り続けている行動である。「これよりお前の名前は抗議者だ。」チェンジャーは言い、その人物の頭にネコミミ帽子*2を被せ、手にプラカードを握らせる…

同じ物語の逆側を見れば、トランプ自身の将来も追えるだろう。選挙キャンペーンの開始以来、トランプの敵対者は、この事件が、あの事件が、また別の事件が、必ずや彼を止めるだろうと確信していた。次々と事件が起こったが、彼は川を遡り、ものごとを変え続けていた。彼らが心から望む巨大な破局は存在しない。決して危機は来なかったし--更には、今後も決して来ないだろう。

これがアーキタイプの特徴である。ひとたび何らかのアーキタイプが人間の依代を見つけ、社会の想像力の内で集合的生活を変貌させ始めた時、もしもアーキタイプを知っていれば、ものごとがどのように進むのかを予測できる。ユングは、先に私が引用したエッセイの中でそれほど多くの予測を立てていない。けれども、ひとたびヴォータンのアーキタイプがその依代を発見しドイツ人のイマジネーションを捉えたら、一直線に終戦ラグナロクへ至るであろうと考えていたことはエッセイの冒頭から明白である。そればかりか、ユングの死後もヒトラーは古典的スタイルで神話の役割を演じ続け、現代世界における死者の王となり、我々の集合的イマジネーションの闇夜を600万人の霊を引き連れて永遠に駆け抜けていったのだ。

ヴォータンはチェンジャーではなく、異なるアーキタイプは異なる運命を追求する。ここまで議論してきたポイントを踏まえると、トランプの歩みを止めようとする将来の試みは、既に試行されてきたこと以上の効果をもたらすことないだろうと思う。取調べでトランプの頭を叩こうとしたり、メディアの弾劾でトランプを突き刺そうとする努力は間違いなく継続されるだろう--実際のところ、神話を眼にした上では、ミュラーの調査*3が何の効果も上げられないまま長期間ダラダラ続いていったとしても驚かないし、メディアや公式のインテリゲンチャからの狙撃がわずかでも減少したとしたら、私は驚くだろう--けれども、それらすべては結果に影響を与えることはあるまい。2025年の始まりに、ドナルド・トランプが後継者へと大統領の地位を受け継ぐ時、長きにわたる危機の連鎖も決して私を脱線させられなかった、と彼は回顧するであろう。その時には、更に、この国と世界は元に戻らないほど変化しているだろう。

この連載記事の最初の2件を見れば、トランプ時代の向こう側で形作られる新しいリアリティを予想することはそれほど難しくない。連邦規制の劇的な削減、労働者階級の雇用のオフショアリングを推奨する一方的な自由貿易協定の終焉、そして、大規模な違法移民の暗黙的推奨政策の終焉と、その結果としての賃金と福祉の下方圧力の終焉--トランプ政権のすべての中核を成す政策--は、アメリカ国内社会から管理貴族を追放し、経済力の劇的な再均衡リバランスを暗示している。政治におけるリアリティとはこのようなものであり、またこれは政治的な影響力にも同様に劇的なリバランスをもたらすだろう。既に我々は活発な社会主義者の反乱が民主党エスタブリッシュメントを脅かしつつあるのを目撃している。それより劇的ではないものの、同じように広範な影響力を持つポピュリスト候補者が共和党流入を始めてもいる。主流派メディアと公式のインテリゲンチャの声高な非難にもかかわらず、代替策はある [There Is An Alternative] のだ --実際のところ、1つ以上ある-- そして、それ自体が、過去40年間にわたる強制的コンセンサスが我々の周囲で粉砕されつつあると示している。

国際環境にも同様の劇的な効果をもたらすだろう。直近の管理貴族が権力と富を保持していた理由は、アメリカ合衆国が全世界のほとんどでヘゲモニーを維持していたからである。我々の帝国は--イエス、分かっている。このような単語を使うことは不適切かもしれない、しかし現実を話そう--我々の帝国が、と私が言っているのは、人類の5パーセントに過ぎないアメリカ合衆国の居住者が、惑星の資源の4分の1と工業製品の3分の1を独占しているからだ。また当然、それらはアメリカ人の間でもまったく平等に分配されていない。オールドマネーの名家と、テック株のゴジラ長者 [godzillionaires] たちが、多かれ少なかれ、揃ってトランプ政権の反対者の周囲に集っている事実は、彼らは風向きがどちらであるかを完全に理解していると示している。

あらゆる帝国の歴史には、帝国を維持するコストが利益を超過する地点がある。我々は既にその点をかなり前に通過してしまった。そして、アメリカの労働者階級を貧窮と悲惨へと突き落す政策は、帝国の維持費をあらゆる者に押し付けることで特権階級の安寧を維持しようとする試みとしては、とてもよく理解できる。自由貿易協定の終焉、NATOのような対外軍事協定からの撤退、ロシア、北朝鮮その他の敵対国との暫定協定に向けた第一歩は、帝国からの撤退においては必須のステップである。遠く離れた未来、川を遡るチェンジャーの旅路の向こう側で、我々はポスト帝国時代のアメリカの最初のぼんやりとした予兆を眼にできる。運が良ければ、その国は今ほどの激しい階級間対立によって引き裂かれておらず、そのため多くの喫緊の問題に少しだけ上手く対処できるかもしれない。

覚えておいてほしい。今から50年後にも、屋根裏部屋から持ち出した虫食いのネコミミ帽を被る人々は確実に存在しているだろう。そして、古き良き時代を懐しく追憶するのだ。まだアメリカ合衆国が世界に代わりのない国であると装うことができた時代、バラク・オバマが攻撃ドローンを使って世界の裏側で結婚パーティを蒸発させていた時代、嘆かわしい人々が未だ自身の持ち場をわきまえていた時代を。それが時代遅れになった貴族の本質である; より広いスケールでは、それが歴史的な変化の本質なのである--特に、集合的精神の深層パターンが行動へと波及し、その目覚めに従い衰退する時代の前提を後に残していった時には。

*1:訳注:ワイルドハント - Wikipedia

*2:訳注: トランプに対する抗議として、ネコミミの帽子(pussy hat)を身に付けるという運動がある。トランプが「女性のpussyを掴んでやる」と発言したことに由来するのだとか。

*3:訳注:特別検察官ロバート・ミュラーによるロシアの大統領選挙介入疑惑の調査