Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

シンギュラリティ教徒への追悼の文 〜ブログ一周年にあたって〜

私のプロジェクトブログ『シンギュラリティ教徒への論駁の書』の最初の記事を、2017年5月18日に投稿してから一年がたちました。

この1年間で、AIに関する公的な議論の焦点も、自分の興味関心も移り変ってきました。在野の物好きな人間が見た「AIとシンギュラリティ」言説の状況、一年間のブログ書きの総括、ちょっと気の早い後書きとして、自分が感じていることを書き残しておきたいと思います。

AIを巡る言説の変化について

2010年代前半から沸き上がったAIブームは、しばらく前から言われていた通り、完全に沈静化したと言ってよいと思います。特に、昨年半ば以降、ディープラーニングと「AI」に対する過剰な期待、あるいは「シンギュラリティと超知能」のナラティブは、科学的・技術的に「誤り」というだけではなく、AI研究の方針と科学技術政策を歪める「悪い」ものである、と著名な研究者や科学ライターたちが指摘し始めました。いくつか列挙しておくと、ジャン=ガブリエル・ガナシア氏の『そろそろ、人工知能の真実を話そう』や新井紀子氏の『AI vs.教科書の読めない子どもたち』といった書籍、フランソワ・ショレ氏マイケル・ジョーダン氏のエッセイなどが挙げられるのではないかと思います。

また、Webや雑誌等の人工知能に関する日本の言説を見ても、ナイーブに「シンギュラリティ」に言及する議論は減ってきたように感じますし、どちらかと言えば地に足の着いた議論が増えてきたように見えます。(一部狂信者や利害関係者は発言を続けているようですが、元々私自身もそういった人たちの考え方を変えられるとは思ってはいません)

自分が発言していなくてもこの流れにさしたる影響は無かっただろうと思いますし、「私がAIハイプを終わらせた」と言うつもりもありません。それでも、信者の眼を覚まさせることができ、あるいは、無根拠でキャッチーな説への大衆的支持を利用して科学技術政策や投資への介入を目論む人間をウザがらせることができ、わずかなりともAI言説の軌道修正に貢献できたなら幸いです。

巨大IT企業に対する批判について

ここ1年程度の間に、超巨大IT企業、特にGAFA (Google, Amazon, Facebook, Apple)に対する批判は強まったように感じます。特に、Facebook社のケンブリッジ・アナリティカとのスキャンダル、トランプ大統領Amazon批判などが挙げられるかと思います。

こういった現象がシンギュラリティ論と絡めて議論されることはあまり多くありません。けれども、巨大IT企業のセルフブランディング、「人類の進歩の担い手」としての理想主義的な旗印の下に、エゴイスティックなビジネス上の利害が隠蔽されていると暴露されたことと、コンピュータとインターネットに対する技術ユートピアニズムの失速は、完全に無関係ではないだろうと感じています。(最終章ではこんな内容も書きたいなぁと思っています。)

ブログを書き出した経緯について

たまに「守備範囲が広いですね」と言われるので、もう一度私のバックグラウンドを説明しておくと、もともとOS/マイクロアーキ関連の研究室に所属していたこと、身内の病気がきっかけで神経生理学関連の調べ物をしていたことで、この2つの分野で若干の基礎知識を持っていました。(また、マイクロアーキ研究を通して、斎藤元章の事業もそれなりに早くから認識してはいました)

直接のきっかけとしては、自社内ですら能天気に「シンギュラリティ〜」を唱え出す人間が居てウザかったことと、斎藤元章氏の主張が行政の科学技術政策に若干の影響を与えていることに対して危機感を抱いたためです。

ただ、当初の想定では、ムーアの法則の著しい乱用と、脳構造の著しい単純化に対する批判と反駁がメインで、ここまで膨大なものになるとは想像していなかったのですが…

更に私の「計算」としては、

  • 若干論争的なテーマ設定なので、注目を集められるだろう
  • AI専門家は、あえて自分野のブームを盛り下げさせるようなことを言い出さないだろうから、この分野は競合が少ないだろう

と、ブロガー/ライターとして「名を売ろう」という若干の功名心があったことは事実です(笑)

ただし、想定外だったのは、

  • そもそもほとんどの人はシンギュラリティ論に興味すらなく、ターゲットが小さすぎる
  • 心から信じ込んでいる「信者」は、(正しさを確信しているから)論証により正しさを示すことにほとんど興味がないらしい
  • 自己利益のために論を利用しているだけの「偽信者」は、自分が根拠のないことを主張をしていると理解しているため、わざわざムキになって反論しようと考えない (そもそも、匿名ブログから攻撃されたところで蛙の面に小便)
  • 多数のAI専門家が、過剰なブームの盛り上りに対して苦言を述べだした

ことです。

自分が想像していたよりも注目は集まりませんでしたが、それでも、決して少なくない方(肯定派・懐疑派両方)から私の意見を支持または反駁するためのコメントを頂きました。ここでお礼を申し上げます。

Webで長文を書くことについて

目次でも書いた通り、もともと『論駁の書』は一種の書物として、流れを持つ一連の文章として発表しようと考えていたものでした。結果的に断念してブログで公表したわけですが、一方でSNSの隆盛によりブログそのものが下火になった現在、発表手段を間違えたかなあという感じがあります。

とは言え、2018年現在、Webで長文を書こうと考えた場合、一体何が適切なメディアであるのか今でも分かりません。

最近ではMedium、Qiitaやnote.muのようなパブリッシングサービスや特定分野のコミュニティサイトも流行っており、これらのサイト上で記事を見ることも多くなりました。しかし、上記サービスは単独の孤立した記事を書くものという印象が強く、10万字単位で、章立てを持つ、ある程度関連性のある文章を書くためには向いていないように感じます。とはいえ、これほどまでに莫大な長文をWeb上で公表しようとする人は非常に少ないらしく、ニーズもないからサービスもないのでしょう。やはり、これだけの規模の文章をマネタイズしようと思うと、未だ紙の書籍化以外の手段はないようです。

ちなみに、書籍化はまだ断念したわけではないので、ご興味のある編集者の方はご連絡いただけますと幸いです(笑)

書評:『11の国のアメリカ史』 (コリン・ウッダード)

ドナルド・トランプの大統領当選以来、アメリカ合衆国の社会の分断は日本のメディアでも取り上げられることも多くなりました。けれども、そこで取り上げられる事象は表層的で、ともすれば「白人至上主義者vs.有色人種」、「共和党vs.民主党」のように単純な二項対立で捉えられることが多いようです。

本書『11の国のアメリカ史』は、歴史的な視点から、複雑に絡み合ったアメリカ合衆国の分断の経緯に対して見通しを与えてくれる良書でした。

11の国のアメリカ史――分断と相克の400年(上)

11の国のアメリカ史――分断と相克の400年(上)

11の国のアメリカ史――分断と相克の400年(下)

11の国のアメリカ史――分断と相克の400年(下)

タイトルでも端的に表現されていますが、本書の中心的主張を要約するなら次のように言えます。

アメリカ合衆国という「ステイト」は、11の「ネイション」から成り立っている。植民地時代から続く11のネイションの協力と闘争が、今日までアメリカを形作っている。』

ここで、「ステイト」と「ネイション」という言葉には少し説明が必要かもしれません。本書では次の通り説明されています。

ステイトとは、イギリス、ケニアパナマニュージーランドのような主権をもつ政治的実体であり、国連の加盟資格をもち、ランド・マクナリー社やナショナル・ジオグラフィック協会作成の地図に載っているものである。ネイションとは、共通の文化、民族的起源、言語、歴史的経験、工芸品、シンボルを共有しているか、あるいは共有すると信じている人びとの集団である。(上巻 p.5)

ざっくりと言えば、「ステイト」とは地図に描かれる「国」のことで、「ネイション」とは、共通する民族や言語や宗教や歴史などの文化圏を指しています。

さて、この11のネイションですが、これは地図を見たほうが分かりやすいと思います。

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以下、本文では11のネイションの形成順に歴史が取り上げられています。


最初は、「エル・ノルテ」「ニューフランス」の形成について。アメリカ史は、1620年のピルグリム・ファーザーズのプリマス到着から書かれることが多いですが、それ以前よりフランス・スペインは南北アメリカ大陸に植民地を築いていました。この2カ国からの移民によって作られたネイションが「エル・ノルテ」と「ニューフランス」であり、現在ではそれぞれアメリカ南西部のメキシコ国境地帯、カナダのケベック州およびニューオーリンズに位置します。ほとんど知られていない事実として、アメリカを象徴すると見なされている牛の放牧とカウボーイの文化は、実はスペインの文化に由来するのだそう。

次は「タイドウォーター」の形成で、地理的にはヴァージニア州ノースカロライナ州の大西洋沿岸に位置します。このネイションは、イギリスの貴族階級出身者によってプランテーション会社として開始され、政治的には保守的・専制的な社会であったといいます。一方で、ヴァージニア植民地はトマス・ジェファソンやジョージ・ワシントンといった共和制の擁護者を生み出し、特にアメリカ建国期において大きな権力を占めるようになります。これは彼らが範とした社会のあり方は、ギリシャ・ローマ時代の「古典的」共和主義であったからだと言われています。

その次は「ヤンキーダム」ニューイングランドに端を発し、後に五大湖の西部にまで拡大したネイションです。イギリスを追われた急進的カルヴァン派が中心であり、貴族制を敵視し、宗教的理念に基いた理想社会の建設を目指したネイションです。「ヤンキーダム」は、現在のアメリカからはちょっと想像できないほどの厳格な宗教国家で、1656年に「長い航海から帰宅した船長が、玄関先で再会した妻にキスしたことは破廉恥である」として罰を受けた、というエピソードが挙げられています。当然、「ヤンキーダム」と「タイドウォーター」および後で取り上げられる「深南部」は理念からし犬猿の仲であり、後々もしばしば対立することになります。

「ニューネザーランド」は、ほぼ現在のニューヨーク市に相当し、オランダ人によって形成されました。当時のオランダは、金儲け以外にはさして興味のない宗教的に寛容な国であり(それゆえいわゆる「鎖国」中の江戸時代の日本もオランダとは通商を続けた)、その気風は現在のニューヨークにも繋っています。

「ディープサウス」、南部の奴隷州を形作った白人プランターは、英領バルバドス島のプランテーションに起源を持ちます。同時に、彼らはバルバドスの社会から奴隷制度を持ち込み、それが今日まで続く黒人への差別問題という暗い影を落としています。当時の道徳的価値観に照らしてさえ、彼らの奴隷の扱いは残虐であると批判されていたようです。

「ミッドランド」は、ペンシルヴェニア州に端を発するネイションです。イギリス系のクェーカー教徒によって建設され、宗教的に寛容だったためにドイツ系移民を多く受け入れ、穏健で中道的なネイションを形成しています。政治的にはどっち付かずでまとまりに欠ける部分もあり、アメリカ政治に大きな影響を与えています。(ペンシルヴェニア、オハイオは、トランプの大統領当選で話題になった「ラストベルト」の一角を成しています)

植民地時代最後に形成されたネイションが「大アパラチア」です。ヴァージニアからタイドウォーター経由で上陸し、そのまま内陸のアパラチア山脈まで移動し入植した人々からなります。その多くは「ボーダーランダー」と呼ばれるイングランドスコットランドの国境の紛争地帯に起源を持つ彼らは、総じて気性が荒く個人主義的・反政府的な気風を持ちます。

「レフトコースト」は、独立後に誕生したネイションで、地理的には太平洋沿岸部に位置します。文化的には、ヤンキーダムと大アパラチアの混淆であり、ヤンキーの理想主義的・宗教的な特性とアパラチアの個人主義的な雰囲気を持ちます。

最後の「極西部」は、気候条件の悪さから南北戦争後まで入植がされなかった、一番新しいネイションです。入植を可能としたのは鉄道、灌漑設備や農業機械といった資本集約的な技術であり、ネイションの始まった当初から大企業や連邦政府の強い影響下にありました。他ネイションに依存した国内植民地といった性格を帯び、それゆえに、反政府・反企業的な感情を抱いています。

最後の「ファーストネイション」は、アメリカ先住民のネイションですが、本書ではカナダから北極圏に住むイヌイットエスキモーを指しています。


この11のネイション間の相互の協力・敵対関係によってアメリカ史が作られた、という観点を打ち出しているのですが、その解釈も非常に興味深いものです。

アメリカ独立戦争は、13州が一致団結してイギリスの横暴と戦った…というような話ではなく、異なる価値観を持った反目し合うネイション同士が、共通の利害のために止むを得ず手を組み、いやいやながら協力したといったほうが実状に合うのではないか、と論じられています。

そして、南北戦争については、歴史の偶然によっては、武力闘争による暴力的な統合ではなく、理性的・平和的に、アメリカが4つの「ステイト」に分裂する可能性があったのではないかと解釈されています。実際のところ、奴隷制に対して強く反対していたのは、宗教的情熱に裏打ちされたヤンキーダムのみであり、他のネイションから奴隷廃止の主張は支持されていなかったからです。

そして、終章では、将来のアメリカ合衆国の展望が語られていますが、その姿はなかなか衝撃的です。国を統合する基本原理に対する尊重が失なわれた場合には、という条件付きですが、アメリカ合衆国は (カナダ、メキシコも) 複数に分裂する可能性すらある、とウッダードは主張しています。

2100年の北アメリカの政治地図は1900年あるいは2000年の政治地図と同じように見えるのだろうか。(...)
言えることはこうだ。アメリカ合衆国、メキシコ、そしていくぶんカナダが直面している課題を考えれば、北アメリカの政治的境界線が2010年の現状にとどまると想定するのは、(...) ありそうもないと思われる。

本書を書いている時点では、合衆国はグローバルな卓越性を失いつつあるように見え、衰退する帝国の古典的な兆候を示してきている。(下巻 p.233-234)

フォールアウトシリーズや士郎正宗の作品など、近未来の世界を描いたフィクションでは、分離国家となったアメリカが舞台設定として用いられることがあります。そんな観点から、アメリカの未来像を妄想してみても面白いかもしれません。

翻訳がヌルいせいか、あるいはウッダード自身の文章が分かりづらいせいか(おそらく両方)、扱っている内容は非常に面白いのにやや読み辛いのが残念なのですが、敬虔でありながら世俗的、理想主義的であり現実主義的、寛容にして差別的、平和的かつ好戦的な複雑なアメリカ、その複雑な成り立ちと将来を考える上で、欠かせない本であると思います。

読書メモ:身銭を切れ!『Skin in the Game』(ナシーム・ニコラス・タレブ)

ブラックスワン』で有名なナシーム・ニコラス・タレブの新刊。

Skin in the Game: Hidden Asymmetries in Daily Life

Skin in the Game: Hidden Asymmetries in Daily Life

 

タイトルの 「Skin in the Game」は、文字通りには「肌(身)をゲームに晒す」こと、イディオムとしては「身銭を切る」「自らの言動に対して、自分自身でリスクを負う」といった意味があります。(金融の世界では、投資家のウォーレン・バフェットが投資の判断基準の一つとして述べたことで有名になりました。)

例を挙げれば、自分で栽培した農作物を自分で食べる農家、自身が批判に晒されるリスクを引き受けて世間の誤りを正す人、起業家や自己資金を投じる投資家などは「Skin in the game」であり、一方で、自分自身は口にしない遺伝子組み換え食品を売る巨大アグリビジネス、ほとんどのジャーナリストや書評を書く人間(笑)、平時には多額のボーナスを受け取りながら、金融危機の際には税金から救済を受けるような投資銀行は、そうではないと言います。

すなわち、利益を手にするにはそれと対称のリスクを取る必要がある、そしてそのリスクを他人に転嫁するべきではない。そして、「Skin in the game」の状態こそが倫理的に善いものであり、社会全体でも「脆弱」ではない望ましい状態であると言います。タレブは、この 「Skin in the game」と「非対称性」の概念をベースとして、経済から歴史、科学から宗教に至るまで、さまざまな事象を分析しています。

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個人的に面白いと思ったのは、ごく少数のマイノリティの価値観が、社会全体に敷衍するプロセスを論じた節。ムスリム比率がせいぜい数%程度のヨーロッパの国であっても、ハラール食品の普及率はそれ以上に多いのだそう。ハラールな食品はムスリム以外でも食べられるものの、ムスリムは絶対に豚肉を食べない、という非対称性があるためです。このように、最も強固な信念を持つ少数派が大きな影響を与える傾向は、アレルギー食品から市民の権利に至るまでさまざまな場所で見られます。タレブはここから議論を発展させ、社会の価値観や規範は、全員のコンセンサスではなく(自分の信念に対して強く「Skin in the game」した) マイノリティによって形作られることを示しています。

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ブラックスワン』や『反脆弱性』と同じく、科学的な話題から神話や啓典から個人的なエピソードまで多様な話題が取り上げられていて非常に面白いのですが、文章は晦渋で難解です。過去作と共通の話題や論点もあるとは言え、しっかり理解できているとは言い難いので、翻訳が出たらもう一度読み返したい…
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以下は印象に残った警句の雑多な抜き書き。

"You will never fully convince someone that he is wrong; only reality can.”
(誰かに自分は間違っていると納得させることはできない。ただ現実だけができる。)

“Avoid taking advice from someone who gives advice for a living, unless there is a penalty for their advice.”
(生計のためにアドバイスを与える者からのアドバイスを避けよ。彼らが間違ったアドバイスに対するペナルティを受けるのでない限り。)

“Things designed by people without skin in the game tend to grow in complication (before their final collapse).”
(「skin in the game」のない人が作る物は複雑化する傾向にある (最終的に崩壊するまでは) )

“Studying courage in textbooks doesn’t make you any more courageous than eating cow meat makes you bovine.”
(教科書で勇気を学んでも勇敢になることはできない。牛肉を食べても牛にならないのと同じだ。)

“Science is fundamentally disconfirmatory, not confirmatory.”
(科学は根本的に不確証的なものであり、確証的なものではない。)

scientism, a naive interpretation of science as complication rather than science as a process and a skeptical enterprise. Using mathematics when it's needed is not science but scientism.
(科学主義[scientism]とは、科学をプロセスと懐疑的事業とみなすのではなく、複雑なものとみなす科学の素朴な解釈である。不必要な数学の使用は科学ではなく科学主義である。)

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たぶん私以外には完全にどうでもいいことだと思いますが、前作の『反脆弱性』では、レイ・カーツワイルの考えと行動をボロクソにけなした記述があって、今回もそんなネタを期待していたのですが無かったので残念でした。

 

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質

 

ジャレド・ダイアモンドによる宗教の定義まとめ

上記記事の反応で、宗教の定義が無いというコメントがあったので。

ジャレド・ダイアモンドの「昨日までの世界」の宗教に関する議論の中で、宗教の定義が16件挙げられています。

 

1. 超人的な支配力に対する人間の認識であり、とくに服従の対象となる個人的な崇拝の対象についての認識である(Consice Oxford Dictionary)

2. 信念もしくは崇拝についての特定の体系であり、しばしば倫理規範や一種の哲学を含む(Webster's New World Dictionary)

3. 物体、人物、不可視のもの、あるいは超越的存在、神聖、天与、上智についての思想体系に関連した、信念や考え方とともにする集団を基盤とした社会的一体性を持つ体系。さらに、倫理規範と慣習、価値観、慣例、伝統、および信仰や思想体系に関連した儀礼に関連した信念や考え方をともにする(Wikipedia

4. もし私たちが、宗教生活をできるだけ広い、もっとも一般的な言葉で特徴付けるようにもとめられるならば、宗教生活は、見えない秩序が存在しているという信仰、および、私たちの最高然はこの秩序に私たちが調和し順応することにあるという信仰から成り立つ、と答えることができよう(ウィリアム・ジェイムズ

5. 存在すると認められるべき一つの超自然的行為主体、ないし、いくつかの超自然的行為主体を信じている人々からなる、一つの社会システムである(ダニエル・デネット

6. 自然の運行と人間の生命の動きに命令しそれを支配すると信ぜられる超人間的な象徴の力に対する宥和または慰撫に他ならない(ジェームズ・フレイザー

7. 自分自身の存在の究極の条件と人とを結びつける象徴的な様式もしくは行為(ロバート・ベラー)

8. 社会の「究極の懸案事項」に向けられた信念や慣習の体系(ウィリアム・レッサとイーボン・ボート)

9. 万物の分類を研究する人間を支援あるいは疎外する超人的存在とその力への信念であり、この信念があらゆる宗教の定義で表現されるべき核となる変数であると私は強く主張する。……私は「宗教」を「文化的に前提とされた超人的存在との、文化的にパターン化された相互作用からなる制度」と定義しよう(メルフォード・スパイロ

10. 文化横断的に共通する宗教の要素は、不可視の規則と数々の象徴の組み合わせによって定義される最高の幸福である。この象徴は、不可視の規則と調和して生活するための個人や集団の秩序化を支援するものであり、調和を達成しようとする感情的貢献を支援するものである(ウィリアム・アイアンズ)

11. 宗教とは、神聖すなわち分離され禁止された事物と関連する信念と行事の連帯的な体系、教会と呼ばれる同じ道徳的共同社会に、これに帰依するすべてのものを結合させる信念と行事である(エミール・デュルケーム

12. 大雑把にいって、宗教とは、死や幻想といった人間の存在上の苦悩を超越した、事実や直感に反する超越的存在の力や、超越的存在に対する犠牲が大きく破りにくい約束を共同体がすることである(スコット・アトラン)

13. 宗教とは、一般的な存在の秩序の概念を形成し、また、これらのの概念を事実性の層をもっておおうことによって、人間の中に強力な、浸透的な、永続的な情調と動機づけを打ち立たせ、情調と動機づけが、独特、現実性をもつようにみえるように働く、象徴の体系である(クリフォード・ギアツ

14. 宗教とは、神話を創造して普及させるため、さらに利他の精神を相互に発揮させるため、そして共同体の成員間でそれぞれの利他と協力の精神の度合いを知らしめるために、人間文化の不可欠な機序として進化した社会的慣習である(マイケル・シャーマー

15. 宗教とは、信仰と習慣と制度が一組になったものであり、人間がさまざまな社会で進化させてきたものである、と定義する。(タルコット・パーソンズ

16. 宗教は追いつめられた生き物のため息であり、非常な世界の情であるとともに、霊なき状態の霊でもある。それは人民の阿片である(カール・マルクス

ダイアモンドは、以上16件の定義を踏まえた上で、宗教の特徴を以下5つにまとめています。

1. 超越的存在についての信念の存在
2. 信者が形成する社会的集団の存在
3. 信仰にもとづく活動の証の存在
4. 個人の行動の規範となる実践的な教義の存在
5. 超越的存在の力が働き、世俗生活に影響をおよぼしうるという信念の存在

なお、「一つ二つの要素が欠落するからといって、その事象を非宗教的と決めつけることも意味をなさない」と注意を述べています。 

この手の定義を見て少し不思議だなぁと思うのは、死後の来世のあり方、あるいは現世における永遠の生命について直接的に述べる人が少ないことです。(おそらく 1. の「超越的存在」に含まれるのでしょうけど) 

私自身は「世俗と宗教」を分けることにそんなに意味はないと思っているのですが、宗教の特徴を整理してみると、以下の5つになると思います。

  1.  超越的存在への信念
    ここで言う「超越的な存在」は、神や霊かもしれませんし、仏教の「輪廻転生とカルマの法則」、「収穫加速の法則」のような抽象的法則の類いかもしれません。また、 ここで言う超越的存在には、自分自身や近親者の死後のあり方、来世や永遠の生命についての語りを含む場合が多いです。
  2. コミュニティ
    人間は放っておくと (世俗的なものも含む) 集団を作るので、それほど重要な要素でもないかも… と思います。
  3. 儀式、儀礼
    ここで言う「儀式や儀礼」は、「実際的・実利的な意味から切り離された活動」を意味します。「感染症を防ぐため衛生的に死体を処理する」のではなく「遺体に何らかの言葉を唱えた上で墓地に埋葬する」、「特に読んでない科学記事をリツイートする」という感じです。
  4. 道徳的な掟や価値判断の基準
    義務や禁止事項、善悪の基準など。
  5. 超越的存在の力が及ぼす世俗世界への影響の信念
    「先祖の霊が祟る」、「科学技術の進歩は自然法則」といった信念があります。

この観点から言えば、クライオニクス、マインドアップローディングや劇的な寿命延長などのフリンジサイエンス的信念・実践による永遠の生命への希望を含めた、広い意味でのシンギュラリタリアニズム/トランスヒューマニズムは、やはり宗教であると思います。

【Deep Learning with Python】畳み込みニューラルネット(CNN)の説明

前回は、畳み込みニューラルネットワーク (Convolution Neural Network; CNN) のサンプルコードを動作させてみた。もはやググればいくらでも説明が見つかるので特に説明の必要もないかと思ったけど、ここではCNNの構成要素についての説明を簡単にまとめる。

畳み込み

「畳み込み」という処理は、画像処理で言えばおおむね「フィルタリング」に当たる。画像上の一部分を切り出し、これを1つの特徴量として圧縮 (=畳み込み) する。畳み込みの操作は、切り出した小領域と「フィルタ」を演算 (内積) することで行なわれ、このフィルタの形状によって画像の「特徴量抽出」ができる。

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この図5.3 は3x3のフィルタをMNIST画像サンプルに適応してみた例。右下がりの斜めの線に強く反応しているようだ。CNNではフィルタの形状(畳み込み係数)自体も学習できるので、さまざまなフィルタが作られ、画像の特徴量を抽出できる、ということらしい。

パディング

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たとえば、上図の例のように5x5ピクセルの画像から3x3の小領域を切り出した場合、合計で9つの小領域しか作れない。この場合、作成される特徴量マップは3x3に縮小されてしまう。これを防ぐために、元の5x5の画像の周囲に1x1のダミーのピクセルを追加(=パディング)し、出力される特徴量マップが元画像と同じ5x5のサイズとなるようにする処理を行なう。

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素人考えだと、次のプーリング層でどうせサイズが縮小されるのだから、特徴量マップが縮小されてもあまり気にしなくても良いんじゃないか… と思ってしまうけど、たぶん画像の隅にある情報を取りこぼさないためのものなんじゃないかと思う。

KerasのConv2Dレイヤーでは、引数"padding" を指定するとパディングをするかどうかを選択できる。なお、デフォルトではパディング処理を行なわない。

マックスプーリング

先のCNNのサンプルでは、畳み込みの処理を行なった後、マックスプーリング層で特徴量マップを半分のサイズにダウンスケールした。このプーリングの処理が必要な理由は次の2点である。

  • 畳み込みを繰り返すと、特徴量の空間的な階層性を学習させることが困難になる
  • ダウンスケールしないと、次元数が大きくなりすぎるため過学習が起こりやすくなる

本書では書かれていないけど、画像の平行移動・回転に対するロバストネスを向上させるためという説明もされることも多いみたい。

プーリング層では、特徴量マップからある一部分の領域を切り出し、そのうちの最大値を取り出すマックスプーリングが使われることが多い。ただし、プーリングの処理はマックスプーリングに限らない。切り出した小領域の平均値を取るアベレージプーリングという処理もある。ただし、マックスプーリングは他のプーリング処理よりもうまく働くことが多い。端的に言えば、特徴量は特徴量マップ上の異なるタイル上にあるパターンの空間的配置によって表される傾向があるためである。

コード

KerasでのCNNのモデル作成方法は以下のコードの通り。(このコード自体は前回の再掲)

from keras import layers
from keras import models

model = models.Sequential()
model.add(layers.Conv2D(32, (3, 3), activation='relu', input_shape=(28, 28, 1)))
model.add(layers.MaxPooling2D((2, 2)))
model.add(layers.Conv2D(64, (3, 3), activation='relu'))
model.add(layers.MaxPooling2D((2, 2)))
model.add(layers.Conv2D(64, (3, 3), activation='relu'))

書評:テレビ芸人としてのトランプ『炎と怒り』

私を昔から知っている人は、たぶん、私がちょっとしたトランプウォッチャーだということを知っていると思う。私の好きなアメリカ人ブロガーが2016年1月にトランプの当選を完璧に予測していたこともあり、大統領選挙予備選の早い段階から今日に至るまで、この奇異なセレブの言動に少しばかり注目していた。

そういうわけで、話題のトランプ暴露本『炎と怒り』を読んだ。

炎と怒り――トランプ政権の内幕

炎と怒り――トランプ政権の内幕

内容については、いろいろな人が言っているけど「重大な衝撃の新事実」といった情報は多くない。たぶん、トランプ本人のツイートとリーク、新聞などを少し追っていれば、すでにどこかで聞いたことがある情報も多いと思う。それでも、語り口は軽妙でまとまっているので、改めて笑いと恐怖を感じながら非常に面白く読めた。

時系列的には、大統領選挙投票日の少し前から、スティーブ・バノンの解任 (2017年8月) ごろまでを扱っている。

特に面白いのが、トランプ自身も含めて選挙スタッフの誰もがトランプが当選するとは信じていなかったということで、大統領選挙への出馬は単なるパブリシティだったという。元安全保障担当補佐官だったマイケル・フリンがロシアとの接触を全く懸念していなかったのも、どうせ選挙で負けるから問題になることはないと思っていたからなのだそうだ。

「ところで、大統領になりたいんですか?」とナンバーグはトランプに尋ねた(普通なら「なぜ大統領になりたいのですか?」と問うところだが、それとはずいぶんとニュアンスの違う質問だった)。トランプからの返事はなかった。
(Kindle版loc. No.354-356)

(開票の時の様子を) トランプ・ジュニアが友人に語ったところでは、DJT(ジュニアは父親をそう呼んでいた)は幽霊を見たような顔をしていたという。トランプから敗北を固く約束されていたメラニアは涙していた--もちろん、うれし涙などではなかった。
(Kindle loc. No.543-545)

そんな状態で、誰一人として当選を予期しておらず、トランプは政治の知識も人脈も興味もなかったので、当選後の移行期間も就任後もめちゃくちゃなカオス状態であった。元下院議長であるジョン・ベイナー議員を主席補佐官に推薦されたとき、トランプは「誰だって?」と聞き返したのだそうだ。

そして、トランプの周囲で、政治的なバックグラウンドも支持者も全く異なる人々、トランプの身内 (特に、「ジャーバンカ」と蔑称されるジャレド・クシュナーとイヴァンカ)、ポピュリストの扇動者スティーブ・バノン、そして共和党と軍・官僚のエスタブリッシュメントの三派が、ドロドロの権力闘争を繰り広げていく様子が描かれていくが、ワンマンで気分屋のトランプに周囲の人は振り回され、ほとんど彼のの気分次第で重用されたり遠ざけられたりしてしまう。なにせ、トランプ本人ですら自分の好みを理解しておらず思い付きで物を言い(しばしば最後に会話した人に影響を受けるのだという)、そのくせ自身の判断力には絶対的な自信を持っているのだから始末に終えない。

 本書の信頼性について

一応言っておくと、本書ではトランプ本人に関する暴露話や周囲の人間のエピソードがふんだんに取り上げられているものの、信頼性についてはやや疑問があるようで、本国では「東スポ日刊ゲンダイのレベルのゴシップ本」という評価もあり、また単純な事実誤認を指摘されていたりもする。

私も本書を読んでいて、あまりにも自分で見てきたような、聞いてきたような記述がされている上、物語めいた巧みな語り口や過剰なまでの修飾に、臨場感を感じるよりもむしろ鼻白むことも多かった。それでも、ベースになった事実としてはおそらく正しく、一種の風刺としてキャラクターの特徴を捉えているのではないかと思う。

テレビ芸人としてのトランプ

読んでいるうちに考えたたのは、ドナルド・トランプの本質はテレビ芸人なのではないかということ。

選挙出馬前、トランプは8年間『アプレンティス』というリアリティーショーのホストを務めている。市井の人々が何を望み、何を聞きたがっているのかに対する本能的な嗅覚は、おそらくTVの中で培われたものなのではないかと思う。

そして、テレビで人気を集め高い視聴率を得るためには、必ずしも万人から好かれる必要はないし、極論すれば正しいことを言ったり行ったりする必要すらない。たとえ誰かから嫌われていようとも、常に話題を提供し続け、話題の中心に居ること、そして自分のコアな支持層を掴み続けていくことが肝要である。そうすれば、仮に国内のほとんどを敵に回したとしても、コア層は支持を続け、敵対者から自分を守り続けてくれるだろう。

まだこの先約6年半、トランプ劇場からは目が離せなさそうだ。

合わせて読みたい

私は、トランプ氏本人はちょっとした「事故」のようなものだと思っているけど、彼を大統領に押し上げた潮流は本物のもので、今でも解決しておらず、今後の世界を形作っていくものだと思う。そういった視点から、等身大のトランプ支持者を取り上げた本としては『ルポ トランプ王国』が、もう少し広い歴史・思想的な視野からトランプ現象を論じた本としては『破綻するアメリカ』(本サイト書評) が面白かった。

翻訳添削:シリコンバレーのシンギュラリティ大学はいくつかの深刻な現実の問題を抱えている

twitterで「シンギュラリティ」を検索していたら見かけた以下の記事について。

元記事はシンギュラリティというホラを口にして金儲けをする人間の欺瞞が暴き出されておりとても面白いもので、是非読んでほしいのですが、こちらの翻訳はまだ改善の余地が残っていると思うので、私も訳し直してみました。翻訳を添削する過程で、私が翻訳をする際に何を考えながら訳しているのか説明してみたいと思います。

私の訳文についても、完璧だともこなれているとも考えていないので、他の方からのツッコミも歓迎します。(特に私は経済・法律関係は弱いので誤訳があるかもしれません)*1


まず全体的に、この文章での"Singularity"は、「技術的特異点」の意味ではなく、シンギュラリティ大学のことを指しています。

 

It’s lost Google funding and dealt with allegations of assault and fraud.

 Googleが資金調達を失ったのではなく、シンギュラリティ大学がGoogleからの資金を失ったことを意味しています。また、"deal with 〜" は、「〜に対応する、対処する」の意味。

The pitch was simple:

"pitch"には口語で「売り口上、宣伝文句」といった意味があります。

Forget accredited graduate schools and think big at Singularity University

"at Singularity University" は、目的語ではなく、場所を表す前置詞句。全体として、「シンギュラリティ大学で大きく(大きなことを)考えよう」という意味になります。

Google co-founder Larry Page and futurist Ray Kurzweil could be among your lecturers in the Graduate Studies Program at Singularity

この"could"を簡潔に訳すのは難しいのですが、「ひょっとするとカーツワイルやペイジのようなビッグネームが、あなたの講師になるかもしれませんよ (居ないかもしれないけどね)」というニュアンスがあります。なので、「はずです」という表現だとちょっと強すぎるように思います。

Previously unreported police files, other documents, and interviews with current and former students and staff paint the picture that almost from the beginning, some Singularity staffers weren’t able to curb their worst impulses.

(拙訳) 過去の未公開警察資料、他の文書、そして現在と過去の生徒と職員に対するインタビューによって、ほとんど開校直後から、シンギュラリティ大学の何名かのスタッフは自身の最悪の衝動を抑えることができなかったと暴露されている。

無生物主語文の主語を条件、手段、副詞っぽく訳すテクニックはわりと頻繁に使います。
"The medicine will make you feel better"
「薬があなたの気分を良くするだろう」→「薬によって(薬を飲めば)、あなたは気分が良くなるだろう」

"former and current"は、"students and staff" の両方を修飾します。つまり、「元生徒と現生徒、元スタッフと現スタッフ」を意味します。ただし、元の文章自体があいまいで厳密に訳す必要もないので、訳文にも曖昧さを引き継いだ形で訳しています。
細かいことですが、並置された語に対する訳語の品詞は、日本語でも合わせた方が良いです。つまり「現在と元生徒」ではなく「現在と過去の生徒」ないしは「現生徒と元生徒」という訳が良いと思います。

"paint the picture" は、文字通り「絵を描く」の意味もありますが、ここでは「状況を説明する」 という意味のイディオム。日本語でも「描写する」「描き出す」という言葉が、絵を描くことではなく、比喩的に「説明する」という意味で使われることがあるように。ここではやや意訳気味に、「暴露する(される)」と訳してみました。

ここから、「これらの資料が犯罪行為の図式を描いている」→「これらの資料によって、犯罪行為が暴露されている」と訳しています。

A teacher allegedly sexually assaulted a former student, an executive stole more than $15,000, a former staffer alleges gender and disability discrimination,

(拙訳) 講師は元生徒に対する性的暴行容疑を訴えられ、役員は15000ドル以上を横領し、元職員は性差別と障害者差別を訴えている。

ここは名詞句の並列ではなく、複数の文が並置されたものです。つまり、「〜の講師、〜の重役、〜の職員」という意味ではなく「講師は訴えられ、役員は盗み、職員はセクハラを訴えている」という文が並べられた形になります。

"gender discrimination"は「性差別」。ここでは、"(gender and disability) discrimination" で、「性」と「障害」が等位で並置されdiscriminationを修飾しています。「性(ジェンダー)と障害者差別を訴えている」では意味が通りづらいので、若干冗長になるものの漢字の熟語をそのまま使い「性差別と障害者差別」と訳すか、もしくは「性別と障害による差別」と訳したほうが良いかと。

and Singularity dismissed 14 of about 170 staffers and suspended GSP, now called the Global Solutions Program, after Google withdrew funding last year.

(拙訳) そして、シンギュラリティ大学は170名の職員のうち14人を解雇し、GSP、現在の呼び方はグローバルソリューションプログラムを中断した。それは昨年Googleが資金提供を終了した後のことである。

"dissmissed"と"suspended" の主語は、両方ともSingularityです。GSPはGoogleではなくシンギュラリティ大学が主催するプログラムであり、GSPを中断した主体もシンギュラリティ大学です。

Alumni say for-profit Singularity is becoming just another organizer of conferences and executive seminars.

(拙訳) 営利目的のシンギュラリティ大学は、カンファレンスとエグゼクティブセミナーを行う平凡なオーガナイザーになりつつある、と卒業生は述べている。

"Alumini"は、同窓生の意味もありますが、ここでは「卒業生」を指す。

"just another 〜"はイディオムで、「平凡な、ありふれた」という意味があります。当初、シンギュラリティ大学は高い理想を掲げていたにもかかわらず、今では有料セミナーや有料カンファレンスを主催して金儲けする企業になってしまった。類似のセミナー企業は既に多数存在しているのに…といった程度の意味です。

“It’s become a moneymaking corporation.”

"moneymaking company"は、ニセ金作りをする会社…ではなく、もちろん金儲け(にしか興味がない)会社の意味です。

 

以下、ざっと訳しにくいところだけ説明。

 He reminded her he was a doctor, 

(拙訳) 彼は自分が医者であることをほのめかし、

英語としては何ということもない平凡で簡単な文ですが、日本語に訳すには少し考える必要がある文。直訳すれば、「彼は彼女に彼は医者であると思い出させた」ですが、これではあまりに日本語としてこなれていないのでこんな訳文に。

a Singularity human resources official told her Nail believed “the facts around the central allegation of unwanted sexual touching are inconclusive”

(拙訳) シンギュラリティ大学の人事代表者は、「意に沿わない性的接触の核心的な主張に関連する事実は、確定的なものではない」とNailは信じている、と書いた。

元の文章自体がかなりあいまいに書かれているので、訳文も分かりにくいですね。要するに、シンギュラリティ大学は「強制わいせつの客観的証拠は無いだろう」と主張しているということです。

 

The email outlined steps Singularity was taking to reduce the likelihood of staffers being in “potentially intimate situations” on campus,

intimateは、「親密な」という意味ですが、性的な意味での親密さを含意します。

she also kept the cash from a $2,000 check to Singularity, according to a subsequent police report. 

(拙訳) また、後の警察報告によれば、彼女は2000ドルの現金をシンギュラリティ大学に対する小切手から引き出したとされている。

checkは小切手の意味。ここはちょっと細かいニュアンスが分からなかったので、私も誤訳しているかもしれません。

He appealed a $247 million judgment and ultimately settled.

(拙訳) 彼は2億4700万ドルの判定を訴え、最終的には和解した。」

appealには、カタカナの「アピール」と同様の意味もありますが、ここでは「訴訟をする」「上告する」という意味で使われています。「インサイダー取引で彼が告訴された」のではなく、「彼が告訴した」となっている理由はちょっと不明ですが、2億4700万ドルの異議申立をした、という意味だろうと思います。

Eleanor Schuermann, a lawyer at Kastner Kim LLP, is representing a staffer who alleges Singularity discriminated against her because of her gender and disability, paid her less than men in the same position, and retaliated against her for complaining.

LLP (Limited Liability Partnership) は「有限責任パートナーシップ」のことで、弁護士やコンサルタントのように、独立性の高い専門職の人間が集まって仕事をする組合で、共同で一定範囲の責任は負うものの、他パートナーの不法行為に対する責任を終わない法人の形、だそうです。弁護士事務所みたいな感じなんでしょうか。

representも訳の難しい語。原義では、re(再び)+present(提示する)で、ここから「代表、代理する」、「議員である(になる)」、「象徴する」、「言う、示す」、「表現する」などの意味を持ちます。ここでは、性差別と障害者差別を訴えている元職員の訴訟の代理人を務める、という意味。

“We’re nowhere near impacting the billion people our students talk about.”

"nowhere near A" はイディオムで、「Aからほど遠い」の意味。

 

私の訳全文はプロジェクトブログに掲載しています。


そして、翻訳をする際の注意点というかアドバイスを述べておくなら、

  • 多義語、イディオム、特別な意味を持つ構文は辞書で確認する。
  • 文章構造をきちんと取る。特に最初は5文型と等位接続詞に注意する。
  • 訳しにくい構文を日本語に訳すテクニックはある程度整理されているので知っておくと良い。

 しばらく前に名著と言われれる『英文翻訳術』を読んだのですが、学校文法から繋がる形で英語を自然な日本語に訳すテクニックが解説されていて参考になりました。

英文翻訳術 (ちくま学芸文庫)

英文翻訳術 (ちくま学芸文庫)

 

英語の構文を捉えるという観点だと、私が10数年前の受験で使った参考書ですが伊藤和夫氏の本は良かったです。

ビジュアル英文解釈 (Part1) (駿台レクチャーシリーズ)

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英文解釈教室〈新装版〉

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*1:ちなみに、私自身は一番真剣に英語を勉強したのは約10年前の大学受験の頃で、下訳のバイトなどを何件かやったことはありますが職業的に翻訳をしたことはなく、過去にも現在にも特に語学に関わる職業に就いたことはありません