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渡辺遼遠の雑記帳

書評:リベラル派によるリベラル批判の書 『リベラル再生宣言』(マーク・リラ)

最近では、日本でもアメリカでも、「リベラル派」は何となくうさん臭いものと思われている傾向があるようだ。「自由」を旗印に掲げながらも、その自由はリベラル派自身のみにしか適用されず、意見の異なる他者には極めて権威主義的に振る舞う態度を指摘されている。

しかし、そのような途方もない主張をするリベラル派ばかりではない。本書『リベラル再生宣言』は、中道左派を自認する著者による、リベラル派が道を誤った理由の解明とその批判、そしてリベラル再生のための提言だ。

リベラル再生宣言

リベラル再生宣言

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著者マーク・リラは、政治思想史を専門とするコロンビア大学歴史学部教授。上述の通り、穏健な左派の立場を取っており、本書の元になった論考はドナルド・トランプの大統領選出直後の2016年11月、ニューヨークタイムズ紙に掲載された。

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著者によれば、過去1世紀のアメリカ政治体制は大きく分けて「ルーズベルト体制」と「レーガン体制」を辿ってきたという。1930年代にルーズベルト大統領によって提示された「ニューディール」のビジョンは、1970年代のアメリカ社会の経済的成熟により終わりを迎え、その後レーガン大統領による「偉大な社会」のビジョンが続いた。

度々指摘されている通り、実際のところ、旧来の共同体や政府よりも個人の自己決定権と富の蓄積に対して無上の価値を置くレーガン体制は、何かを「守り保つ」という意味での伝統的な保守ではない。政府の存在そのものに対して敵意を持つレーガン主義的な共和党は、自己破滅的な運命を抱え込んでいたとも言える。

アメリカ国民は、もう何十年も、共和党が演じるブラック・コメディを見せられている。共和党は、自らが政権を持たない時には、「政府」というものを敵視することで、政権を奪取しようとする。また、政権を取った時にも、自分たちの支配下にある「政府」を壊すと国民に約束することで、政権を継続しようとする。

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レーガン体制下で、リベラル派もまた変化を遂げた。有権者に「市民」としての連携を訴えるのではなく、個人のアイデンティティを史上とし特定集団の利益のために声を挙げ、結果的にアメリカ人全体をバラバラに分断するアイデンティティ・ポリティクス (著者の用語ではアイデンティティ・リベラル) の袋小路へと陥っていったのだ。

もちろん、民族的マイノリティ、女性、同性愛者など、かつて、そして今でも平等の「市民」として扱われてこなかった人々は存在しており、それらの人々の解放運動の意義は否定できない。かつてのリベラルは、それらの人々との対等性を協調し、市民としての連携を促すものだった。ところが、近年のアイデンティティ・ポリティクスはむしろ人々を分断してしまう。マイノリティの属性を持つ人が、「○○の立場から言えば、××は許されない。」と宣言すれば、いかなる妥協や交渉もできず、そもそもその属性を持たない人には当該の問題について発言する権利すら持たないことにされてしまうからだ。

著者は、アイデンティティ・リベラルとは、超個人主義的な「左派レーガン主義」であると喝破する。

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著者は、現在のリベラル派の問題点を分析した上で、同志であるアメリカ人のリベラル派に対してリベラル再生のための提言を行っている。社会を分断し壁を作るアイデンティティリベラリズムではなく「市民」としての連帯を促すビジョンを提示すること、法廷や大学での現実社会から乖離した「反政治」ではなく、実効性のある方法で政治的権力を獲得して、反対勢力とも合意形成をすることが重要であるという。

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提言部分は若干抽象的なうえ、アメリカ人でもリベラルでもない私にはあまりピンとこない部分もあるものの、現代アメリカ社会の左派が社会と自身をどのように認識しているかを知る上で有用な本だった。

合わせて読みたい

アメリカの保守政治の文脈から見たリベラル派の機能不全については、『破綻するアメリカ』でも取り上げられている。

過激化したリベラル派の問題点については、こちらのエッセイ(拙訳)も詳しい。