Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳。技術ネタと読んだ本の紹介。

シンギュラリティ教徒への追悼の文 〜ブログ一周年にあたって〜

私のプロジェクトブログ『シンギュラリティ教徒への論駁の書』の最初の記事を、2017年5月18日に投稿してから一年がたちました。

この1年間で、AIに関する公的な議論の焦点も、自分の興味関心も移り変ってきました。在野の物好きな人間が見た「AIとシンギュラリティ」言説の状況、一年間のブログ書きの総括、ちょっと気の早い後書きとして、自分が感じていることを書き残しておきたいと思います。

AIを巡る言説の変化について

2010年代前半から沸き上がったAIブームは、しばらく前から言われていた通り、完全に沈静化したと言ってよいと思います。特に、昨年半ば以降、ディープラーニングと「AI」に対する過剰な期待、あるいは「シンギュラリティと超知能」のナラティブは、科学的・技術的に「誤り」というだけではなく、AI研究の方針と科学技術政策を歪める「悪い」ものである、と著名な研究者や科学ライターたちが指摘し始めました。いくつか列挙しておくと、ジャン=ガブリエル・ガナシア氏の『そろそろ、人工知能の真実を話そう』や新井紀子氏の『AI vs.教科書の読めない子どもたち』といった書籍、フランソワ・ショレ氏マイケル・ジョーダン氏のエッセイなどが挙げられるのではないかと思います。

また、Webや雑誌等の人工知能に関する日本の言説を見ても、ナイーブに「シンギュラリティ」に言及する議論は減ってきたように感じますし、どちらかと言えば地に足の着いた議論が増えてきたように見えます。(一部狂信者や利害関係者は発言を続けているようですが、元々私自身もそういった人たちの考え方を変えられるとは思ってはいません)

自分が発言していなくてもこの流れにさしたる影響は無かっただろうと思いますし、「私がAIハイプを終わらせた」と言うつもりもありません。それでも、信者の眼を覚まさせることができ、あるいは、無根拠でキャッチーな説への大衆的支持を利用して科学技術政策や投資への介入を目論む人間をウザがらせることができ、わずかなりともAI言説の軌道修正に貢献できたなら幸いです。

巨大IT企業に対する批判について

ここ1年程度の間に、超巨大IT企業、特にGAFA (Google, Amazon, Facebook, Apple)に対する批判は強まったように感じます。特に、Facebook社のケンブリッジ・アナリティカとのスキャンダル、トランプ大統領Amazon批判などが挙げられるかと思います。

こういった現象がシンギュラリティ論と絡めて議論されることはあまり多くありません。けれども、巨大IT企業のセルフブランディング、「人類の進歩の担い手」としての理想主義的な旗印の下に、エゴイスティックなビジネス上の利害が隠蔽されていると暴露されたことと、コンピュータとインターネットに対する技術ユートピアニズムの失速は、完全に無関係ではないだろうと感じています。(最終章ではこんな内容も書きたいなぁと思っています。)

ブログを書き出した経緯について

たまに「守備範囲が広いですね」と言われるので、もう一度私のバックグラウンドを説明しておくと、もともとOS/マイクロアーキ関連の研究室に所属していたこと、身内の病気がきっかけで神経生理学関連の調べ物をしていたことで、この2つの分野で若干の基礎知識を持っていました。(また、マイクロアーキ研究を通して、斎藤元章の事業もそれなりに早くから認識してはいました)

直接のきっかけとしては、自社内ですら能天気に「シンギュラリティ〜」を唱え出す人間が居てウザかったことと、斎藤元章氏の主張が行政の科学技術政策に若干の影響を与えていることに対して危機感を抱いたためです。

ただ、当初の想定では、ムーアの法則の著しい乱用と、脳構造の著しい単純化に対する批判と反駁がメインで、ここまで膨大なものになるとは想像していなかったのですが…

更に私の「計算」としては、

  • 若干論争的なテーマ設定なので、注目を集められるだろう
  • AI専門家は、あえて自分野のブームを盛り下げさせるようなことを言い出さないだろうから、この分野は競合が少ないだろう

と、ブロガー/ライターとして「名を売ろう」という若干の功名心があったことは事実です(笑)

ただし、想定外だったのは、

  • そもそもほとんどの人はシンギュラリティ論に興味すらなく、ターゲットが小さすぎる
  • 心から信じ込んでいる「信者」は、(正しさを確信しているから)論証により正しさを示すことにほとんど興味がないらしい
  • 自己利益のために論を利用しているだけの「偽信者」は、自分が根拠のないことを主張をしていると理解しているため、わざわざムキになって反論しようと考えない (そもそも、匿名ブログから攻撃されたところで蛙の面に小便)
  • 多数のAI専門家が、過剰なブームの盛り上りに対して苦言を述べだした

ことです。

自分が想像していたよりも注目は集まりませんでしたが、それでも、決して少なくない方(肯定派・懐疑派両方)から私の意見を支持または反駁するためのコメントを頂きました。ここでお礼を申し上げます。

Webで長文を書くことについて

目次でも書いた通り、もともと『論駁の書』は一種の書物として、流れを持つ一連の文章として発表しようと考えていたものでした。結果的に断念してブログで公表したわけですが、一方でSNSの隆盛によりブログそのものが下火になった現在、発表手段を間違えたかなあという感じがあります。

とは言え、2018年現在、Webで長文を書こうと考えた場合、一体何が適切なメディアであるのか今でも分かりません。

最近ではMedium、Qiitaやnote.muのようなパブリッシングサービスや特定分野のコミュニティサイトも流行っており、これらのサイト上で記事を見ることも多くなりました。しかし、上記サービスは単独の孤立した記事を書くものという印象が強く、10万字単位で、章立てを持つ、ある程度関連性のある文章を書くためには向いていないように感じます。とはいえ、これほどまでに莫大な長文をWeb上で公表しようとする人は非常に少ないらしく、ニーズもないからサービスもないのでしょう。やはり、これだけの規模の文章をマネタイズしようと思うと、未だ紙の書籍化以外の手段はないようです。

ちなみに、書籍化はまだ断念したわけではないので、ご興味のある編集者の方はご連絡いただけますと幸いです(笑)