Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:アメリカとロシア Part1 国境の泡立ち (ジョン・マイケル・グリア)

以下は、ジョン・マイケル・グリアによる"America and Russia, Part One: Stirrings in the Borderlands" の翻訳です。

若干の補足として、シュペングラーの「文化 (Kultur)」と「文明 (Zivilisation)」という用語について、『西洋の没落 I (中公クラシックス)』の訳者解説から引用します。

…前提として、シュペングラーにおける「文化」と「文明」の区別をおさえねばならない。「文化」と「文明」の区別は、ドイツ語圏において比較的よく見られたものだが…シュペングラーはかなり独特な使い方をしている。すなわち、「文化」とは、ひとつの高度文化の創造的な活動の時期を指す一方、「文明」は、完成段階に到達した文化が必然的に迎える崩落状態を意味している。文化が「成ること」であるとすれば、文明は「成ったもの」であり、「終結」である。つまり「文化」は、その発展の末に「魂」なき「文明」となり、「没落」するのである。

America and Russia, Part One: Stirrings in the Borderlands

私の考えでは、現代アメリカ社会における集団的な愚かしさの主要な原因の1つは、我々の間に蔓延した短期的思考の悪癖である。アメリカの公的生活では、何かを止めて「ちょっと待て。もし我々があと数年もこれを続けたら何が起こるのだ?」と言う人間は恥ずべきほどに珍しい。当然のことながら、ごく少数の人しかこれを行なわない理由の一つとしては、彼らが非現実的な夢想家であるとして怒鳴り倒されるからであり、単なる事実として、いわゆる夢想家はたいてい正しく、彼らを無視する実務的な人間、問題を再考する最低限の意思さえ生じさせない人々は、たいてい間違っている。

最近、原油価格がゆっくりと上昇するにつれて、いつも以上にこのことが私の心に浮かんでくる。ここ数年、原油価格は2009年の最低価格から第三世界諸国の経済を圧迫し始める水準にまで上昇している。それは主要工業諸国の経済をも圧迫するであろう。なぜならば、それは1973年と2008年の劇的な価格暴騰をドライブしたのと同じサイクルの再演であるからだ。

状況に注意を払っている私の読者諸君は、シャワーの中ですべての詩をそらんじられるほどにこの歌を知っているだろう。石油は有限で、非再生可能で、代替不可能な資源であり、我々は毎日1日ごとに9300万バレルという速度で石油を燃焼させている。(次回、メディアが10億バレルもの埋蔵量がある新油田が発見されたと叫んだときには、それを9300万バレルで割ってどれだけ続くのかを確認してほしい。) 年が過ぎるごとに、既に消耗した量を埋め合せるための新油田の発見は、ますます少なくなりつつある--この時点で、毎年の埋蔵油田の発見量は年間消費量の11%程度にすぎない。

まともな世界であれば、我々は毎年毎年石油消費量を削減し、石油時代の頂点にいっとき流行した贅沢なエネルギー使用の習慣を放棄して、それで我々はうまくいくだろう。しかしながら、我々はまともな世界に住んでいない。我々が住んでいる社会では、誰もが消費を続けたいと願う石油の不可避的な消耗に対する唯一の反応はアクセルを全力で踏み込むことであり、その一方で、誰かが、どこかで、我々があまりにも放蕩的に浪費している代替不可能なエネルギー資源に対する何かしらの代替物を発見せよと声高に叫ぶことだけである。世界経済の喉元で、3回目の価格暴騰のギアを上げるサイクルを駆動する力はこれだ。

それはこんなふうに働く。石油供給が不足し始めると、需要と供給の法則により価格は上昇する。そこで投機家は行動を始め、価格が上昇する商品に対しては何であれ投機家が行う通り、市場のファンダメンタルズによって正当化されるよりも価格を引き上げる。それが投機バブルを引き起こす; 更には、石油を輸出し、米国などの石油輸入国に対して恨みを抱く国々は、手にしたナイフに少しのひねりを加えるチャンスを捉え、更に価格を上昇させる。石油価格は、しばらくの間は、以前には想像できない水準にまで上昇し、工業国のエネルギー政策の馬鹿さ加減を認識した少数の人々が、基本的な常識を備えた人であれば最終的に考えるであろうかすかな望みを育てる。すると、この罠から逃れる唯一の方法は、節約とライフスタイルの変更であると人々が認識し始めるかもしれない。

残念ながら、それは起こらない。実際に起こるのは、石油価格の急騰によって発生する需要破壊である。需要破壊とは、資源を購入できなくなった人々が使用を止めることにより発生するプロセスに付けられたファンシーな名前である。石油価格の高騰はまた、以前は経済的に成立しなかった石油源を利用可能とする。これにより、ちょうど需要が低下した際に新たな供給源からの石油供給が始まる。それにより石油価格は低下し、投機バブルは破裂し、投資家はボラティリティがより小さい市場へとゴキブリのごとく逃亡する。その結果、石油価格はクラッシュするものの、価格上昇以前よりもかなり高い水準で落ち着く; 危機の間に一時ファッショナブルであった代替エネルギー源が何であれ、破産するか浪費的な政府補助金で保護されなければならない; そして、有限の惑星から無限量の石油の採掘を試みることは、まったく狂った考えでないかのようにみんなが装い続けるのだ。

次の大きな原油価格の暴騰とそれに続く価格クラッシュが始まるまでには、おそらくまだ数年程度あるだろう。ここで述べておく価値があることは、しかし、1973年の最初の暴騰から2008年の二度目の暴騰までには35年間を要したものの、三度目の暴騰はほぼ明らかにそれよりも短い間隔で到来するだろうということだ。石油危機の間隔が同じ比率で減少していくと判明したとすれば興味深いであろう-もし、たとえば、次の価格暴騰が2021年に発生し、同じ減少比が保たれるとすれば、次の次の危機は2024年のどこか近くで発生し、更にその次は2025年となる--あるいは、石油時代の必然的な終焉へと足取りを進めるにつれて、より複雑なパターンが危機の方程式を形作るのかもしれない。

この先数ヶ月と数年の間に、私は折に触れその軌道をたどり議論するつもりである。そして、前回の石油価格暴騰の最中と後に、私の過去のブログ「Archdruid Report」で取り上げたテーマを振り返りたいと思う。けれども、今週は、記事冒頭で私が批判した短期的思考についていっそう考察を深め、我らの時代の動乱を世界史の中の広範なパターンへ当てはめてみたい。

この探検で私が主要なガイドとするのは、既に私のブログの定期的な読者は推測しているだろうが、尊敬すべきオズワルド・シュペングラーだ: 歴史家、博識家であり、彼の時代と我らが時代の安穏とした確実性の側面に対する、プロフェッショナルな警告者である。彼の主著『西洋の没落』は次々と正確な予測を生み出したのに対して、シュペングラーの批判者によって唱えられた輝かしい、または破滅的な未来予測は、すべてが月光のようにはかないものでしかないと証明された。ジャンバティスタヴィーコなどの歴史的サイクルについての先行研究をもとにして、シュペングラーは文明の形態学に関する詳細な理論を構築し、諸文明の生命段階 --誕生、若年、成熟、老衰と死--を追跡した。そこから、西洋の、あるいは彼が呼ぶところのファウスト文化の将来を予測する基盤を形成したのである。

シュペングラーの理論の中心には、「進歩」とは歴史的なリアリティではなく神話的な概念であるという認識がある。そしてこれは当時より一般通念の擁護者によってシュペングラーに対して投げつけられてきた激しい非難の中心でもある。ギリシャ・ローマの古典文明--シュペングラーの用語ではアポロン文化--は、古代エジプトが残した徴を超えるステップではない。シュペングラーがマギアン文化と呼んだ文化、我々が呼ぶところの暗黒の中世においてイスラムカリフ制によって中東で絶頂に達した偉大なる文化も、アポロン文化から前へと進むステップではなかったのだ。我々のファウスト文化も、ここで私が名前を挙げた文明のいずれよりも進歩しているわけではない。

パラドックスめいて聞こえるだろうか? 実際にはそうではない。あらゆる偉大な文化には固有の価値と目標と優先事項があり、状況が許容する限りそれらの成就を求める。我々にはファウスト文化がより「進歩的」に見えるのは、ファウスト文化における価値と目標と優先事項を達成する方向へ向かっているのは我々のみであるというだけの理由である。アポロン文化も蒸気機関と歯車を発明した。この2つはファウスト文化を一時的な世界支配へ向かう道のりへと発射した偉大な技術的ブレイクスルーであった。けれども、このような技術で遊んだギリシャとローマのエンジニアたちは、オーリヤックのジェルベールやジェームズ・ワットが持っていた価値観を持っていなかったため、同じ用途には使用しなかったのである。他の偉大なる文化のほとんども、そもそもそのような技術に関心を持ってさえいなかった。

ゆえに、あまりに多くの歴史改変小説の作者たちが主張しているように、もしも西ヨーロッパが蒸気機関、歯車その他の現代工業世界を可能ならしめるツールキットを発明しなかったとしたら、他の誰かが発明していただろうという主張は、やや恥ずかしい自民族中心主義 エスノセントリズム である。我々のテクノロジーファウスト的テクノロジーであり、おおよそ西暦1000年ごろに西・中央ヨーロッパで誕生した偉大なる文化の情熱と強迫的な観念を通して形作られたものである; ファウスト文化が衰退すると--既に現在進行中のプロセス--そのテクノロジーも静的な鋳型として定着し、持続不可能な要素を放棄し、未来の偉大なる文化により資源として発掘されるだろう。ギリシャの哲学と数学がインド文化、マギアン文化、ファウスト文化によって発掘され、完全にそれぞれの文化独自の目的に使われたように。

それを念頭に置いた上で、未来がどうなるかを見てみよう。そして、ファウスト文化が最終的な停滞へと落ち込んでいくにつれて、何が起こる可能性が高いかを想像してみたい。シュペングラーが指摘する1つのポイントが、このコンテキストでは特に重要である。たとえ偉大なる文化が帝国拡大期にその力をどれほど拡大したとしても、その基礎は元々の故郷に根ざしたままであり続ける。そして、ひとたび帝国の時代が等しく不可避の没落と崩壊の時を迎えると、遠くへ拡大した領域は崩れ離れ、元々の文化の故郷が残存物を保持し続ける。何らかの後継文化がそれを洗い流すまでは。

ファウスト文化の起源は、既に述べた通り西・中央ヨーロッパにある; その帝国時代は1492年から1914年の間であり、ヨーロッパから膨張し惑星のほとんどを征服し略奪した; そのプレステージは今なお高く、世界中の特権階級の人々は今でもヨーロッパスタイルの服を着て、ヨーロッパ型の政体を維持しているものの、この時点においてその力は衰えつつある。

偉大なる文化が衰退するにつれて、今度は見るべき場所は境界地帯 ボーダーランド である。これは必ずしも政治的国境ではないものの、そうである場合もある。アポロン文化が衰退と崩壊のすべりやすい坂道を転がり落ちていった時には、たとえば、2つの境界地帯がその後死活的な重要性を持つようになった。一方は東側の境界地域であり、そこでは地中海沿岸地域が砂漠と、ついでペルシアとアラビア半島の古代都市と混じり合う。そこにはローマの軍事力は決して到達しなかったものの、文化および経済的な影響は絶大であった。他方は、北海へと注ぐ半ダースほどの巨大な河川に沿った渓谷であり、それらの川の中にはテムズ川セーヌ川ライン川などが含まれる。そこには、ローマの軍事力がいっとき覇権を確立したものの、その後ゲルマン人の移住時代が始まると支配は失われた。

どちらの領域でも、独自の偉大なる文化が花開いた。東側では、ローマ崩壊のずっと以前からマギアン文化が形をとり始め、それらを独自の領域と文化形式へと吸収したビザンツ帝国は、西側の帝国が滅びた跡を継いだ。西側では、ローマの崩壊がはるかに劇的な影響を与え、ファウスト文化が現れ始めるまでには長く厳しい暗黒時代が続いた。どちらの場合でも、しかし、新興の文化は古い偉大なる文化から受け継いだ既存の形式を借用することから開始された。

シュペングラーは、このプロセスを「擬形態」[pseudomorphosis; 仮晶とも] と呼ぶ。 とりわけ、西洋建築史を見れば印象的な明白さでそれを理解できるだろう。中世初期の標準的な建築方式は、今日ではロマネスクと呼ばれているが、これは非常に理にかなっている: ローマ建築の雑なコピーのように見えるのだ。数世紀が過ぎ、擬形態は揺さぶられ、ゴシック様式の建築が天空へと向かって急増した。ファウスト文化の最初の偉大なる開花により、芸術や科学の他分野でもファウスト文化がアポロン文化のモデルから脱却したのと同時期のことである。

マギアン文化は、それと同等の擬形態の時代をより早く迎えたが、その起源は別であった。(シュペングラーはこれを否定していた。しかし、彼の本が書かれた時代には、中東の考古学について現在の我々よりもはるかに不完全にしか理解されていなかったのだ。) マギアン文化は元々メソポタミア文化の余波のなかで形成され、その初期にはシュメールの泥レンガ都市に起源を持つ偉大なる文化的伝統の様式と習慣の多くを借用した。アポロン文化が東と南に拡張し、マギアン文化のハートランドに至ると--最初はアレクサンドロス大王のもとで、次にギリシャ語話者の小帝国連合のもとで、最後にローマの鷲のもとで-- 第二の擬形態の時代が続いた。けれども、その後にはアポロン文化の影響に対する鋭い反作用が続いた; 東部キリスト教イスラム教、あるいはマニ教などのそれほど成功を収められなかった信仰の動乱が生じて外部へと拡大し、アポロン文化の政治的・文化的な創造様式を打ち破り、廃墟の上にマギアン文化を確立したのである。

それでは、ファウスト文化は? こちらも同様に2つの擬形態の時代を辿った。最初は、既に述べた通り、ローマの遺産から引き出されたものである; 第二は、その後マギアン文化から引き出されたのだ。中世から近代初期に至るまで、ヨーロッパで合争う小諸国を、モロッコからパキスタンまで広がる広大で非常に繁栄したマギアン文化圏の西側辺境地帯と見なしたとしてもまったくの誇張ではない--けれども、これは疑いなくヨーロッパ人のプライドを傷付けるだろうが。

マギアン文化圏の他の社会と同じく、ヨーロッパ諸国も教条的な宗教を確立した。そこでは厳格に制限された方法でしか不同意の表明が許されず、聖典により導かれ、聖都を中心とし、一週間の特定の曜日に行なわれる、あらゆる人の参加が想定された公式の集合礼拝の習慣を備えていた。これらは、また他のマギアン文化の慣習の多くは、ヨーロッパ全体にわたって標準的なものであった。- ヨーロッパ人の伝統主義者たちが、インスピレーションを得るためにたびたび中東へと回帰していくことは偶然ではない。彼らが従う伝統のみならず、時の始原から受け継がれた唯一の真なる不変の伝統という概念全体が、そしてその概念は確立された信仰集団に属する者のみがアクセスできるという考え方自体が、マギアン文化の発明品であるからだ。

けれどもそれは過渡段階にすぎないと判明した。ちょうど、数世紀前のマギアン文化にとってもアポロン文化の擬形態が過渡的な段階であったと判明したのと同様である。ファウスト文化が自分自身の可能性に目覚めるにつれて、マギアン形式は捨て去られるかあるいは元の姿が分からないほど完全に改変された。アラブ建築のイノベーションを学んだヨーロッパの親方たちは、あらゆる類似性を作り替え、ゴシック時代の垂直線や尖頭アーチを生み出した。アポロン文化の古い歯車テクノロジーをいじくり回した修道士たちは、動力伝達を可能にするようにそれを作り替え、機械式時計のみならずそれに続く機械テクノロジーの主要部品のほとんどを創造した; アリストテレスの物理学も書き換えられ、慣性と力の概念の導入が許容されたが、それらはアポロン的な自然科学とは完全に異質なものであった。しかしそれはファウスト的な科学の勃興に必須であったのだ。

これらのすべてがアポロン文化の観点からは把握が困難であっただろう。少しばかり想像してみてほしい。後期アポロン社会の、洞察力に優れた思想家の困難を--たとえば、西暦250年ごろに生きたギリシア人哲学者を想像してほしい-- 彼は自身の社会の没落というリアリティを捉え、没落が標準的な要素であるような歴史サイクルの広範なパターンを推定したのである。我々の哲学者は、彼が知る世界の一部で生じる次の偉大なる文化は、ローマ文明の東半分の周縁部に生まれると予想できたかもしれない。けれども、新興のマギアン文化の形について、事前に何らかの考えを得られる可能性はごく小さかっただろう。ただ一つのディテールだけに絞ったとしても、伝統的な儀式のみが問題であり、儀式を実践する限り望むことを何でも信じられるような信仰の信者は、特定の見解のみが極めて重要であり信仰信条上のささいな差異をめぐって人々が互いに殺戮し合うような宗教を容易に想像できただろうか?

その点においては、別の偉大なる文化がローマの国境の北西で生じるかもしれないと我々の哲学者が予期していた可能性は、考慮する必要がないほどに小さい。西暦250年において、テムズ川セーヌ川ライン川のローマ世界の中での重要性は、モノンガヒラ川、カナワ川やテネシー川 [すべて北米大陸にある河川] の近代ヨーロッパ世界にとっての位置付けと似ている。住人のほとんどが野蛮人で嘆かわしい人々であるような、その時代の文化的後背地から次の偉大な文化が生じるという考えは、真剣にそれを考えたことのない人にとっては完全に馬鹿げたものに見えるだろう。

今日、我々も類似の状況にあるものの、我々は歴史についての幅広い知識を持っているため、繰り返しパターンを認識できる可能性が高い。現在、静的形態へと落ち着こうとしており、その後の世界の広い歴史の中で大きな役割を果たす消滅した文化とは、我々のファウスト文化である--暗黒時代からの目覚めにおいてローマ国境の北西部で栄え、当時絶頂を過ぎて静的形態へと陥ったマギアン文化と競合し、そして全世界にわたって勃興し惑星上のほとんどの陸地を支配して、地球上のほぼあらゆる社会に特有の文化的ファッションを課した、ファウスト文化である。

アポロン文化と同様に、ファウスト文化にも2つの主要な境界地帯がある。1つはハートランドの東側、もう1つは西側である。しかるべき時が来れば、そこから2つの偉大なる文化が生じるだろうと予想できる。それ以外にも出現するかもしれない。なぜならば、18世紀と19世紀に起こったヨーロッパ帝国の世界中への拡散は、世界のほぼ全てに独自の擬形態を課したからである; 結果、西アフリカとラテンアメリカのどこかの地域でも、この千年紀に高等文化が生じる可能性が極めて高いと思う; しかしここでは、理由は今後明らかになるだろうが、既に述べた2つの国境地帯について話したいと思う。

その国境地帯とは? 今日、我々はそこをロシアとアメリカと呼んでいる: 具体的には、次の記事で見る通り、ウラル山脈西側のヨーロッパロシア、特にヴォルガ渓谷を中心とする地域と、アパラチア山脈西側の北アメリカ、特にオハイオ渓谷と五大湖を中心とする地帯である。

アポロン文化とファウスト文化の国境地帯の類似性は、驚くべきほど深くまで達している。なぜならば、マギアン文化とファウスト文化の相対的な歴史を形成した時代における同一の差異のようなものが、今後生じるロシアとアメリカ文化の同等の軌跡を形作ると思われるからである。ロシアは、何世紀も前に最初の擬形態の段階を通過した。当時、マギアン文化圏の重要な一部であった時代のビザンツ帝国から、有力な文化的影響を吸収したのだ; 2回目の擬形態はピョートル大帝の時代に始まり、当時は西側からのファウスト文化の新しい文化的影響がロシア全土を席巻した時期であった。そして現在は不可避の反応の初期段階にある。ビザンチンとヨーロッパ文化双方の影響を排除し、はっきりとしたロシア高等文化の最初の大胆な宣言が生じるだろう。私はそれが22世紀のどこかで始まると予期している。

アメリカは、対照的に、ファウスト文化によって保持されていたマギアン文化の要素を経由して、マギアン文化の影響を間接的に受け取った。そしてアメリカの最初の擬形態は17世紀初期に開始された。旧世界の疫病がネイティブ・アメリカンに及ぼした劇的な影響により、ヨーロッパからの最初の入植者の波がほとんど無人となった大地に広がっていった時であった。2回目の擬形態は未だ開始されていない。そして、興味深い質問としては、次の千年紀においてどの新興文化が挑戦的刺激としての役割を果たすのかである。2回目の擬形態の後に不可避の反作用がスパークし、アメリカ独自の高等文化の最初の大胆な宣言が出現するだろう。おそらく、26世紀ごろに。

それでは、これらの第三千年紀における高等文化の一般的なアウトラインは? 次の記事で議論するとしよう。