Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:ポストリベラル時代の到来 (ジョン・マイケル・グリア)

この記事は2016年9月28日に書かれた。ジョン・マイケル・グリアによる2016年ドナルド・トランプ当選予測に関するエッセイはこちら

The Coming of the Postliberal Era

現代のできごとを学ぶ人誰もが直面している巨大な挑戦は、現時点での混乱を乗り越えて、より広いスケールでものごとを形作る深層のトレンドを捉えることである。たとえるならば、潮汐表の助けを借りず浜辺に立ち、潮が満ちているのか引いているのかを当てるようなものだ。波は寄せては砕け、海へと流れ返る; 風はあちらへ、こちらへと吹く; 長い時間が経ち、微妙な細部に細心の注意を払ってようやく、海が次第に浜辺へと迫っているのか、それともそこから引きつつあるのかを確信できるだろう。

過去1年程度の間、けれども、アメリカ政治の巨大潮流の一つが変化して海へと返りつつあることが、私には次第に明らかになってきた。ほぼ正確に200年程度の間、この国の政治的言説は、アメリカン・リベラリズムとでも呼びうる緩く連合した思想、利害、価値観によって形成されてきた - おそらく、それ以外のいかなる単一の力よりも強力に。それが現在変化しつつある潮流である。私の考えでは、我らが時代の政治的展望を形作る最重要トレンドは、リベラル運動の最終的滅亡への転落と、現在既に生じつつあるポストリベラル政治の最初の胎動である。

アメリカン・リベラリズムが何であったか、どう変化したか、そしてその余波の中で何が起こるのかを理解するためには、歴史は不可欠のリソースである。ある政治イデオロギーの信奉者に、自身のイデオロギーを定義するようにお願いしてみれば、出来あいの定義を得られるだろう; そのイデオロギーの反対者に同じことをするようにお願いしてみれば、まったく別のものが得られるだろう - またどちらも、その他のより広いロジック以上に、瞬間瞬間の政治的要求によって変化していく。そのイデオロギーの誕生から青年期、成熟期と老年期への衰退までを辿ってみれば、実際に意味することをよりよく理解できるだろう。

それでは、アメリカン・リベラリズム運動の源泉に戻ってみよう。歴史家たちは長い間この運動の起源について議論してきたが、その最初の眼に見える急増は、1812年戦争 [英米戦争] 後数年に、沿岸北東部のいくつかの都市中心部に辿れる。ボストン - 19世紀アメリカにとってのサンフランシスコ - は、新生運動の震源地であり、新しい共和国全体から集った野心ある知識人たちの生み出した新たな社会思想が煮えたぎる大釜であった。1960年代の素朴で沸騰する理想主義が何か新しいものであると考えている読者は、ナサニエル・ホーソーンの『ブリットデール・ロマンス』を読む必要がある; それは19世紀初等のマサチューセッツカウンターカルチャーの集合であり、ほとんどの活動は共同体 コミューン で行なわれた。それが、アメリカン・リベラリズムが誕生した背景である。

最初期から、アメリカン・リベラリズムは教育あるエリートの運動であった。それは圧政に踏み付けられた下層民を鼓舞するため感動的に語られたのだが、下層民自身はその運動の中では活発な役割を許可されていなかった。またそれは、プロテスタントと密接に関わっていた。ちょうど、1960年代の運動がアジアの宗教と関わっていたのと同じように; 会衆派とユニテリアン教会の牧師たちは、初期の頃から運動の中心的な役割を果たしてきており、運動の主要団体 - 反奴隷協会、禁酒同盟、非抵抗同盟、そして最初の影響力のあるアメリカ平和主義団体 - などは教会と密接な同盟を組んでおり、そのスタッフや支持者は聖職者であった。エリート主義とプロテスタントキリスト教の起源が、後で見るように、続く2世紀のアメリカン・リベラリズムの発展のあり方に強い影響を与えた。

3つの大きな社会問題が、新たな運動が合体する枠組みを形成した。1つ目は奴隷制度の廃止; 2つ目はアルコールの禁止; 3つ目は、女性の法的な地位の向上であった。(最後の目標が、両性の法的・社会的な平等という究極的な形を取るまでには、長く複雑な道を辿った。) それ以外にも多数の問題があり、それは運動から独自のシェアの注目を集めた - 食生活の改革、衣服の改革、平和主義、など - しかし、これらすべてが共通のテーマを共有していた: 価値観の表現としての政治の再定義である。

最後のフレーズを解説してみよう。政治とは、当時、そして人類史のほとんどの期間にわたって、直接的に利害に関する問題であると理解されてきた - 最もあからさまに言えば、誰がどのような利益を得て、誰がどのような費用を支払ったのかである。当時そして続く1世紀の大半の期間、たとえば、大統領選挙のたびに起こったことは、勝者の党が連邦政府の職をひとまとめにして支持者へと配分することであった。それは「猟官制」[spoils system] と呼ばれていた。ちょうど、「勝者は戦利品 [spoils] を得る」と同じような意味で; 人々が、誰かしらの大統領候補者の選挙キャンペーンに集ったのは、第一に快適な連邦政府の職を得られることを期待していたからだ。誰もこの制度が悪いものだとは考えていなかった。なぜならば、政治とは利害についてのものだったからだ。

同様に、奴隷は5分の3の人間であると定義した悪名高い憲法の条項について、憲法制定会議の参加者の誰かが倫理的な面で苦悩したという根拠はない。彼らは倫理的な問題についてまったく思いも至らなかったのではないかと思う、なぜなら、政治とは倫理その他の価値観の表現ではないからだ - 利害についてのものである - 問題は、各邦が自身の利害が議会で十分に代表されるだろうと感じられる妥協点を見つけることだけだったからだ。価値観とは、当時の考え方では、教会と個人の内心のみに属すものであった; 政治は、純粋に単純に利害についてのものであった。

(ここでしばらく一時停止して標準的な反応に応えておくべきだろう: 「イエス、しかし彼らはもっと良く考えるべきだったのだ!」 これは自時代中心主義 クロノセントリズム の典型例である。自民族中心主義が、特定の民族集団の信念、価値観や関心を特権視するように、クロノセントリズムは、特定の時代の信念、価値観や関心を特権視するものである。クロノセントリズムは、今日では、政治・文化的シーンのあらゆる側面において非常に一般的である; たとえば、科学者が、中世の人々は占星術を信じるよりももっとよく知るべきだったと述べるとき、あるいはクリスチャンが旧来の異教徒たちは多神教的な宗教を信じるよりももっとよく知るべきだったと述べるときに見られる。あらゆる場合において、それは過去を理解するという困難なタスクを避けるための試みの一つでしかない)

新生のアメリカン・リベラリズムは、けれども、政治と価値観の分断を拒否した。彼らが奴隷制度に反対したのは、たとえば、工業化した北部諸州と南部のプランテーション経済の間の経済的利害の不一致とは何も関係がない。すべては、奴隷制は道徳的な誤りであるという真剣な信念に関連している。アルコール、女性への市民的権利を否定する法律、戦争などへの反対、その他運動が反対したことの長いリストに掲載されたあらゆることが、道徳的価値観についての問題であり、利害についての問題ではない。そこには運動のプロテスタント伝統の影響が見られるだろう: 教会から価値観を取り上げ、そして世界全体にそれらを適用しようとした。当時、プロテスタントはかなりエキゾチックな思想であり、たった今言及した道徳的十字軍は、1960年代の色とりどりのファンタジーと同じく、当時政治的な牽引力を得たのである。

どちらの運動も、戦争の影響により完全な失敗を免れた。1960年代の運動は、大衆文化からの影響力の大部分をベトナム戦争への反対から得ていた。戦争が終了し、法案が廃止されたとき、ほぼ跡形もなく運動が消滅したのはそれが理由である。初期の運動は、戦争が起こるまでしばらく待たなければならず、その間、4年前にニューエイジ運動を死のスパイラルに追いやったのと同じ種類の黙示録的なファンタジー [2012年のマヤ歴の終焉にまつわる終末論を指す] を野放しにしたことによってほぼ完璧に自己破壊した。1830年代には、完璧な社会が望んだほどには早く出現しないことに不満を抱き、大多数の新リベラル運動の支持者たちは、ニューイングランドの農民で聖書からキリスト再臨の正しい日付を導出したと信じるウィリアム・ミラーの預言を受け入れた。2012年12月21日と同じく、1844年10月22日は何事もなく過ぎ去り、結果として「大失望」は運動へのボディーブローとなった。

その時までに、けれども、アメリカン・リベラルによって推進された道徳的十字軍運動の一つは、素の経済的利害によって有能な支持者を引き付けていた。北部と南部諸州の奴隷制をめぐる疑問は、当時は主に倫理的問題であるとは見なされていなかった; 他のあらゆる政治問題と同様に、それは競合する利害の問題であったのだが、その過程において北部の政治家とメディアは即座に奴隷廃止論者の道徳的なレトリックを活用した。問題であったのは、国家の経済的な未来像であったのだ。アメリカは、輸出用原材料を生産する農業国に留まって、イギリスを中心としたグローバル経済に完全に統合される - すなわち、南部モデルを取るべきか? あるいは、独自の道を進み、グローバル経済に対する貿易障壁を上げ、独自の産業と国内消費向けの農業経済を発展させる - すなわち、北部モデルを取るべきか?

そのような問題は、即時の実際的な含意を持っていた。というのは、どちらかのモデルとって好ましい政府政策は、もう一方の破滅を意味したからである。奴隷制は南部モデルの要であった。南部プランテーションでは、利益を上げるためにほぼ無償の膨大な労働力を必要としたためである。けれども、北部と南部の政治家たちの間での議会闘争の詳細な議事録を読んでみれば、それと同じくらい議論されていた問題は、貿易政策と連邦支出に関する議題であったと分かるだろう。[原材料の輸出によって利益を上げる] 南部に有利な自由貿易政策を取るべきか? あるいは、[国内の工業を保護したい] 北部に有利な関税障壁政策を取るべきか? 連邦予算は、運河と道路に支出するべきか? それは原材料の工場への輸送と製品の市場への流通を容易にし、北部に利益をもたらす。しかし、それは南部の利益とは無関係である。単に、河船で綿花とタバコを近隣の港に運べばよいだけなのだから。

新たに認可された州で奴隷制経済を認めるべきかをめぐる更に苦い闘争も、当時の政治では圧倒的な経済的背景を持っていた。北部は、西部準州を家族農場のパッチワークに変え、東海岸沿岸都市と五大湖周辺のブルジョア的な都市向けの農産品を作らせ、また北部の工場からの工業製品の市場へと変えたいと望んでいた; 南部は、同じテリトリーでプランテーション農業を行い、イギリスおよび世界市場への輸出品を作りたいと望んでいた。

既に述べた通り、倫理的側面が北部のプロパガンダの中心となり、それが利益と同様に価値観も政治的言説に存在するというリベラルな信念を広げるのに役立った。1860年までに、その信念はメーソン=ディクソン線 [奴隷州と自由州を分ける線] の南側にすら広まっていった。たとえば、南部連合の[非公式]国歌、『ボニー・ブルー・フラッグ』の歌い出しの歌詞は、作詞当初の時点では「誠実な労苦により勝ち取った財産のために戦う」であった - そして、誰も自分のアイデンティティ、肌の色、当の財産についての幻想を持っている人はいなかった。けれども、すぐに歌詞は書き換えられた 「我らの自由のために、財と血と労苦をもって戦う」 そのような変化が起こったとき、既に南部は敗北していた; 経済的利益の観点から奴隷制を擁護することは完全に可能ではある、しかし、ひとたび争いの焦点が自由などの価値観に移ったら、奴隷制は擁護不能となる。

それで南北戦争が勃発し、南部連合は興亡し、北部の経済モデルがその後ほぼ1世紀にわたりアメリカの経済政策を導き、リベラル運動も再び歩を進めた。奴隷制の廃止により、他の2つの主要目標が中心的な段階を占め、アルコール禁止と女性参政権獲得の闘争もほぼ足並みを揃えて進行した。米国でのアルコール製造と販売を禁止する修正第18条と、女性参政権を付与した修正第19条は、それぞれ1919年と1920年に可決された。禁酒法が完全な失敗と判明した後でさえ、同じレトリックは薬物へと向けられ (ほとんどは1930年代までアメリカでは合法だった)、それは今日まで公共政策を形作り続けている。そして、大恐慌が訪れ、1932年のフランクリン・ルーズベルトの選出 - そして特に、共和党が2つの州しか獲得できなかった1936年の地すべり的な大勝により - リベラル運動はアメリカの政治生活を統べる力となった。

勝利また勝利が続いた。労働組合の合法化、税金により支えられた社会保障制度の創設、南部への人種差別撤廃命令: これらを含めた膨大なリベラルな改革が着実に続いた。注目すべきことは、これらすべてのアチーブメントが達成されたのは、リベラル運動が両サイドの反対者と戦っている間のことだったということだ。右側には、もちろん、旧来の保守派が残っており、彼ら自身の重要な利害のために戦っていた。しかし、1930年以降、リベラル派は更に左側からの絶え間ない挑戦にも直面しなければならなかった。アメリカン・リベラリズムは、既に伸べた通り、教育あるエリートの運動であった; その運動の焦点は、下層民を包摂することではなく、下層民を助けることにあった; そして、下層民自身が自分自身の思想を持つようになり、それが必ずしもリベラル派が彼らに望むことと一致しなくなると、そのアプローチはますますトラブルを引き起こしていった。

1970年代から、今度は、アメリカン・リベラリズムは第三の挑戦に相対するようになった - 新たな形の保守主義であり、それはリベラリズムの価値観中心の言葉を借用したのだが、自身の大義を支持させるための別種の価値観を使用していた: 保守的なプロテスタントキリスト教の価値観である。ある意味では、「家族価値」を語るいわゆる「新保守主義」は、政治的言説の中心に価値観を据えるための長きにわたる闘争の、最終的かつ皮肉な勝利を表している。1980年代までには、パブリックな領域のいかなる党派の人であれ、その言動がどれほど粗野で打算ずくであろうとも、何らかのふさわしい抽象的価値観を掲げることを求められるまでになった; 誰も利害については語らない。たとえ、利害が明白な問題となっているときでさえ。

そこで、リベラル派が批判を受けた際の典型的な反応は、リベラルな政策に反対する唯一の理由は批判者が憎悪に満ちた価値観を抱いているからだと主張することである。

ここでは現在のアメリカの移民政策を例として取ろう。合法的な移民を制限する一方で、非合法の移民を暗黙のうちに許容する政策である。そのような政策が適正であるかを問うことには、確固たる実際的な理由が存在する。今日のアメリカの恒久失業者数は歴史上最高であり、人口の下位80%の収入と生活水準は、1970年代以来定常的に下降している。連邦の税制は雇用オフショアリングに実質的に補助金を与えている。そのような状況において、何百万という違法移民、実際上、何らの法的権利を持たず、搾取工場 スウェットショップ で不当に低い条件で雇用される違法移民を許可することは、既に低下した賃金を更に低下させるのみであり、賃金階級のアメリカ人を更に悲惨と貧困のうちに陥れるだろう。

これらは正当な問題であり、アメリカ人労働者階級の福利に対する、真剣な人道的懸念を扱うものである。そしてこれらの問題は人種問題とは何の関係もない - 移民がカナダから来ていたとして同程度の問題となっただろう。それでも、現代のアメリカン・リベラルの耳にこれらの問題は届かないだろう。それをしたとすれば、あなたは叫び倒され人種差別主義者としての告発を受けることになる。なぜか? リベラル運動のリーダーシップを引き出し、リベラル運動全体の方向性を定める豊かな階級が、大量の違法移民によって部分的に引き起こされた賃金の崩壊から、直接に利益を受けているからであると考えている。それは、賃金の低下は彼らが購入する商品とサービス価格の低下をもたらし、また彼らが働く企業、彼らが所有する株式の利益の向上をもたらすからである。

言わば、その歴史において、政治は利害と共に価値観も重視すべきだと主張して開始した運動であったが、その運動は価値観に関する議論を用いて自己利益追求に対する議論を封じるものへと変貌した。それは長期間有効な戦略ではない。というのは、反対者がその問題を特定し、レトリックと現実のギャップを攻撃するまでに長い時間を要しないからである。

この種の皮肉は、政治史においてはまったくの異常事態ではない。何らかの理想主義的な抽象原則の名のもとに現状維持 スタトゥス・クォ への異議申し立て運動として開始したものの、ひとたびそれが現状維持の地位を占めると他者の理想を締め出すような運動は、驚くべきほど一般的である。いずれにせよ、アメリカン・リベラリズムは、その理想を最も長期間保ち続け、多大なることを成し遂げてきた。我々のほとんどは、 - 私のような穏健なバーキアン保守主義者でさえ - 奴隷制や女性の市民権否定などの明白な不正義を終わらせたこと、また利害のみならず価値観も公的領域での議論に値するという考えを支持したことについて、リベラル運動に感謝しているだろうと思う。リベラル運動が、あらゆる成功した政治運動の究極的運命である衰退へと沈み込んでいくにつれて、現代版の帽子を掲げてしばしの沈黙を捧げる行為に値するだろう。

現在のアメリカ大統領選挙は、おそらく他の何よりも増して、リベラル運動の衰退がどれほど進んでいるかを示している。ヒラリー・クリントのキャンペーンがドナルド・トランプの挑戦に直面して当惑している理由は、彼女の選挙運動のレトリックにおけるリベラル派の 陳腐な言葉 シボレス を未だ信じているアメリカ人があまりにも少なくなったためにそれが意味を成していないからである。クリントンの支持者の間でさえ、熱意を見つけることは難しく、彼女の選挙集会の参加者は恥ずかしいほどにまばらである。ただ人種差別主義者、ファシストその他の "嘆かわしい人々" のみがトランプを支持しているという、ますます狂乱した主張は、本当の信者以外には誰も納得させられず、お飾りの価値観の背後にある利害を隠蔽する工作は、ますますあからさまになっている。未だクリントンは何らかの手段で選挙に勝てるかもしれないが、アメリカ政治世界のより広い潮流は、明らかに向きを変えている。

もっと正確に言うこともできる。バーニー・サンダースドナルド・トランプは、クリントンとは正反対に、有権者からの非常に情熱的な反応を引き出した。それは、2人が瀕死のリベラリズムのレトリックによって充満された現状維持に替わるものを提供したからである。同様に、イギリスでは、 - リベラル運動がやや異なる軌跡をたどって同じ場所に行きついたのだが - EU脱退キャンペーンの成功と、以前は党首当選は不可能だと考えられていたジェレミー・コービンに対する労働党員の支持への強い熱意は、同じプロセスが進行中であることを示している。裕福なエリート専属イデオロギーと化したリベラリズムは、下層民の忠誠心を喪失した。かつては、明らかにさまざまな動機が混同されていたのだが、下層民を助けることを目的としていたのであるが。その喪失により、リベラリズムが今後生き残ることはほとんどありえないだろう。

今後数十年にわたって、言い換えれば、アメリカ、イギリス、そしてほぼ確実に他国でも同様に、ポストリベラル政治が登場すると予期できる。短期的な政治情勢はきわめて推測が容易である。共和党の職業的政治家たちがヒラリー・クリントンの旗の下に集ったことを見てほしい。自由貿易の延長、中東へのアメリカの介入、その他彼らの利害を維持する超党派コンセンサスを要求する富裕層の党の誕生が見えるだろう。バーニー・サンダースドナルド・トランプ支持の轟音を聞いてほしい - または、それよりも良いのは、この11月にトランプへ投票するであろう、決して少なくない数のサンダース支持者と話してみてほしい - エリートとは非常に異なる利害を守るために、エリートのコンセンサスの破棄を求めるポピュリスト政党の出現を感じられるだろう。

それらの政党の名前が何であるかは、未だまったく分からない。そして、それ以外にも数多くのやるべきことがあるだろう。いずれにせよ、その道のりは荒いものとなるはずだ。