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渡辺遼遠の雑記帳

書評:トランプリスク 『The Fifth Risk』 (マイケル・ルイス)

ご存知超売れっ子ノンフィクション作家、マイケル・ルイスの新刊。 

The Fifth Risk: Undoing Democracy

The Fifth Risk: Undoing Democracy

さて、マイケル・ルイスと言えば、書く本すべてが大ヒットとなり、『マネー・ボール』、『世紀の空売り』は映画化もされ、行動経済学創始者を扱った『かくて行動経済学は生まれり』は、2017年のノーベル経済学賞行動経済学に関するものだったこともあり、日本でもベストセラーとなった。

そのルイスの新刊は、ドナルド・トランプ当選後の政権移行がテーマだ。「トランプの政権移行で、一体何が起こっていた (いる) のか?」あるいは、もっと正確に言えば、「何が起こらなかったのか?」を説明するものだ。

ここで、アメリカの政権移行について少し補足が必要かもしれない。日本では、ほとんどの公務員は試験を受けて任用され、政治家 (首相) が直接的に任命するのは大臣・副大臣など一部の役職に限られる。一方でアメリカは政治任用制を取っており、政権交代が起こるたびに公務員が入れ替わり、その数は数千人にも及ぶ。そのため、大統領候補者は立候補中から政権移行の準備を開始し、大統領選挙の当日から政権移行を始めることが一般的である。既存政権の側でも、11月の大統領選挙前から引き継ぎのための準備を行い、新大統領の決定後すぐに担当者へ業務の引き継ぎを行なう。

ところが、ドナルド・トランプの場合は、大統領選挙後も、数週間も、1ヶ月も経っても引き継ぎ者は現れなかった。本書で取り上げられているオバマ政権のエネルギー省、商務省、農務省の担当者たちは皆、後任への引き継ぎを準備していたにもかかわらず、無駄な待ちぼうけを喰らわされてしまったのだ。これは無理もないことかもしれない。そもそも、ドナルド・トランプ当人ですら、本気で大統領になるつもりはなかったらしいのだから。

リスクマネジメントの主体としての行政機関

ルイスは、各機関の公務員たちに緻密なインタビューを行い、トランプ政権の政権移行のゴタゴタを暴き、またそこで働く公務員たちの業務を魅力的に描き出している。

ルイスの (そして彼がインタビューした公務員たちの) 洞察として、政府とはリスクマネジメントを行う主体であるという観察がある。本書のタイトルである「第5のリスク」とは、エネルギー省の元職員との会話の中で出てきたものである。懸念しているリスクのトップ5を教えてほしいと問われ、エネルギー省の職員が最初の4つとして挙げたのは、核廃棄物の管理や北朝鮮やイランの核問題などの、具体的なリスクであった。しかし、5つ目のリスクは、言わばメタ・リスクとでも言うべきもので、「プロジェクト・マネジメント」についてのリスクであると答えた - つまりは、政府がリスクに対応する能力を失なうリスクである。

ルイスが言う通り、最も想像の容易なリスクが最も起こりやすいわけではない。そして、(あくまでたとえとして数値を挙げれば) 1万分の1の確率でしか起こらない大惨事のリスクが10倍になり1000分の1となったとしても、それだけで我々の生活が破綻し困窮するわけではない。けれども、行政機関のポストや予算を削り、その円滑な業務を妨げているトランプ政権は、確実にアメリカ政府の長期的なリスク対応を削いでおり、多くの人はそれを無意識のうちの不安として感じ取っているのではないかと説く。

以前にも書いた通り、私は2016年初頭からのトランプウォッチャーで、それなりに多くのトランプ本を読んできたけれども、本書が一番不安感を感じるものだった。

 

いつものルイスの作風通り、個々の人物に注目したエピソードもディテールが凝っていて面白い。特に面白かったのは、オバマ政権のチーフデータサイエンティストを勤めた DJ Patil氏の話。幼少期からハッカーの素質があり、中学生の時には近所の住人に仕掛けたイタズラで警察に補導されるほどであったという。その後、彼は数学に興味を持ち、大学院で博士号を取得する。その際、カオス理論についての自身の仮説を証明するため、農務省が保持していた気候データを使用した。気象学に特段の興味を持っていたわけではなく利用できるデータがそれしかなかったのだそうだが、それをきっかけとして米国の公的機関との繋がりを得て、オバマ政権のデータ基盤整備をする職に就いたという。

FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

本書が「起こらなかったこと」についての本であるとすれば、こちらは「トランプ政権で起こったこと」に関する正統派のルポ。(ちなみに、2018年10月に私がアメリカを訪れた際には、『The Fifith Risk』とこの『Fear』がどこの本でも並んで平積みにされていた)