Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:自由貿易の誤謬 (ジョン・マイケル・グリア)

この記事は2016年11月23日に書かれた。ジョン・マイケル・グリアによる2016年ドナルド・トランプ当選予測に関するエッセイはこちら

http://archdruidmirror.blogspot.com/2017/06/the-free-trade-fallacy.html/

The Free Trade Fallacy

このブログの昔からの読者であればご存知の通り、私が投稿する記事のテーマがさまざまな方向へと逸れていくのは珍しいことではない。そして、今週の記事も、既に十分すぎるほどあるそのリストに追加の事例を加えることだろう。先週の後半、直近の選挙の余波が未だあらゆるメディアに噴出している間に、今後の事態のなりゆきについて1つの可能性の高い帰結を考察していた - 最近の経済史のなかで自由貿易協定が果たしてきた、大きな、そして疑わしい役割の少なくとも一部の終わりである。

ヨーロッパとアメリカ合衆国における2016年の政治的動乱の裏にある大きな潮流は、実際のところ、自由貿易の価値に関する意見の厳しい不一致である。現代工業諸国すべての政治的エスタブリッシュメントは、拡大を続ける貿易協定網に裏付けられた自由貿易政策は、必然でありかつ必然的に善であると主張している。現状維持に反対して盛り上がった運動 - イギリスのブレグジットドナルド・トランプを次のアメリカ大統領にしたポピュリストの勃興、そして世界各地での類似の運動の集合 - は、それら両方の主張を拒否し、自由貿易は連鎖的にネガティブな結果を生む愚かな政策であると主張している。

ここで、何が議論の対象であるのかを明確にすることが重要だ。自由貿易についての会話は、しばしば国境開放その他についての、温かであるが曖昧な一般論に偽装されているからである。自由貿易制度のもとでは、商品と資本は国家の境界を越えて自由に移動できる; 支払うべき関税はなく、満たすべき割当もなく、ある国や別の国の中に資本を留める規制もない。いわゆるグローバル経済、すなわちある国で販売される消費財は地球のどこか別の場所で製造されたものであるかもしれず、工場を建設するための資金は自由に流入して利益を上げられるようなグローバル経済は自由貿易に依存しており、自由貿易理論の推進者はこれは常に良いことであると主張する: あらゆる種類の貿易障壁を廃止し、商品と資本に国境を越えた自由な移動を許すことは、あらゆる人に繁栄を作り上げるものであるとされる。

理論上はそうだ、少なくとも。実際には? まぁ、そううまく行かない。これは常に記憶されていることではないのだが、現代史には2回の大自由貿易時代が存在した - 最初は、1860年代から大恐慌開始までの期間であり、そこにアメリカ合衆国は決して完全に参加していなかった; 2つ目は、1980年代から現在までで、アメリカはその最央部に位置してきた - そのどちらも、普遍的な繁栄の世界をもたらさなかった。まったく逆に、両者はほぼ同一の結果をもたらした: 富裕者の驚愕的な繁栄、労働者階級の貧困化と悲惨化、そして連鎖的な経済危機である。最初の自由貿易時代は、大恐慌により終了した; 2つ目の、たった今現在の自由貿易時代も、同様にして終わる可能性がある。

エコノミストたち -より正確に言うなら、現実世界から得られた根拠と自身の理論とを比較する、エコノミストのマイノリティ- は、これらの好ましくない結果は、自由貿易の失敗ではないと主張することを好む。私が示したいと思っているように、彼らは完全に間違っている。彼らの分析からは重要なファクターが除かれているので、そのようなファクターを考慮に入れたとすると、自由貿易は、繁栄ではなく、必然的に貧困と経済的不安定性をもたらす悪しき政策であることが明らかになるだろう。

これがどう働くのかを見るために、多数の独立した国々が存在する1つの大陸を想像してみよう。すべての国はお互いに貿易をする。他国よりも裕福な国がある; 価値の高い天然資源を持つ国もあり、そうでない国もある; 生活水準と一般的な賃金水準は、それぞれの国ごとに異なる。通常の条件のもとでは、さまざまな種類の貿易障壁が国家間の商品と資本のフローを制限する。各々の国は、貿易政策を調整することで自身の経済的利益を追求する。国内の鉄鋼産業を育成しようとする国は、たとえば、関税、輸入量割当クォータ 、などを使って、国外の競合から国内産業を保護するかもしれない。余剰の農作物を有する別の国は、近隣諸国に自国の穀物を購入してもらうために、他の製品への関税を下げる必要があることを理解するかもしれない。

上述の2つの時代以外には、これが普通の情勢であり、2つの堅実な結果をもたらした。1つ目は、国家間の商品と資本の動きは、だいたいバランスの取れた方向へ向かう傾向があるということだ。なぜならば、近隣諸国の敵対的な貿易政策から防衛するために、あらゆる国が自身の貿易障壁を使用するからだ。たとえば、ある国が「ダンピング」により鉄鋼生産を独占しようと試みていると想像してみよう。つまり、あらゆる他国の鉄鋼業者を破産に追い込むために、国際市場において最低価格で自国の鉄鋼を販売するのである。他の国は、特殊関税、クォータ、ダンピング国家からの鉄鋼輸入の全面禁止などの処置を取ることで、そのようなプロジェクトを緊急停止させられる。ゆえに、貿易障壁は、国際経済に相対的な平衡状態をもたらす傾向がある。

これは平衡状態であり、平等ではないことに注意してほしい。貿易障壁が存在するときには、ある国が裕福である一方で別の国が貧しい状態にあるのは普通のことである。それは国際貿易とは何の関係もない膨大な理由による。同時に、貧困諸国の困難さも、国家内での賃金と価格の間の相対的な平衡状態によってバランスが取られる。

国境を越えた商品と資本の動きが制限されている場合、それぞれの国家内の消費財価格は、需要と供給の法則を通して、その国の消費者の購買力とリンクさせられる。そして、つまりその国の雇用者により支払われる賃金と結び付けられる。もちろん、通常通りの注意事項が適用される; 賃金と物価は、他の膨大な理由によっても変化する。その多くは国際貿易とは何の関係もない。そうであっても、雇用者から支払われた賃金によって、消費者が雇用者の製品を購入するための基本的な収入源が形成されるため、また、もしも雇用者が著しく賃金を低下させることを試みた場合、消費者は政治領域への影響力を保持しているため、[商品価格と賃金の] 平衡へと向かう強い圧力が存在する。

貿易障壁がある場合、結果として、低賃金の国に住む人々が商品とサービスに対して支払う金額は、一般的に低くなる。一方で、高賃金の国に住む人々は、店に行くときには相対的に高い価格を支払わなければならない。低価格により、貧困諸国に住む労働者の生活は相当に容易になる。同様に、富裕諸国に住む労働者の生活も、賃金が価格とマッチする傾向があるため相当に容易になる。常にこのようになるのだろうか? もちろん、ノーだ - もう一度言っておくと、賃金と価格は無数の理由により変動する。そして、国家経済は本質的に不安定なものである - しかし、ここで列挙したようなファクターにより、経済は、一方では消費者の需要と要求、もう一方では消費者の支払い能力との間でおおむねバランスが取れる方向へと向かう。

それでは、我々が今まで想像してきた国々すべてが、ネオリベラル派エコノミストの声により自由貿易ゾーンを制定するよう説得されたとしよう。そこでは、商品と資本の自由な動きを妨げるあらゆる障害が存在しない。何が起こるだろうか?

貿易障壁のないところでは、ある商品やサービスを最低価格で生産できる国家が、その商品やサービス市場の "王者の分け前" を得ることになる。労働コストは製品製造コストの大部分を占めているために、低賃金の国家は高賃金の国家よりも競争力のある値付けをする。結果として、かつての高賃金諸国では失業率の増加と賃金の低下が発生する。結果は、自由貿易ゾーン内における労働力の最低賃金水準へと向けて、いたるところで賃金が低下していく "底辺への競争" が起こる。

これが単一の国家内で発生した場合、既に述べた通り、労働者はしばしば政治領域で力を行使することにより、経済的な下降流に反応できる。自由貿易ゾーンにおいては、けれども、ある1つの国の中で賃金低下に対する政治的挑戦を受けた雇用者は、単純に別の場所へ移動できる。このような経済的な統合と政治的な分断のミスマッチが自由貿易の不均衡を生み、すぐ後で議論するような問題へと繋がる。

ここで当然、自由貿易の提唱者は、富裕国から貧困国への雇用喪失は、必然的に新しい雇用に代替されると主張することを好んでいる。歴史はこの主張を支持していない - 正反対である - そして、消滅した雇用が決して代替されないことには十分な理由がある。自由貿易制度のもとで、労働集約的産業の企業にとっては、単純に低賃金の別の国へと移動することがより経済的であるからだ; 資本集約的で、それゆえ相対的に少数の労働者しか雇用しないような産業の企業だけが、高賃金諸国で創業する理由がある。コンピュータ産業は古典的な事例である - そして、読者はお気付きだろうと信じているが、そのような産業が労働集約的になるとすぐにオフショアされる。それでも、ここでは別のファクターも働いている。

賃金は製品製造コストの非常に大きな割合を占めているため、全般的な賃金低下は事業収益の増加をもたらす。そこで、自由貿易による1つの結果としては、賃金より収入を得るマジョリティの労働者から、事業収益より直接・間接的に収入を得る裕福なマイノリティへの富の移転である。このファクターこそが、自由貿易の提唱者が描く絵から抜け落ちているものだ- つまり、所得分配に対する自由貿易の影響である。自由貿易は、企業利益を増加させる一方で賃金を低下させるため、豊かな者を富ませ貧しい者を貧しくする。今日、裕福な人々の間で自由貿易が人気のある理由はこれだ。ちょうどビクトリア朝時代と同じように。

けれども、ここには "つぼみの中の毛虫" *1 が居る。歪んだ所得分配は、それ自体が負担となるからであり、またそれらの負担は時が経つにつれて痛々しいまでによく知られた形で積み上がっていく。富者を富ませ貧者を貧しくすることの困難さは、ずいぶん昔にヘンリー・フォードが指摘した通り、従業員に支払われる賃金は、従業員が商品を購入するために使用する収入源でもあるということだ。賃金が低下するにつれて購買力も低下し、収入を消費者の購買に依存するあらゆる産業において、投資利得に対する下方圧力がかかり始める。

投資家の富の増加が、賃金を得る大衆の富の低下を埋め合わせるのではないだろうか? ノーだ、なぜならば、貧しい人々と比べれば、豊かな人々は小さな割合しか消費財に使用せず、残りを投資へと回すからだ。100万ドルを1000人の労働者階級の家族に分配すれば、そのお金は家族の生活水準を向上させるために使われるだろう: より良い食事、より大きなアパート、クリスマスツリーに置かれる追加のおもちゃ、など。同じ100万ドルを1つの裕福な家族に与えたとすると、高い確率でその大部分が投資へ向かうだろう。

これが、ところで、かつての時代の共和党政治家に愛されたトリクルダウン経済理論が機能しなかった単純な理由であり、また2008~2009年の経済パニックの際、政府から銀行へ施された資金がこの国のほとんどの人の経済状況を改善しなかった理由である。消費という点については、豊かな者は貧しい者ほど効率的ではないのだ。結果、消費支出により経済を駆動させたいのであれば、貧しい労働者階級の人々に、消費できる十分なお金を手に入れさせなければならない。

また更に大きな原則も存在する。経済にとっての消費支出と投資資本は、植物にとっての太陽光と水である: つまり、どちらか一方をもう片方で代替することはできない。両方が必要である。自由貿易政策は、所得分配を歪めることにより消費支出から投資に向けてお金を吸い上げるため、一方では不足を他方では過剰を引き起こす。不均衡が増大すると、消費者は製品を購入する現金を持たなくなるために、企業は利益を上げることが難しくなっていく; その一方で、投資に利用されるお金の量は定常的に増加する。その結果は、ますます多くの資金がますます少なくなる価値ある投資手段を追求することによる、投資利得の定常的な低下である。

自由貿易時代の歴史は、それゆえ、必要とあらばあらゆる手段を用いて投資利得を下支えするための、狂乱した試みによって特徴付けられる。1970年代にアメリカから製造業経済を奪い去ったオフショアリングブームは、ビクトリア朝時代後期のイギリスからインドへの織物工場オフショアリングと正確に対応している; どちらの場合にも、オフショアリングは、自由貿易ゾーン内の豊かな地域と貧しい地域の賃金と価格の間に残存する不均衡を活用するものであった。どちらの場合にも、オフショアリングは富裕諸国での賃金低下圧力を増加させ、消費財産業 - 当時も今も、経済において単独の最大シェアを持つ分野 - の全般にわたる投資利得の低下により、解決するはずだった問題を悪化させた。

私が知る限りで1回目の自由貿易時代に試行されなかったトリックは、借金で商品を買うよう消費者を説得することにより、資本を代用の収入へと変化させることであった。それは過去20年のほとんどの間、アメリカの経済政策の要石キーストーン であった。住宅バブルは、自分の持っていないお金を使わせて、その後に利息付きで全額支払う方法を発見しようとする狂気じみた試みの、最も途方もない発現にすぎない。それはうまく働かなかった。その理由は、追加の利息支払いが消費支出に対して更なる下方圧力を加えるからだけではない。

他にもさまざまな理由があるが、現代の2度の自由貿易時代に存在したほとんど自滅的な仕掛けは、賃金を低下させる一方で消費支出を高止まりさせようとすることだった。そのどちらも機能しなかった。なぜならば、実際の問題に向き合ってないからである - 自由貿易のもとでは、賃金への下方圧力は、有効な投資資本を吸収するレベルで経済を回し続けられる十分なお金を、消費者が支払えないことを意味する。- そしてそこで、投資利得の低下という問題に対する最終解決策が時刻通りにやって来る: 生産的投資から投機への資本転換である。

この物語がどう終わるのかを知らない読者は、すぐに起き上がって、ジョン・ケネス・ガルブレイスの本『大暴落 1929』を探しに行くべきだ。投機バブルは、持続している間は豊富なリターンを生む; 自由貿易によって賃金が低下し、消費財経済が停滞スタグネーション収縮コントラクション に追い込まれ、生産的な産業への投資収益が "もはや無視しうる" ポイントを下回ると、非常に多くの場合、投機バブルのみが利益を上げられるゲームになってしまう。更には、自由貿易スキームの最終段階においては、真っ当なリターンを上げられる投資手段があまりにも減ってしまうため、真っ当なリターンを得られる投資手段には何であれ即座に膨大な量の資金が流入することになる。

そこで、大自由貿易時代を、1846年の穀物法廃止を暫定的な開始とし、グラッドストン政権による1869年の関税廃止に絶頂を迎え、1929年の株式市場の崩壊と大恐慌によって終了した間の期間であるとする。その道のりの中では、たくさんの危機も発生している。19世紀終盤から20世紀初頭にかけての経済史には、1929年に最高潮を迎える投機的バブル破裂と株式市場崩壊という荒涼とした風景が広がっている。実際のところ、それは20世紀終盤から21世紀初頭にかけての経済史と非常によく似ている。そこでもまた別の破裂と崩壊の連鎖が続いているからだ; 1987年の株式市場の崩壊、1994年の新興国通貨危機、2000年のインターネットバブル崩壊、2008年の住宅バブル崩壊、そしてそのリズムは続いている。

ゆえに、自由貿易は、労働者の貧困化と悲惨化を、また、消費不足と過剰投資の間のミスマッチによる連鎖的な経済危機をもたらす。そのような問題は偶然ではない - 自由貿易制度そのものに直結している - そして、そのようなことが起こるのを止める唯一の方法は、自由貿易を悪しき政策であるとして廃止し、賢明な貿易障壁を用いて各々の国で消費される製品のほとんどが自国内で製造されるようにすることである。

おそらく、ここで一時停止していくつかの点を指摘しておく必要があるだろう。最初に、自由貿易が悪しき政策であるからといっても、あらゆる種類の貿易障壁が優れた政策であることを意味しない。ありうる選択肢は、スペクトラムのうちの両極端の2点だけだと主張する習慣は、一般的ではあるものの、非常にまずい決断を生む方法である: ほとんどのものごとと同じく、両極端のどちらかよりも中庸の点が良い結果をもたらす。適切な中間地点を見つけることは必ずしも容易ではないが、同じことはほとんどの政治経済的な問題についても当てはまる。

次に、自由貿易は経済の機能不全をもたらす唯一の原因ではないし、所得分配の歪みとそれに伴う問題を引き起こす唯一の原因でもない。多数のファクターにより、国家および世界経済の軌道は逸らされてしまう。歴史が痛々しいまでに明白に示すところによれば、自由貿易は必然的にこれらの問題を引き起こす。自由貿易を廃止し、平常状態へと回帰すること、すなわち国々が自国の需要のほとんどを国境内で満たし、余剰の製品ないしは国内でほとんどあるいはまったく得られない商品の交換のみを貿易することは、深刻な経済的機能不全を起こす確実な原因の1つを取り除く。単にそれだけだ。しかし、ほぼ間違いなく、自由貿易からの撤退は良い考えであると言える。

最後に、ここで私が提示した論点によれば、自由貿易協定から撤退し計画的な貿易制限を試みる国には、今日でさえ、予期しない利益があるかもしれないと示唆している。現在、繁栄に対する下方圧力をかけるファクターは多数存在するものの、今私が示した推論によれば、現在の世界にあまりにも広がった貧困化と悲惨化は、過去数十年にあまりに普及した自由貿易狂乱マニアによって著しく悪化しているのかもしれない。自由貿易協定から撤退し、国内消費のための製品生産へ向けて自国の経済を再修正する国は、それゆえいくらかの改善を予期しうるかもしれない。労働者の人々の繁栄のみならず、投資利率についても。

これが私が提案したい理論である。次の政権が宣言している政策によると、それが今まさにテストされようとしているものである - そして、その結果は次の数年程度の間には明らかになるはずだ。

(後略。元記事では、グリアが出版する本についての告知が2件あったが、訳出にあたっては省略した。)

大暴落1929 (日経BPクラシックス)

大暴落1929 (日経BPクラシックス)

*1:訳注: ものごとをダメにしてしまう原因