Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:失敗からの教訓: ささやかな紹介 (ジョン・マイケル・グリア)

この記事は2016年8月24日に書かれた。ジョン・マイケル・グリアによる2016年ドナルド・トランプ当選予測に関するエッセイはこちら

Learning From Failure: A Modest Introduction

先日、別のブログを読んでいた読者の一人が、賢明でタイムリーな質問を発した: 今年の大統領選挙の話題になると、なぜあまりに多くの良識ある人々が、口角泡を飛ばして激論を始めるのだろうか? 鋭い質問だ。今日のアメリカ合衆国において政治的言説に適用される恥ずべき基準からしてさえ、両主要政党の支持者から聞こえる、完璧な詭弁、キャッチフレーズのおうむ返し、白熱した激怒などの混ぜ合わせは、尋常なものではない。しばらくの間その質問を検討したところ、その答えが分かった: 認知的不協和である。

簡単な思考実験で説明できる。親愛なる読者諸君、想像してみてほしい。オレゴン州ポートランドにある、近所にある流行りのスターバックスに入り、そこにいる人々 - 根っからの民主党員の男性、女性、性別不定の個人、そして子供 - に質問をするのである。悪夢の大統領候補者を説明してください、来年の1月、最もホワイトハウスで見たくない人物はどのような人ですか、と。

彼らは教えてくれるだろう。そのような人物は、銀行や大企業の利益に公然と奉仕し、豊かな者を更に富ませるために行政にかかわってきた政界のインサイダーで、また第三世界諸国に対する政権転覆およびロシアとの軍事的対立にコミットするネオコンである。その候補者は、企業が環境保護法を覆すことを許容してきた貿易協定の支持に業績を上げ、驚くべきほどに厚顔無恥なスケールでの詳細な汚職告発の中でも踏み止まっている。その候補者は、アメリカには何も問題がないと主張し、それに同意しない者は単にネガティブな人間であるのだと主張するだろう。あぁ、またその候補者は人種差別的な行動に関わっていて、強姦されたという女性の訴えも、もしもその訴えが候補者自身の家族の一員に向けられた場合には、真剣に捉えられるべきではないと主張することも助けになるだろう。

つまりは、民主党の一般党員の考えによれば、ありえる最悪の大統領とはヒラリー・クリントンである。

それでは、グレイハウンド [長距離バス] に飛び乗り、ケンタッキー州ボウリンググリーンで下車して、最寄りの南部バプテスト教会の懇親会に向かってみよう。そこにいる人々 - 根っからの共和党員の、最後の一人の紳士淑女、清潔な子供に至るまで - に質問をするのである。悪夢の大統領候補者を説明してください、来年の1月に、ホワイトハウスで最も見たくない人物はどのような人ですか、と。

彼らは教えてくれるだろう。そのような人物は、ニューヨーク市のヤンキーであるだろう。そこは北米における究極的な悪の汚物溜めとして、多数の敬虔な人々の心のなかでは未だにロサンゼルスを凌駕している。その候補者は、不都合な債務から抜け出すために繰り返し破産宣告を行なって、金の山を作り上げた悪しき投機屋であるだろう。その候補者は、"野蛮" であるだろう - この言葉がどれほど強いものであるか見当も付かないかもしれない。南部プランターの零落した子孫である年配女性の口から、完璧な軽蔑口調でこの言葉が発せられるのを聞くまでは - そして、宗教問題については偽善者であり、キリスト教のキャッチフレーズを口にするのは、ただ選挙で勝つのに役立つからにすぎない。そのような候補者は、もちろん2回も3回も4回も結婚しており、婚外子をもうけており、ゲイ、レズビアントランスセクシャルその他の人間に対して、何らかの敬虔な恐怖の痕跡を示すことに失敗している。最後に、そのような候補者は、アメリカはもはや地球上で最も偉大なる国ではなく、再び偉大になるために抜本的な変化をする必要があると主張するかもしれない。

つまりは、共和党の一般党員の考えによれば、ありえる最悪の大統領とはドナルド・トランプである。

現段階において、両党が適切な対応を取り候補者を交換して、共和党は腐敗したエスタブリッシュメントネオコンを再び支援し、民主党が放埒なポピュリストのデマゴーグを任命するのには、おそらくもはや手遅れなのではないかと思う。そのような賢明な対応を欠いているために、あまりに多くの人々がおおむね平静を失なっていることはまったく驚きではない。民主党員も共和党員も、文字通りにすべてがホワイトハウスで目にしたくない人物に、心から投票を望んでいるかのように信じ込もうとしているのだから。それほどの認知的不協和の中では、落ち着いた議論、合理的な意思決定、正気の政治は不可能である。

それゆえ、アメリカの公人の中で最高に忌み嫌われた2人のうちのどちらが、来年1月に聖書に手を置くのか、また加速する政治的、経済的、社会的没落のなかで苦悩する苦く分断された国のリーダーとなるという疑わしい恩恵を得るのかを競う現在のレースの決着が付くまでには、何度かの奇妙な爆発の発生が予期できる。けれども、それが進んでいく間にも、議論に値する政治的なテーマは他にもある。それらのテーマは、先月の記事での気候変動反対運動の失敗に関する議論への反応として、大きな形で浮び上がってきた。

その記事は、かなりの敵意あるコメントを引き付け、激怒した非難も不足することはなかった。それらの多くは、記事中のある1点のディテールに焦点を当てていた: 気候変動運動とアメリカ合衆国における同性婚の権利要求キャンペーンとの対比である。そのどちらも、ニセ情報で下品なキャンペーンを行なう、豊富な資金を持った反対者に直面した。私が指摘した通り、同性婚キャンペーンはいずれにせよ勝利したので、気候変動運動の敗北の原因は反対者のみに帰せられるわけではない; 気候変動運動が失敗し、その一方で同性婚の権利は今や確固たる法律となった理由は、考慮する必要がある。

これは、けれども、非常に多くの私の読者が望んでいないことである。その人たちが言うには、同性婚権のキャンペーンの目的は、シンプルで、ごく限られた人にのみ影響を与える直接的な法改正であり、一方で、気候変動運動の目的は、現代生活のあらゆる側面での包括的な転覆であるという。中には壮大なスケールのレトリックを使って、気候変動に対して何らかの行動を取ることの圧倒的な困難さを描き出した人もいる。エクソン*1からの補助金に支えられた、地球上のあらゆる気候変動否定論者ですら匹敵しないと思えるほどに気力を失なわせるような調子で。自身の目標を同性婚権のようなものに - 言わば、何かしら達成可能である目標に作り変える方法があるかと問うことは、まったく思いもよらなかったように見える。

より一般的には、敵意ある反応の中心にあるのは、気候変動運動がその失敗から何かを学ぶべきであるという考えを断固として拒否することであった。それは、エクソンの取締役が彼らの最高の夢想を支持してくれると望む以上に、全面的な降伏である。社会変革への勝利を求める運動は、常に一時的な敗北を学習経験として捉え、失敗からの教訓を引き出し、それらの教訓にもとづいて戦術と戦略を変化させ、問題を捉え直し、勝利を得られるより良いチャンスへの奮闘に固執するのである。また、成功を収めた他の運動を見て、自分に問いかける。「我々の大義ではどうすれば同じことができるだろう?」 失敗に対して言い訳を述べ、その戦いはそもそも勝利不可能であったのだとみんなを信じ込ませるような社会変革運動は、逆に、浅い墓穴と水彩の墓碑銘しか得られないだろう。[死後、すぐに忘れ去られるだろう]

ちなみに、同性婚の権利運動の教訓は気候変動運動へは適用不可能であるという主張から学べることは、更に重要であると思う。同性婚運動は、2点のはっきりとした特徴により、政治的スペクトラムの左側の人々が主導した最近の運動の中では特に注目に値する。1点目は、1980年代初期からアメリカの政治運動を支配してきた一般常識に反していることである。2点目は、それが勝利したということである。これら2つはまったく無関係ではない。実際のところ、特定の習慣が、過去30年間に渡って社会変革運動に必須とみなされてきた習慣が、当の期間に目標達成をほぼ全面的に失敗させてきたことに責任があると提案したい。

それでは、1つずつそれらの習慣を見ていこう。

1. 抱き合わせ

これは、いかなる社会変革運動であれ、現在人気のある他のすべての社会変革運動のため余地を空けておかなければならず、時間、労力やリソースをそれぞれの運動が別のところへ割り当てなければならないという主張である。何らかの目標へ向けた運動を開始すれば、確実に、あなたと同盟を組みたいと主張する活動家たちが群がってくるだろう。我々を助けてくれる限りはあなたを助力すると主張する者もいるだろうし、我々の目標達成を支援することがあなたの目標達成のための最良の方法なのだと主張する者も、我々の目標の方がより重要なのだから、あなたがマトモな人間であれば自分の大義を下ろして我々に参加するべきだと主張する者もいるだろう。けれども、これらすべては、別の人間の大義のためにあなたのお金、時間、労力その他のリソースをいくらか転用せよという要求である。

連帯という表層の裏側にあるのは、すなわち、社会変革運動シーンとは人、金、熱意への獲得に向けて複数の運動が競争しているダーウィン的競争環境である。"抱き合わせ" は、標準的な競争戦略であるが、あなたの運動が解決しようとしている問題に対して具体的な行動を取ることを計画するようになると、すぐにオーバードライブしてしまう。この時点において、確実に、あなたの同盟者たちは、自分の大義に対して何らかの見返りがなければ計画は受け入れられないと主張するだろう。言い換えるなら、あなたは単に問題Aを修正することはできない; あなたは、問題B, C, D そして Zなどについても何かをしなければならない - そして、そこに辿りつくよりも前に、あなたの計画は実行可能ではなくなる。いかなる一連の行動でさえ、世界中の問題すべてを一度に解決することはできないからだ。

同性婚の権利へのキャンペーンを他の社会変革運動と区別するものは、反対に、抱き合わせによる失敗を拒否したことである。同性婚運動は、実際の目標 - 同性カップルが結婚の権利を得ること - に焦点を当てて、単独で目標を追求することは非現実的なのだから、歩調を合わせ、社会変革のための壮大な運動に参加し、順番を待つべきだという主張を聞き入れることを拒否したのである。もしも同性婚運動がその主張を聞き入れていたとしたら、彼らは今でも待ち続けていただろう。実際には、同性婚運動は成功を収めた。

2. 党派の罠

民主党は、環境保護大義が死ぬ場所である。ある程度までは、今日のアメリカの党派政治は、抱き合わせの究極的な事例である; 左派の社会運動は、自身のアジェンダを追求するよりはむしろ民主党候補を選出させることにエネルギーを投入するべきであると信じ込まされる。結果として、民主党候補は選挙で勝つものの、社会変革運動は自身の目標は何も実現しなかったと知るのである。

これは偶然ではない。アメリカの両党は、かつて独立していた社会変革運動を囚われの選挙区内に押し止めるという芸術を完成させたので、いずれかの政党の候補者を選出するために働き続けるものの、実質的に見返りとしては何も得られない。民主党エスタブリッシュメントは気候変動反対運動の成功にもはや関心がなく、共和党は反対に妊娠中絶反対運動の成功に関心がない; どちらの場合にも、[もしも目標が達成されたら] 運動は消滅し、重要な囚われの選挙区は自身を支持する政党を失うだろう。党官僚にとっては、囚われの選挙区に時おりパンくずを投げ与え、目標達成への失敗は対立する党派の責任であると非難し、4年毎に、相手の党は更に悪いのだから言われた通りに投票するべきだと主張するほうがはるかに利益が大きい。

同性婚権を求めるキャンペーンは、両政党が運動を定位置へと押し止めるために多大な努力をしたにもかかわらず、その罠から抜け出した。そのため、共和党員 - 共和党候補に投票し、共和党キャンペーンに寄付し、共和党の活動に参加する人々 - のゲイやレズビアンは有意な数に上る。そして彼らは共和党員の議員に、彼らが望むことをするようにお願いする手紙を大量に送り、政府へ陳情した。これが同性婚に対する共和党の反対を崩壊させることに大きな役割を果たし、ひいては運動の成功に重大な役割を果たした。

3. 純度政治

民主党員と共和党員のゲイ、レズビアンおよび同情的な異性愛 ストレート の人々を含む運動の創設は、また別の現代左翼運動の戒めに違反していた。社会変革のための運動は、イデオロギー的な純度テストに失敗した者を排除すべしという主張である。指摘されてきた通り、またこれは正しいのだが、右派は引き付ける協力者を探す一方で、左派は追放するべき異端を探すのである; 過去40年間にわたって、右派が左派よりもはるかに成功している理由の1つはこれだ。

ある程度までは、純度政治は単に"抱き合わせ"の裏返しである。あなたの運動が左側のすべての運動もサポートしなければならないのであれば、あなたの運動に引きよせられる人は、リストに掲載された他の運動すべてのアジェンダに合意するごく少数の人のみである。それでも、そこではそれ以上のことが起こっている。私が過去の記事で書いた通り、アメリカにおける人種についての語りは、人種的な不正義に影響を受けた人々の生活を向上させるための活動から、本当の、ないしは想像上の迫害者の集団をいじめるという機能不全のゲームへと変貌を遂げた。純度政治は、それと同一のダイナミクスから生じている。かなりの数の有望な運動でも働いており、空っぽの部屋の中で、全員がお互いを疑り深く見つめて、何らかの逸脱した思考の兆候がないかと探す5, 6人の人々へと変化させている。

同性婚権運動が成功した理由はまさに、反対に純度政治を拒否したことにある。運動の大部分において、重要なことは同性カップルに結婚の権利を与えることに賛成するだけであり、社会変革運動の全範囲に賛成ではない多数の人々が、実際にゲイとレズビアンカップルが絆を結ぶことを喜んで支持した。イデオロギー的分断を乗り越えて単一の問題に共通基盤を見出す能力が、勝利を約束するわけではない。けれども、それを拒否した場合はほぼ常に敗北が約束されている。

4. 特権者への迎合

裕福なマイノリティに訴えかけて大衆運動を起こした人はいない。それが、近年では社会変革運動が巨大な運動となる兆候をまったく見せない主な理由の1つである。1980年以降、ほとんどの活動家は、真に重要なオーディエンスが裕福なリベラル派のみから構成されているかのように自身のアピールとキャンペーンを定め、たびたび大多数のアメリカ人マジョリティを無視するどころか侮辱さえしたのである - つまりは、彼らの大義が何らかの持続的勝利を達成しようとするならば、味方に付けなければならない人々である。

私がこのブログの別の記事で議論した通り、階級問題が現代政治におけるタブートピックとなったのは、まさにかつて繁栄していたアメリカ人労働者階級が破壊された期間のことであった。政治に関する我々の集合的会話では、人種、ジェンダー、超富裕層について話すことができる。しかし、非常に重要な別の分断 - 給与を得る裕福な人々と、賃金を稼ぐ人々、給与階級から広範に支持された容易に特定可能な政策により、困窮と悲惨のうちに落とされた人々との分断 - について話しをすると、確実に叫び倒される。 (このような会話を、ドルイドが潜む周縁部で行うことによる利点としては、そんな叫び声がほとんど聞こえないことが挙げられる)

あまりに多数の自称過激派たちは、それゆえ、特権階級に従順に従い、富者たちが眉をひそめるようなリスクを取ることすらせず、彼らのテーブルから出るゴミの施しを乞うたのである。アメリカで本当の変革が発生するのは、ドナルド・トランプが既に学んでいる通り、国家政治とパブリックな言説からの賃金階級アメリカ人の要求、利益、視点の排除により、かつて強靭であった現状維持への信念が打ち砕かれ、政治的動員への準備が整ったということを他の人たちが学んだ時であろう。そのような変革は良い方向へ向かうとは限らない; もしもメインストリーム政党が、裕福な者だけが問題であるかのように行動し続けるならば、次に賃金階級を従える人物は、腕章と軍靴を好むかもしれない。ことによると、路肩爆弾やゲリラ紛争を好むかもしれない; いずれにせよ、変革は起こるだろう。

同性婚権の運動は、ここでは巨大なアドバンテージを持っていた。その運動が実現を望んだ政策変更は、ボウリンググリーンやオマハの賃金階級の同性カップルにも、シアトルやボストンの給与階級の同性カップルのどちらにも利点があるものであったからだ。(ところで、ボウリンググリーンやオマハに賃金階級の同性カップルなど存在しないと考えるのであれば、もっと外へ眼を向けるべきだ。) それが運動に巨大な支持を与え、裁判所の判決が出なかったとしても、個々の州での投票を集め始め、更なる勝利を収めたのである。

それでは、人為的気候変動への反対運動は? 運動に関わった人であれば、読者諸君、ここで列挙した4つの悪い習慣すべてに苦しめられていたことにお気づきだろうと思う - お望みであれば、我らが時代における急進主義の黙示録的失敗の四騎士と呼んでも良い。気候変動運動は、抱き合わせの利益を求める集団により、コアとなる目標から逸らされてしまった; それは、民主党の選挙区に囚われてしまった; それは、純度政治の悪いケースに苦しめられており、そこでは (私が以前指摘した点を挙げるなら) 大量の余剰を節約することなしに、化石燃料を代替する再生可能資源の能力に疑問を持つ人間は、否定論者として非難される; それは、常に特権者へ迎合し続け、貧しい労働者の犠牲のもとに裕福な人々に利益をもたらす政策を追求している。これらの悪い習慣が、先の気候変動運動の死亡記事で列挙した具体的な間違いを助長し、そしてその運動を敗北へと導いた。

その失敗は必然ではなく、また将来の気候変動運動が同じ間違いを何度も何度も繰り返す必要もない。今後の記事では、将来の運動が、大気を下水口であるかのように扱うことを止め、今日の我々の愚行によるエコロジカルな影響を緩和するために何をすべきかを描き出したいと思う。私の具体的な提案は試験的なものとなるだろうが、けれども同性婚権キャンペーンの成功から得られる教訓はそこに含まれるだろう-そして、我らが時代の他の社会変革運動の度々の失敗から得られた、同様に重要な教訓も。

*1:訳注:米国の石油会社。日本ではエッソのブランドで知られる。