Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳。技術ネタと読んだ本の紹介。

書評:『サイバネティクス全史』(トマス・リッド)

「サイバー」という語の起源と変遷を辿ることでさまざまな技術史と技術の文化史を統一的にまとめ上げる、ポピュラーサイエンス本かくあるべしというお手本のような本。二匹目のどじょう狙いのようなあからさまなタイトルによって、むしろ本書の企画のオリジナリティが分かりづらくなってしまっているのが残念だ。

サイバネティクス全史――人類は思考するマシンに何を夢見たのか

サイバネティクス全史――人類は思考するマシンに何を夢見たのか

「サイバー」という言葉は、すっかり日常の語彙に馴染んでいる。サイバースペース、サイバーセキュリティ、サイバー戦争… しかし、改めて「サイバー」とは一体何なのかと考えてみると、よく分からなくなってしまう。

辞書やWikipediaを軽く調べてみると、「サイバー」という接頭語は「サイバネティクス」に由来し、日常言語やサブカルチャー分野での「サイバー(スペース)」という言葉は、SF作家ウィリアム・ギブスンの1980年代の小説「ニューロマンサー」によって普及したのだとされている。

本書によれば、この単純化された「サイバー起源物語」は、一種の"神話"であるという。「サイバー」の起源も普及も、決して創始者や伝道師のみに帰せられるものではなく、学術的な研究としても文化的ムーブメントとしても、はるかに大きな広がりがある。帯のケヴィン・ケリーの推薦文に「戦争兵器からコンピュータ・ネットワーク、ソーシャル・メディア、監視技術、VRまでを一つのテーマで接続する。…」とある通り、本書が扱う対象は極めて多岐にわたる。著者によれば、このさまざまなテクノロジーの裏にあるのは、サイバネティクスの神話であるのだという。「サイバー」は、いつも「未だこの世界のどこにも存在しないマシン」を指しており、現実の研究開発と未来予測の物語が、サイエンスとサイエンスフィクションが織り合わされながら進んできたのだ。

サイバネティクスに共通の批判の一つは、それが栄えた1950年代にあってさえ、その構想が空想的で、技術の多くはまだ構築できておらず、当面実現しそうにないということだった。しかしながら、実在しないマシンについて理論化するのは欠陥ではない。その方面では、物理学という熟練の領域が先んじていた。物理学も重要できわめて成功した科学の分野であり、実在しない系を調べる。質量のないばね、質量はあるが体積のない粒子、理想的にふるまう気体のように。そういうものは実在しない。それでもそういうものを純然たる理論の形で理解することは、時計のような単純な物でさえ、それを理解するうえで肝要となる。(p.92)

ノーバート・ウィーナーとサイバネティクス

サイバネティクス」という用語の創始者は、MITの変わり者の数学者、ノーバート・ウィーナーであった。戦時中に従事した対空砲の偏差射撃に関する研究 (この研究自体は成果を上げられず、それほど評価されなかった) に着想を得て、戦後の1948年に「人間とマシンを統合する理論」を『サイバネティクス――動物と機械における制御と通信』という著書で提示したのである。サイバネティクスの核となる概念は、一言で言えば「人間と機械が密接に関連したフィードバック制御」である。飛行機を例に取れば、レーダーがパイロットの眼を拡張し、翼とエンジンが四肢と筋肉を拡張し、自動操縦装置は神経系を補足する。ウィーナーはこの概念を大きく拡張し、制御と通信を含むあらゆるシステムを対象とする理論を構築した。そして、ウィーナーの思想の影響はエンジニアリング分野に留まらず、社会学や人文学分野の著名な研究者も引き付けていったのである。

サイバネティクスの文化史

既に述べた通り、この本の内容は多岐にわたるため、一言で要約できるような本ではないのだけれど、本書を類書から区別する特徴的なポイントを挙げておくと、学術的なサイバネティクスの研究と同時に、その文化的な側面、特に未来に関する物語としての「サイバネティクス」を取り上げている点だろう。

 サイバネティクスの神話は未来を予測できるという強力な錯覚を生む。私を信じなさいと神話は言う。未来はこうなるのですと。それは虚構や予測ではない。まだ起きていない事実なのだ。したがって、技術の神話を未来への効果的で持続可能な道筋として維持するには、つねにそれを使って反復する必要がある。神話の約束を何度も繰り返し述べて、それが福音となり、そうであり続けるようにしなければならない。ドイツの哲学者、ハンス・ブルーメンベルクが著書の『神話に基づく変奏』で鋭く見て取った、「神話に基づく変奏」が必要なのだ。(p.14)

この「神話」の力を借りたのは科学者や技術者、人文学者に留まらない。マシンに人格を見出し、あるいは人間をマシンのように捉える見方は、技術開発の範疇を超えて広く影響をもたらした。

SF作家の作品のテーマとなったのはもちろんのこと、自己啓発作家やL・ロン・ハバートのような宗教家も自身のビジョンを説明するためにサイバネティクスの語彙を利用した。ポストモダン思想家やフェミニストは、「人間」と「マシン」、「科学」と「SF」の境界線をぼやけさせるサイバネティクスを、あらゆる二項対立を「脱構築」するものとして好意的に取り上げ、また、サイバネティクスカウンターカルチャーの世界にも根を張った。『ホール・アース・カタログ』で有名なスチュアート・ブランドもサイバネティクスに影響を受け、読者と世界との間でのフィードバック制御を実現するものとして雑誌を創刊したのだという。

Rise (and Fall) of Machines

サイバネティクスの神話は、決してユートピア的な明るい世界のみを語るものではなかった。新たな未来像が描き出され、アイデアが生み出され、技術が想像力へと追い付きそれを上回る(上昇)ものの、予想/約束された未来は到来せず、更に先の未来へと移し替えられ、ある種ディストピア的な世界観が支配的になって(下降)ていく。

既に1950年代にはウィーナー自身も自動化された戦争によるマシンの支配を予想していた。オートメーション化による労働力の過剰と技術的失業も、当時から今に至るまでずっと懸念されていたという。暗号通信が確立し本格的にサイバー化された社会は、サイバー戦争という新たな戦争を生み出した…

現在、大ざっぱに「AI」という旗印のもとにある技術と文化も、既に「サイバネティクスとサイバー」のもとで語られてきたことだと言える。「サイバネティクス」の歴史に留まらず、現在の情報テクノロジーの全体像、技術と文化全体を捉えたいと考える人に本書を薦めたい。