Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

書評:『破綻するアメリカ』(会田弘継)

破綻するアメリカ (岩波現代全書)

破綻するアメリカ (岩波現代全書)

アメリカの左右両派の思想的な混乱状況が描き出されており、読んでいる間、部屋の壁が迫ってくるような圧迫感と混乱を感じる本でした。

著者の会田氏は、共同通信の元ワシントン支局長のジャーナリストで、現在は大学でアメリカの社会思想について研究されている方です。前作『トランプ現象とアメリカ保守思想』は、ドナルド・トランプ氏の大統領当選を受けて急いで出版されたジャーナリスティックな本といった趣きで、トランプ現象の保守思想における歴史的な位置付けを、やや荒削りな状態で提示したものだったように記憶しています。トランプ当選から約1年経過後に出版された本書では、イデオロギーによって市民が分断され、政治的に行き詰まったアメリカの政治と社会情勢が詳細に、より広い視野と歴史的な視座から描き出されています。

-- 

2016年の大統領選挙の選挙運動中に、「デキウス」というラテン語ペンネームを使った、匿名の論説がオンラインで発行されました。そのデキウスは、アメリカ市民は「フライト93」の乗客のようなものだと言います。

 2001年9月11日の同時多発テロ事件の際、ユナイテッド航空93便では、乗客が外部と連絡を取り、既に発生した他のテロの情報を得たため、乗客がテロリストに抵抗を試みました。結果、飛行機は墜落してしまったものの4件目のテロは未然に防がれ、乗員乗客以外の犠牲者を出すことはありませんでした。

 デキウスは、今やアメリカ市民は皆フライト93の乗客であるのだと言います。国家の操縦桿はテロリスト同然のエリートに支配されており、このままであれば確実に衝突を迎えることになる。ならば、我々もフライト93の乗客のように抵抗し、ドナルド・トランプを大統領にするために賭けてみるべきではないか、と言うのです。

-- 

ここには、日本社会についてよく言われるような「閉塞感」や「停滞感」といった生温い感情ではなく、より危急な切迫感を伴った絶望があります。背景には、アメリカ社会の強烈なまでの貧富の格差拡大、中年白人男性の死亡率の上昇などの問題が存在しています。黒人やヒスパニックなど差別を受けている民族集団でも死亡率は低下傾向にあるにもかかわらず、白人男性だけは死亡率が上昇しています。 (原因として医療用鎮痛剤の乱用があると言われています)

 アメリカ社会の混沌とした状況を受けて、トランプ現象を引き起こした左右両派の思想的な混乱状態を描き出そうとしているのですが、状況そのものが混乱しているだけにその描写も込み入っており、情報量も多くなかなか難解です。

本当に乱暴にまとめるなら、もともと王政や封建制の歴史を持たないアメリカでは、保守思想が「守り保つ」べき伝統が何であるかは明確ではなく、「何度も建て増しされた温泉旅館」のように、保守思想も複雑な経緯を辿ってきました。直近の右派主流派であったいわゆる「ネオコン」は、イラク戦争の復興の泥沼化により影響力を失いました。一方、左派はソビエト解体後に共産主義の影響力が衰退し、代わって女性、LGBT、被差別民族などのアイデンティティを強調する「アイデンティティポリティクス」が主流となりました。しかし、アイデンティティポリティクスは、社会をまとめるよりは個人を対立させ、むしろ社会をバラバラに解体する力として働くようになってしまいました。「リベラル」を自認する学生が考え方の異なる大学教授を吊るし上げる描写には絶望感を感じますし、このアイデンティティポリティクスの帰結については左派内部からすら批判があります。

 右派左派ともに混沌とした状況にあって理想を語れず、特に経済情勢の変化による中間層への影響を捉えきれていなかったところ、伏流のように流れていたもう一つの右派=オルト・ライトが政治的に無視できない影響を持つようになった、という流れが描き出されています。オルト・ライトは白人至上主義や排外主義と同一視して語られることも多いですが、決してそれだけで語れるものでもありません。一つ興味深かったのは、オルト・ライトの思想的な背景に、西洋の没落・衰退史観があるという指摘です。

 本書は現状分析と思想史に関する本であるため、「将来どうなっていくのか」「今後どうすれば良いのか」といった予測・提言はありません。しかし、私が感じるのは、以前私が紹介したジョン・マイケル・グリアも予測していた通り、左派の側でも巨大な地殻変動が近づいているという予兆です。そしてその変化は、アメリカ国内政治だけではなく、アメリカの対外政策、そして日本の国際関係にも極めて巨大な影響をもたらすのだろうと思います。