Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:ベルサイユ宮殿の鏡の間の外で (ジョン・マイケル・グリア)

この記事は2016年6月29日に書かれた。ジョン・マイケル・グリアによる2016年ドナルド・トランプ当選予測に関するエッセイはこちら

Outside the Hall of Mirrors

先週のイギリスのEU離脱をめぐる投票の結果、インターネットとマスメディアのさまざまな場所で憤慨した絶叫と大騒ぎが始まった。親EU派の予想外の敗北は、けれども、重要な教訓を提供しており、それはイギリスに住む私の読者のみに限られない。ブレグジット国民投票の裏にある根本的な問題は、現在他の多くの国々でも大きな現実となっており、今年のアメリカ合衆国大統領選挙においても重要な - おそらく決定的な - 役割を果たすことだろう。

もちろんそのような結果となった理由の一部は、残留キャンペーンの非常に印象的なまでの無能さに帰せられなければならない。政治運動の最初のルールは、何かがうまく行かなくなったら、別のことを試してみる時だというものだが、しかし親EU派の誰もこのことを思い付かなかったと見える。キャンペーンの最初から最後まで、親EU派の口から発せられたほぼ唯一の一貫した主張は、イギリスがEUを脱退したら恐しいことが起こるぞという脅しであった。選挙の数週間前には、その結果、"ブレグジット発癌性あり、専門家が警告" といったニセのニュースヘッドラインが、インターネットユーモアの共通の話題になっていた。

それだけでも十分に悪いことだったが - 政治キャンペーンの中心的テーマが笑いものになるのは、何か間違ったことをしているからだ - しかし、それ以外の点でも、親EU派の全員が見逃していたポイントがある。もうすぐ元首相となるデビッド・キャメロンは、イギリスがEUを脱退した場合、国民保険サービスおよびその他の一般イギリス人に利益をもたらすプログラムにおいて厳しい予算削減が行なわれるという主張にキャンペーンの大部分を費した。ここでの問題点は、もちろん、キャメロン政権は既に国民保険サービスおよびその他の一般イギリス人に利益をもたらすプログラムにおいて厳しい予算削減を課してきたということであり、また同じことを更に行なうというあらゆる兆候を示していた - 「ブレグジットをすれば、いずれにせよ我々がしていることを続ける」 という言葉は、どういうわけか、見たところキャメロンが予期していた影響力を発揮できなかったようである。

より一般的には、残留派の支持者は、イギリスがEUに残留し続けるポジティブな理由を、既に自分たちと同じ立場を取っているのではない人々に提示できなかった。その代わりに、彼らは単に「何らかの思考力のある人」であれば残留に投票するもので、それに同意しない人々は外国人嫌いなナチス支持者のバカであると主張した。敗北後の彼らの行動もだいたい同じで、EU脱退に投票した52%のイギリス人はすべてファシストの偏屈者であるという怒りに満ちた声明と、脱退に投票した人も本当に脱退する意図はなかったのかもしれないので、どうか投票をもう一度やり直してくださいという哀れなお願いの間を揺れ動いている。

投票前も投票後も、EU残留派の主張に完全に欠けていたことは、イギリスのEU加盟の継続に関する疑問には、合理的な意見の不一致がある実質的な問題が存在するかもしれないという何らかの感覚である。お前たちの不安は間違っていると言い、異議申し立てに対して子供じみた悪口での中傷をしたとしても、彼らが投票を変えるように説得されないことは明白なはずであった。これが親EU派の人々には明白でなかったということ、そして敗北に直面してさえ明白に理解される兆候がないということは、当の問題は親EU派の人々が絶対に議論してほしくない問題であることを示唆している。

これがまさに起こっていたことであると思う。そして、過去1世紀程度のイギリス政治史を一瞥すれば、叫び声の裏にある語られぬ現実を理解するのに役立つかもしれない。

100年前、イギリス政治界は2つの政党に支配されていた: 保守党 (またはトーリー党) と自由党である。両方とも、富者によって運営された富者のための政党であった。19世紀にわたって、一連の選挙改革法により多数のイギリス男性が選挙へと参加するようになった - イギリス人女性は、2つの段階で選挙に参加した。1918年には30歳以上の裕福な女性が、1929年にはすべての女性が投票を認められた - すぐに両党は、貧しい人々の前に無意味な恩恵をぶら下げて、彼らが言うところの善のために投票させる方法を学習した。

労働党の先駆けとなった独立労働運動 [ILM] の躍進は、このような政治的駆け引きへの見事な反撃であった。裕福な少数派の利益のために誘導されることを許すのではなく、ILMと後の労働党は、労働者と貧者の利害をアジェンダの最上位に置き、富者のテーブルから出たゴミに抱き込まれることを拒否したのである。1945年、その直接的な結果として、自由党は影響力をほぼ失い、労働党はイギリス政治における二大政党のうちの一つとなった。

アメリカと同様イギリスでも、前世紀の最後の四半世紀に振り子は逆側へと動き始めた。1978年の総選挙でのマーガレット・サッチャーの勝利は、アメリカでの1980年のロナルド・レーガンの勝利と同じ役割を果たした。新しい、より攻撃的な保守主義が、階級闘争についての左派のレトリックを取り上げてそれを著しく反転させ、貧者に対する富者の反乱の時代の先駆けとなった。その後、トニー・ブレアの下で労働党は、ビル・クリントンの下での民主党と同じ方法によりそのシフトに対応した: すなわち、どちらの党も労働者と貧困者に対する以前のコミットメントを密かに取り下げ、その代わり裕福なリベラル派へアピールする問題に焦点を合わせたのだ。彼らは、労働者階級と貧困者が、習慣により、また間違った忠誠心により投票を続けることに賭けたのだ - 短期的には、その賭けは報われた。

その結果、両国の政治的環境では、労働者と貧者の犠牲のもとに富者に利益をもたらす政策のみが唯一の議論対象である政策となった。この点は、あまりにも頻繁に、あまりにも多くの空想的な形で歪められてきたため、おそらくここで詳細に説明しておく必要があるだろう。不動産価格の上昇は、たとえば、不動産を所有する者に利益を与える。彼らの資産を増加させるからだ。その一方で、家を借りる必要がある人々には、損を与える。収入のより多くを家賃として支払わなければならないからだ。同様に、障害者向けの社会保障給付の削減は、そのような給付金に頼って生存する人々の犠牲のもとに、税金を支払う人々に利益をもたらす。

同様に、既に何百万人もの人々が恒久的に失業している国へ無制限の移民を奨励する政策、工場の雇用のオフショアリングを推奨し、残された減り続ける仕事に対する競争を強いる政策は、あらゆる人々の犠牲のもとに富者に利益を与えるものであった。他のあらゆるものと同じく、労働にも需要と供給の法則が働く: 労働者の供給を増やし、労働力への需要を減らせば、賃金は低下する。裕福な人々はここから利益を得た。彼らが望むサービスの価格が低下したからだ。しかし、貧しい労働者と失業者は害を受けた。受け取る賃金が減少したが、さもなければまったく仕事を見つけられないからだ。このような直接的なロジックを偽装するために、移民は経済全体に利益をもたらすという主張が標準的に使われてきた。しかし、誰が大部分の利益を得たのか、そして誰がほとんどの費用を支払ったのか? 過去30年以上の間、イギリスでもアメリカでも公的領域にいる人々が誰も議論してほしくないと思っていたのはこれだ。

このような富者の富者による富者のための政府にまつわる問題は、何年も前に、アーノルド・トインビーによる記念碑的な著書『歴史の研究』のなかで妥協なく詳細まで記されている。没落中の社会は、トインビーの指摘によれば、同等ではない2つの部分へと分裂していく: 政治制度とその利益を独占する支配的少数者と、既存の秩序維持のための費用の大部分を支払いながら、その利益へのアクセスを拒否された内的プロレタリアートである。分裂が進んでいくと、支配的少数者は政治の根本的法則を見失う -大衆がリーダーへの忠誠心を持ち続けるのは、ただリーダーが大衆への忠誠心を持ち続けるときのみである- そして、内的プロレタリアートは支配的少数者のリーダーシップのみならず、その価値観と理想をも拒否することで反応する。

結果として生じる[支配者と大衆の] 断絶を表す永続的なシンボルは、ベルサイユ宮殿の有名な鏡の間である、そこではフランス革命直前の最後のフランス王3名が、自身の輝かしい姿を見つめるために、次第に不穏で貧困になっていく国から身を隠した場所である。マリー・アントワネットは、彼女に帰せられた有名なセリフ - 「ケーキを食べればいいじゃない」- とは口にしなかっただろうが、そのような発言が示唆する鏡の間の外側の世界のリアリティについての無知は、フランスが廃墟へと向かい、一般のフランス人男女の多数が名目上のリーダーに背を向け、新たなオプションを探す間に、確実に存在していたであろう。

それが過去数十年にイギリスで起きたことであり、過去数回の選挙はそれを示している。2010年の総選挙では、有権者はそれまで泡沫政党であった自由民主党に群がり、世論調査員と専門家たちを驚かせた。それは変化に対する明白な要求であった。もしも自由民主党が自身の立場を譲らなければ、数年のうちに労働党の代替となりえたかもしれないが、しかし自由民主党は理想を換金し、トーリー党との連立政権を形成した。直接的な結果として、2015年の総選挙では、自由民主党は再び泡沫政党へと追い返された。

けれども、2015年の選挙は更に重要な結果をもたらした。不安なほどに勢力を伸ばした別の泡沫政党、イギリス独立党 (UKIP) を叩くため、トーリー党首相のデイビッド・キャメロンは、もし自党が勝利したら、イギリスはEU脱退を問う国民投票を行なうと公約したのである。世論調査によれば、議会は再び保守党、自由民主党労働党の間で3つに分裂するだろうと予測されていた。世論調査員と専門家たちは再び驚かされた; 労働党ないし自由民主党に投票すると言われていた人々が、投票ブースの中では密かに地元のトーリーに投票を行なったのだ。なぜ? 木曜日の投票が示す通り、まさに彼らはEUに対してノーと言う機会を望んでいたのである。

早回しでブレグジットキャンペーンへと進もう。今日のイギリスの礼儀正しい社会では、既存の人々にすら十分な雇用、住居、社会保障を与えられないほどの過密状態の島へ、更に無制限に移民を許可することで起こる巨大な問題を指摘しようとする試みは、人種差別であるとして無視される。ゆえに、大多数のブリトン人 - その多くは名目上の労働党支持者 - が、パブリックな場では承認されたスローガンを口にするものの、プライベートでは "脱退" に投票したことは何ら驚くべきことではない - そして再び、世論調査員と専門家たちは驚かされた。それが、支配的少数者と内的プロレタリアートの間の分裂による欠陥である; ひとたび、裕福で特権的なサークル外部の人々のニーズへの対処に失敗して、支配的少数者が大衆の忠誠心を失うようになったら、社会の機能に必要な相互信頼を面従腹背が代替してしまう。

EUは、次に、労働者階級と貧困者の間の不満を抱いた有権者たちの完璧なターゲットとなった。なぜならば、EUは完全に、トニー・ブレア後の労働党ビル・クリントンの後の民主党のような、同様の富裕層によるコンセンサスの産物であったからだ。EUの経済政策は、上から下まで、サッチャーレーガンにより力を授けられたネオリベラル的経済学に率いられていた; 無制限の移民と資本移動への確固たる支持は、賃金を低下させ、イギリスのような国々から雇用を取り去ることを意図していた; その補助金は必然的に大企業と裕福な企業のポケットへ収まり、その規制による負担は中小企業と地域経済にとって最も思い負担となる。

これに気付くことは何も難しくはない - 実際のところ、気付かないようにするほうが努力を要する。イギリスメディアの最新のニュースで、ブレグジットの結果を嘆いている人々の話を聞いてみるといい。その話し手が奪われると心配していることは、ほとんどが裕福な者にのみ関係のある多くの特権のリストであることがわかるだろう。ごく少数の変わり者を除いては、EU脱退に賛成した人々は普通、語ることはない。彼らは、苦い経験を通して、お決まりの人種差別などの告発によって叫び倒されるだろうと学習したからである。けれども、もしも彼らが話そう望んだとしたら、あまりに多数の裕福な人々があまりにも明白に軽蔑する一般労働者階級の人々に課せられた大量の負担のリストを耳にできるのではないかと思う。

おそらくここで、もちろん、"脱退" に投票した人のなかには人種差別主義者や外国人嫌いがいるであろうことに注意しなればならない。同様に、"残留" に投票した人のなかには死んだ豚と性交した人々もいるだろう - イギリスの読者は、少なくとも一人の名前を挙げられるだろうと確信している *1 - しかし、それは "残留" に投票した人すべてが死んだ豚と性交したことを意味するわけではない。また、もっと重要なことは、それは死体性愛の性癖が "残留" に投票した唯一のありえる理由であることを証明するものでもない。ヘイトスピーチのよくある定義は、「侮辱的で軽蔑的なステレオタイプを、あるグループのメンバー全員を表現するために使用すること」であるとされる。この定義によれば、"脱退" に投票した人々全員を偏見に満ちたバカであると呼ぶことは、ヘイトスピーチであると言える - そして、通常の場合いち速くヘイトスピーチを非難する人々が、この場合は心の底からヘイトスピーチを楽しんでいる様子を見るのは、皮肉な喜びの源泉である。

けれども、もう少し深く見てみよう。確かに、実際、貧しい労働者階級のブリトン人で外国人移民に強烈な偏見的態度を抱いている人々もかなりの数存在する。なぜか? 大部分の理由は、裕福な人々が、何十年にもわたって、人種的な寛容を、何百万人というイギリス労働者階級の人々を貧困と悲惨のうちに陥れた無制限の移民政策と同義としてきたからである。同様にして、大多数の貧困者と労働者階級のブリトン人は、環境問題をそれほどに考慮することはできなかった。大部分の理由は、環境問題についての議論の論点は、裕福な人々のライフスタイルは決してオープンな議論の対象とならず、また環境保護のコストは社会の階梯を下る一方で、その利益は上に流れるようになっていたからである。トインビーが指摘する通り、社会が支配的少数派と内的プロレタリアートに分裂すると、大衆は、支配者のリーダーシップのみならず、支配者自らが述べる善の価値と理念をも拒否する。かなりの場合において、それらの価値と理念のなかには本当に重要なものも存在するのだが、しかしそれらがあまりにも何度も何度も特権者の政策を正当化するために使われると、大衆はもはや考慮しなくなる。

多数派は問題ではなく、この国は有権者がどう考えようともEUに留まらなければならないと主張するブリトン人は、明らかに先の木曜の選挙の結果が持つ意味を熟考していないようだ。政党への忠誠心は現在とても流動的であり、ブレグジット国民投票に賛成した52%のイギリス人有権者たちは、ほとんど躊躇なく、特権的少数派に対する同等の軽蔑をもって、UKIPを下院多数派としてナイジェル・ファラージダウニング街10番地 [首相官邸] へと送るかもしれない。もしもイギリスのエスタブリッシュメントが、労働者階級と貧困者にUKIPへの投票だけが自身の声を聞かせられる唯一の方法であると思い込ませてしまったら、それが起こるであろう。結局のところ、何も失うものを持たない人々を敵に回すのは、極めて愚かな行いである。

その一方で、非常によく似た反乱がアメリカ合衆国でも進行中であり、ドナルド・トランプがその恩恵を受けている。私が以前の記事で述べた通り、トランプの泡沫候補から共和党指名候補への劇的な進歩は、完全に、先に説明した裕福な人々のコンセンサスに反対の立場に自らを置いていることによって焚き付けられている。あらゆる許容された候補が、過去30年間のネオリベラルな経済政策とネオコンサバティブな政策 - 豊かな人々への贅沢な施し、貧しい人々への懲罰的な厳格さ、国内インフラの悪意ある無視と海外での軍事的対決の偏執狂敵な追求 - を支持していた一方で、トランプはそれらを壊し、専門家と政治家たちがより声高に彼をコキ下すほど、トランプはより多数の州で勝利し支持率は上昇している。

この時点において、トランプは賢明な行動を取っており、好機を待ち、一般投票に備え、時おり観測気球を挙げてヒラリー・クリントンに対する攻撃がどのように受け取られるかを確認している。共和党のライバルを叩きのめしたそのような全面戦争が、9月の初めごろにも開始されるのではないかと予期している。ヒラリー・クリントンは、そのような突撃に立ち向かうために適切な位置取りをしていない。それは、単に第三世界の泥棒政治においても異常なほどド派手であると見なされる規模の腐敗の告発の中で踏み止まっているからというだけではなく、また単に彼女の国務長官としてのキャリアが、そこから彼女が何ら学びを得ていない外交的災害の連鎖のために注目に値するからでもない。ヒラリー・クリントンのほとんどの経済、政治、軍事政策が、ドナルド・トランプの右側に位置しており、ジョージ・W・ブッシュ - ご存知の通り、しばらく前に民主党員が嫌悪すると主張していた男 - とほとんど区別のできない立場を提唱しているからですらない。

ノー、この11月にきわめて高い確率でトランプを勝利せしめる理由は、クリントンが自分自身に現状維持の候補者としての役割を割り当てたことにある。彼女が取ったあらゆる立場は、イギリスと同様にアメリカでも、あらゆる人々を犠牲にして豊かな人々に利益をもたらしてきた政策の継続追求に対応する。彼女の配偶者が大統領であったとき、また両方の党が、どちらがうまく満足した人々を満足させられ、既に苦しんでいる人を苦しめられるかを競争していたときには、それは安全な選択であった。トランプが現代アメリカ政治のルールブックを投げ捨て、30年以上も貧乏くじを引かされてきた人々に対して、実際に生活を向上させうる政策の変化を提供している現在では、それは安全な選択ではない。

ここで当然、それは政治家、専門家、また裕福な人々のコンセンサスについての公式認定された思想家たちが、語りたいと望むことではない。それゆえ、イギリスのEU脱退賛成派であるマジョリティに対して使われたのと同じ陰鬱なレトリックが、トランプ支持者に対しても使われている。「人種差別主義者」、「ファシスト」、「愚か者」。

これらの言葉が現在飛び交っている情熱は過小評価すべきではない。古い友人は、私がクリントンに対する熱意の欠如を口にしたところ、話の途中で電話を切ってしまった; それ以来友人とは話をしていないし、今後も話をするのかも分からない。私が知る他の人々も、今日の一般常識が許容するよりもより微妙な観点から次の選挙を議論しようとしたところ、似たような経験をしたという。アメリカの公的生活で、最も強力で最も言及不能な力 - 階級的偏見 - は、結果として生じる絶叫合戦を蔓延させている。クリントンの側に付くことは、特権者、「善い人々」、鏡の間で自身の姿に見惚れる裕福な人々のサークルと自分自身を同一視することである。トランプについて、安っぽい悪ガキじみた侮辱以外の言葉で語ること、あるいは、トランプの支持者が人種差別や単なる愚かさ以外の懸念によって動機付けられているのかもしれないと示唆することさえもが、下層民たちが集い初めている門の外へ出し抜けに投げ出されることに等しい。

鏡の間を前後にパレードする人々には、門の外には中よりも多くの人がいるなどということは思いも至らないようだ。不都合な視点を叫び倒すこと、また何かを考えることを止めさせるために侮辱の言葉を投げかけることは、既に同じ考えを持っているのではない人々を納得させるための効果的な方法ではないということにも気が付いていないようだ。もしかすると、ブレグジット投票の結果は、アメリカのお喋り階級を昏睡から目覚めさせ、彼らの望む政策によって傷付けられた人々が、ついに、他の政策は考えられないという主張への忍耐を失ったということを気付かされるかもしれない。けれども、私はそれを疑っている。

鏡の間の外では、空は暗く鳥は巣に帰っている。中にはもうロンドンの屋根に落ち着いた鳥もいる。鳥たちの多くはヨーロッパ諸国の首都の上に浮んでおり、それよりも多くがワシントンDCの大理石の円屋根と切妻壁の上を飛び交っている。鳥たちが止まれば、その影響は世界を揺さぶるだろう。

After Progress: Reason and Religion at the End of the Industrial Age (English Edition)

After Progress: Reason and Religion at the End of the Industrial Age (English Edition)

*1:訳注: デイビッド・キャメロンの政敵により、オクスフォード大学在学中、学生団体のイニシエーションとして、死んだ豚の頭部に「身体の一部」を挿入したと暴露された。ただし、確たる根拠がある話ではない。