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渡辺遼遠の雑記帳

書評:しょぼい勤め人が読む『しょぼい起業で生きていく』(えらいてんちょう)

著者のえらいてんちょう (えらてん) 氏は、実は学生の頃からの数年来の友人だ。本書は、えらてん自身のリサイクルショップ、学習塾やイベントバーなどの起業と経営の実体験をもとに「しょぼい起業」の考え方と実践法を綴ったものだ。

しょぼい起業で生きていく

しょぼい起業で生きていく

とは言え、この本は単なる起業のマニュアルとハウツー本ではない。なにせ、冒頭の第一章には「消去法としての起業」や「日本にいるかぎり飢え死にはしない」といった内容が書かれている。起業の方法を説明するよりも前に、就職できなくても、究極的には起業すらしなくても生き延びられるというマインドセットが説かれているのだ。「成功方法」ではなく、「失敗してもOK」というメッセージは、現代社会の固定観念に凝り固まった人には刺さるのではないだろうか。

しかし、本書は心の持ちようとものごとの捉え方の変化のみを説いた本でもなく、実践的な「しょぼい自営業」で"やっていく"ためのノウハウもふんだんに書かれている。店舗と住居を兼用して生活とビジネス両方の固定費を下げること、自分が必要とするものの余剰でビジネスを行なうこと、完璧な計画を立てるのではなく、その時々で儲かりそうなことをすることなど、スモールビジネスを通して「生存」を目指すための方法として極めて実践的だ。

働くモチベーションについて

さて、私自身は、"普通の"企業勤めのサラリーマンとしてそこそこに生きているので、正直に言うと、本書の実際上のノウハウが即座に役に立つというわけでもない。それでも、第四章の「協力者を見つける」という章は、自分の働き方について考える上でも非常に面白いものだった。

中途半端な要約では誤解を受けそうではあるけれども、えらてんが本書の中で (あるいは彼自身の言葉と生き方の中で) 強調している考え方に、「正しいやりがい搾取」、つまり「他人を動かす対価は金銭だけではない」というものがある。ビジネスは金銭のやり取りであるが、実際のところその底には感情の交換が横たわっている。そして、そのような感情の交換は、なにも個人事業主に限ったものではない。

ある程度の規模がある企業であれば、多かれ少なかれ、仕事を部分的に細分化し、それぞれを動かすためのテクノロジーを整備して、また全体をまとめるためのシステムが作られている。そういったシステムの構築は、仕事から属人性を排除して一定水準の成果を保つためには必須である。しかし、そのようなシステムの中で働く人間は、自分がまるで取り替え可能な機械のパーツであるように感じるかもしれない。そこで働いている人は、まるで部品のように「疎外」されていく。そのような職場では、基本的には、命令と報告、金銭的・地位的なインセンティブにより人を動かすことになり、そこで働く人のモチベーションは「言われたことはやるが、それ以外のことはしない」という最低の状態にまで落ち込んでいく場合もある。

しかし、そういった企業の場合であっても、働く人々のモチベーションは報酬や恐怖だけから来ているわけではないだろう。少なくともその一部は、自尊感情と他者へのリスペクトからも生じているのではないだろうか。というよりも、企業内部のコラボレーションのほとんどは、厳密な対価支払いや業績評価がセットになっているわけではなく、感情的なやり取りを通して交換されている。それらの自尊感情や他者へのリスペクトは、他者からの認知と感謝から生じているものなのだ。

私自身を振り返ってみても、働く上でのモチベーションは、報酬や罰から直接生じているのではないように思う。実際は、他部署のプロジェクトで問題が発生した際に、自分の専門知識を頼られて問題解決への協力の依頼を受けたこと、他の専門家から私自身も専門家の一員として認められることが一番嬉しく感じた記憶がある。

とかく「感情労働」や「やりがい搾取」は昨今では評判の悪いものではあるけれど、(単なる雇用ではなく) 私たちが働くということを考えて、それを更に良くしていくためには、人間同士の感情的なやり取りにもっと注意を払う必要があるのだ。

その意味では、本書は「しょぼい起業」を実践することを検討している人だけではなく、何らかの形で働く人すべてに薦めたい。