Going Faraway

渡辺遼遠の雑記帳

翻訳:あなたはなぜトランプに投票したのですか? (ジョン・マイケル・グリア)

この記事は2016年11月16日に書かれた。ジョン・マイケル・グリアによる2016年ドナルド・トランプ当選予測に関するエッセイはこちら

WHEN THE SHOUTING STOPS

しばらくの間、私は先週の選挙でのヒラリー・クリントンの敗北に対する支持者のリアクションを理解しようと試みてきた。最初、私は単にそれを無視していた。ホワイトハウスを失ったときに民主党共和党の両党が毎回行なう素人芝居のまた別の回が始まったのだと。2008年を振り返ると、読者たちのほとんどは確実に覚えているだろうが、バラク・オバマの勝利の後何ヶ月間も共和党員の叫び声が続いた。彼らが主張するには -今日民主党員のかなりの人数が主張している通り- 対立候補の当選は民主主義の失敗を意味し、アメリカ合衆国と世界は破滅を運命づけられており、そして敗北した党の支持者は明日にでも一斉逮捕され強制収容所へ送られるというのだ。

その種の演技性ナンセンスは何十年も続いている。2000年、民主党員はジョージ・W・ブッシュが大統領に当選したとき、荘厳なスタイルで過剰な演技を行った。1992年は、共和党の番だった-私は、まだどこかに選挙後に共和党員の間で流通したパンフレットを持っている。そのパンフレットにはロシア語のお役立ちフレーズも含まれているため、ビル・クリントンが国を投げ出し、その残骸をソビエト連邦に受け渡したときにも、アメリカ市民は少なくとも多少の準備ができるのだ。アメリカ政治と大衆文化とはこのようなものであり、この種の集合的かんしゃく発作はおそらく不可避である。

皮肉の愛好家には更なる楽しみがある。2週間前、どのようにして選挙人団制度を操作するかを熱心に語っていた人々がいるが、同じ人たちは今や選挙人団を激しく非難している; トランプは、ひとたび敗北したら、負けを認めて沈黙すべきだと主張していた人々がいるが、同じ人たちは自分自身のアドバイスに従うことをよしとしていないようだ; 青い州[民主党の強い州]の中でも最も青色の左派的な沿岸都市では、抗議デモを行っている人がいる。まるでデモによっていまいましい結果を変更できるかのように- 以前の記事で私が指摘した通り、実効性のある草の根的な政治組織にバックアップされていない抗議デモは、単にちょっとばかり騒がしい有酸素運動でしかない。

それでも、ここではそれ以上のことが起こっている。私はとても思慮深い人々も知っており、その人たちの選挙結果へのリアクションはまったく演技的ではない。彼らのリアクションは、さまざまな度合いのショック、混乱、恐怖からなる。もしも私が読んだものが典型的であるならば、その人たちは、トランプに投票した人々が意図的に彼ら個人を否定し、脅威を与えようとしているのだと感じたという。それについては議論しなければならないだろう。

ある程度までは、もちろん、これは先週の記事で私が議論した個人の悪魔化という政治文化の反映である。クリントンの支持者は、民主党および主流派メディア内の協力者からの大量のプロパガンダにより、ドナルド・トランプは彼らを破壊せんと渇望する邪悪なモンスターであり、その支持者はあらゆる良きものを憎んでいるに違いないと信じ込んでいる。今や、彼らは自分が想像したオバケの前でおびえており、確実に、それによって彼らが割り当てた役割を演じ、飲み込まれているのだろう。

ここで働いている別のファクターは、アメリカ政治の左側の端にいる人々の、別の場で私が名付けたところの「進歩教」を強く信じる傾向である。歴史は必然的に進歩の方向へ傾いているという信念だ。また、もっと端的に言えば、彼らが好むような特定の進歩へと向かうという信念である。ヒラリー・クリントンは、とある選挙キャンペーンの演説での野次に対する即興反応として、簡潔にその宗教の中心的教義を言葉にした「私たちは後退しません。私たちは前へ進むのです。」クリントン自身と同様、大多数の彼女の支持者たちは自身の大義を進歩の方向へと向かう更なる一歩であると信じており、自分たちが「後退する」ことは深刻な混乱であると捉えている - それらのラベル「前進」や「後退」とは、はなはだしい世論操作的な類いのプロパガンダでないとすれば、まったく恣意的なものでしかないのだが。

とは言うものの、クリントンの支持者の反応をドライブするまた別のファクターもある。そして、それにアプローチするために私が考える最高の方法は、政治シーンの同サイドからの思慮深い反応を考察することではないかと思う。先週ライブジャーナルに投稿された、「フェレット・スタインメッツ」というハンドルネームで投稿された匿名の鋭いエッセイを取り上げよう。そのエッセイのタイトルは「次の20年を生き延びるために必要となる、冷徹な、冷徹な計算*1」である。このエッセイは、前の火曜日に何が起こったのかを理解するところまでかなり近付いているものの、残っているギャップを見れば、左派が他のアメリカ人に対して主張を伝えることに失敗した原因が明白に理解できるだろう。

このエッセイの中心には2つの議論の余地のない論点がある。最初は、民主党のコアとなる支持者は十分に大きくないため、それ自身では誰を大統領とするかを決められないということだ。ところで、それは共和党についても当てはまる。そして、少数の例外を除き、それはあらゆる民主社会で当てはまることだ。十分に大きく影響力を持つ各々の政党は、ほとんどいかなる状況下でも投票を期待できるコアな支持者集団を持ち、また、その上で選挙に勝利するためには、そのベースの外側にいる十分な数の人々にアピールする方法を見出さなければならない。これはアメリカの両党が時間を経るごとに忘れがちなことである。そして、そうなった場合には敗北する。

2つ目の議論の余地のない論点は、もし民主党が今日のアメリカの選挙で勝利したいのならば、左派の価値観と関心を共有しない人々にもリーチする方法を見つけなければならないということだ。それが、フェレット・スタインメッツによる2つ目の論点の枠組みを定めているのだが、しかし、そこに民主党が今回の選挙で必要なタスクの達成に失敗した理由が示されている。「我々は、我々を嫌う人々にもリーチする必要がある。」スタインメッツは言う。そして、彼はそれをどうやって行えばよいのかが分からないと認めるのだ。それら2つの主張を同時に取り上げてみよう。最初に、この選挙でドナルド・トランプに投票した人々は、実際にフェレット・スタインメッツと彼の読者を -あるいは、この場合は、女性、有色人種、性的マイノリティなど- を嫌っているのだろうか? 2つ目に、どうすればスタインメッツと彼の読者は、これら嫌悪に満ちたとされる人々にリーチし、民主党候補に投票させるようにできるのだろうか?

私は、フェレット・スタインメッツがドナルド・トランプに投票した人間を知っているのかは分からない。彼は知らないのではないかと思う-あるいは、少なくとも、私が話を聞いた多くの人々は、密かにトランプに投票したことを認めたものの、友人には絶対にそれを知らせなかったことを考えると、トランプに投票したことを彼が知っている人間を知らないのではないかと思う。ここで、私には確かなアドバンテージがある。中央アパラチア北部のさびれた工場町に住んでいるので、私は少なくない数のトランプを支持した人を知っている; また私は、このブログを通して、また他のさまざまな情報源を通して、とても多くのトランプ支持者の話を聞いてきた。

トランプを支持する大衆の中には、実際に人種差別主義者、性差別主義者、同性愛嫌悪者、などがいるのだろうか? もちろんだ。たとえば、トランプに票を投じた徹底的に偏見的な人種差別主義者を私は何人か知っている。その中には、正真正銘のクー・クラックス・クランのメンバーもいる。左派の人々が忘れがちであると私が思うポイントは、アメリカ内陸部の全員がそんな人たちではないということだ。数年前、実際に、クランの一団が私の住む町にやってきて勧誘集会を開いたことがある。そして、町の教会では -黒人も白人も含めて- 反対集会が開催されたのだ。通りの反対側に立ち、大声で賛美歌を歌ってクランズマンの声をかき消し、白いローブを着たその男達が車に乗り込み走り去るまでそれを続けた。驚きだろうか? まったくそうではない。今日の中部アメリカの大部分で、こういったことはありふれている。

クランを追い出すような町に、直近の選挙でトランプ支持のサインが林立している理由を理解するためには、ステレオタイプを消してシンプルな質問をしなければならない: なぜ人々はトランプに投票したのか。私は科学的な調査を実施したと主張するつもりはない、けれどもこれらは選挙までの数ヶ月と数週間に、私がトランプ投票者との会話で聞いたことである。

1. 戦争のリスク。これは最も一般的なポイントであった、特に女性の間では-私が知るトランプに投票したほぼすべての女性が、実際に、これが決定的なまたは上位2、3位に入る投票理由であると述べた。女性たちは、ヒラリー・クリントンが、重武装の決然たるロシアの軍事的プレゼンスに直面して、シリアに飛行禁止区域を設けると話したことを聞き、また彼女が国務長官時代に示した海外政府の転覆への容赦ない熱意を見た。彼女たちは、これとドナルド・トランプがロシアとのより融和的な関係を提唱していることを比較して、トランプはアメリカ合衆国を戦争に関与させる可能性が低いと判断した。

戦争は、ここアメリカ内陸部では抽象的なものではない。軍隊への加入は、若者が持つほぼ唯一の選択肢である。もしも、真っ当な収入、職業訓練と大学教育の見込みを得たいのであれば。そこで、ほとんどの家庭には、戦地で現役勤務している近親者か近しい友人が少なくとも一人はいる。ここでは人々は軍隊を尊敬しているものの、過去20年間の中東への介入戦争は、中部アメリカにあるいは存在したかもしれない軍事冒険主義の治療に目覚しく良い仕事をしたようである。裕福なフェミニストが、男性の伝統的役割を女性が獲得するという見込みに夢中になり、当の[ヒラリー・クリントンが置き換えようとしていた男性の] 役割が「戦争狂」だということはまったく気にかけていなかった。一方で、アメリカ中部の多数の人々は、家族のメンバーが死体袋に入って帰ってくるという可能性に対する別の問題に重きを置いたのである。クリントンの選挙キャンペーンは、この点においてまさに一切何も保証しなかったため、彼らはトランプに投票したのである。

2. オバマケア災害。これはクリントンの無頓着な軍事主義と同じ程度に影響があった。私の知るトランプに投票した人々のほとんどは、有意義な政府補助金の受給資格を得るには収入が多すぎるものの、馬鹿げたほどに誤った名前の「アフォーダブル・ケア・アクト」[米国の医療保険制度改革。いわゆるオバマケア]の下で終わりなく上昇を続ける保険料を支払えるほどの収入はない。彼らが民主党候補の当選の見込みに際してあまりに明白に思い出したのは、医療保険の価格は低下すると、既存の保険プランと医師は維持できるとオバマが約束したこと、オバマケアが発効される以前にそれを取り巻いていた、その他のあらゆる破られた約束である。

それら約束のほとんどが守られなかっただけでも悪いものであった。真の合意の破綻 ディールブレイカ は、けれども、この11月にアナウンスされた、2倍から3倍の年間保険料の増額であった。未だ新しい保険料を支払う余裕のある人であっても、予告は明白であった: 遅かれ早かれ、何かが変化しない限りは、多くの人々は医療ケアを失うか、あるいは貧困に追いやられるかの間で選択を迫られることになる- そして、このように主張する専門家もいた。保険未加入に対する罰金を、保険のコストと同額に上昇させさえすればすべてはうまくいくだろう、と。そのような状況に直面し、きわめて多くの人々が背を向けて、オバマケアを廃止すると言った候補者に投票したことは何ら驚きではない。

3. 雇用を取り戻すこと。これは多くの左派の人々にとって最も把握が難しい理由であるが、けれどもそれは左派の政策が形成される両岸の飛び地と、中部アメリカの厳しい現実のギャップの目安である。グローバリゼーションと国境の開放は素晴しく聞こえるだろう。一方では、何千万という製造業の雇用を海外に輸出することと、他方では、賃金を低下させるために労働市場を違法移民で溢れ返らせることによる経済的な帰結を受け入れる必要がないのであれば。それら2つの政策は、両党によって支持され、決して存在しない新しい雇用がどこからか生じるという空虚なレトリックの煙幕に包まれていたのだが、アメリカの田舎の小さな町の経済的崩壊を招き、莫大な数のアメリカ人を貧窮と悲惨へと追いやった。

クリントンの選挙キャンペーンは、あらゆる細部に至るまで、たった今述べた空虚なレトリックを繰り返すものでしかなかった。そのため、ここ中部アメリカの人々にとっては、自身の賃金、雇用へのアクセス、コミュニティの生存に対して、これまでと同じ更なる下方圧力が続くと予想させるものでしかなかった。トランプは、逆に、雇用オフショアリングを推奨するうえで大きな役割を担った貿易協定の廃止または再交渉を約束し、賃金を押し下げた膨大な違法移民の暗黙的な奨励政策を終わらせると約束した。経済的な生存の危機にいる多数の人々に、トランプへと投票させるためにはそれで十分だったのだ。

4. 民主党を罰すること。これは若干の例外である。この理由によりトランプに投票した人で私が知っている人は、ほとんどがここで取り上げた通常の人々とは異なる層に属するからだ: 若く、政治的にリベラルであり、民主党全国大会でクリントンを有利にしてバーニー・サンダースを排除するために指名プロセスが歪められたことに怒った人々である。彼らは、民主党の指名キャンペーンが公平に行なわれていたならばサンダースが指名されていただろうと信じており、また、一般投票でサンダースはトランプを打ち負かしただろうとも信じている。参考までに、私は両方とも正しいと考えている。

これら投票者たちが、時として若干熱っぽく指摘するのは、ヒラリー・クリントン上院議員国務長官時代に支持した政策は、ジョージ・W・ブッシュの政策とまったく区別ができないということだ-つまり、民主党が、たった8年前に激しく批判した政策である。彼らの主張によれば、党の寡頭政治により民主党一般党員に指名を強要したにもかかわらず一般投票でクリントンに投票したとすれば、民主党の進歩的派閥が何の意味も持たなくなったという最終的な崩壊を示してしまっただろうという。彼らは、クリントンに指名を与えた欺瞞が忍耐の限度を超えているということを党権力者集団に明白に理解させるために、4年間の共和党政権を進んで受け入れるという。

これらが、人々がなぜドナルド・トランプに投票したのかを私がヒアリングした際に耳にした理由である。メディアが重要だと考える問題については語らなかった-Eメールサーバー問題、断続的に続くFBIの捜査などである。もう一度言っておくと、これは科学的調査ではない、けれども、私が知っているトランプ投票者の誰もこれらの問題に言及しなかったのは興味深いと思う。

更には、女性、有色人種、性的マイノリティなどへの敵意も、トランプに投票した理由として人々はほどんど言及しなかった。私がここで議論している人々の多くは、左派の人々が人種差別主義者、性差別主義者、同性愛嫌悪者などと見なす態度を備えているのだろうか? 疑いがない - けれども、単にそのような態度が存在するという事実は、それらの態度、むしろここで列挙した問題が、投票を促したということを証明するわけではない。

私が政治的スペクトラムの左サイドの人々にこれを指摘すると、通常の反応は、そうだ、イエス、たぶんトランプはアメリカ中部の人々にとって重要な問題を提起したのだろう、しかしそうは言っても、彼らが人種差別主義者、性差別主義者の同性愛嫌悪者に投票したことは完璧に間違っている、と主張するものである。それらのレッテルがどこまで本当にトランプに適用できるのか、そして、どの程度が党派的分断の両サイドの政敵による悪魔化のレトリックによる産物であるのかという疑問は、ここでは脇に置いておこう。これらの非難を真実であると受け入れたとしても、今言及した主張のロジックは、アメリカ中部の人々は彼ら自身の人生に影響を与える問題を無視して、リベラル派が重要であると考える問題について投票するべきであるということだ。

どこかの牧歌的なユートピア世界では、そうかもしれない。現実の世界では、そのようなことは起こらない。アメリカ左派の現状のアジェンダを受け入れることが、数年毎に医療保険価格が倍増し、賃金が降下を続け、コミュニティが経済的崩壊の死のスパイラルで縮小し、中東でのまた別の無益な戦争から子供たちが袋詰めで帰ってくることを意味するのであれば、人々はそれを受け入れないだろう。

ゆえに、フェレット・スタインメッツの2つの困惑した疑問には、両方ともにストレートな回答がある。トランプに投票した人々は、スタインメッツを、彼の読者を、さまざまなグループ -女性、有色人種、性的マイノリティ-など- その関心が今日のアメリカ左派政治の中心である人々を嫌っているのか? 多くの場合において、まったくそうではない。また、他ほとんどの場合にも、政治的にさして重要ではない。単に彼らは、左派が中心的だと考える関心をそれほど考慮しなかったのである - 特に、それらが彼らの人生に対して直接的に影響を与える問題に反対の影響をもたらすのであれあば。

政治シーンにおけるフェレット・スタインメッツの側から、トランプに投票した人々に何を提供できるのかという点について言えば、少なくとも同じくらいシンプルな答えがある: 投票者たちに耳を傾ければ、彼らは教えてくれるだろう。私が彼らの言うことから判断すると、少なくとも彼らは、偏執的に介入主義的ではない外交政策と中東における介入戦争の終わりなき螺旋の終わりを求めている; 彼らは、支払い可能な費用で妥当なベネフィットを提供する医療保険を求めている; 彼らは、アメリカ人の雇用を海外に輸出する貿易協定の終わりと、大企業の利害により賃金と福利を低下させるために違法移民をシステマティックに輸入する移民政策の変更を求めている; そして、彼らは人々の意思を実際に反映する候補者を選択する手段を求めている。

面白いことに、もちろん、これらはかつて民主党が提供していたことだったのだ。そう遠くない昔、実際に、民主党はまさにこれらの問題を提起したのである - 容赦ない軍事冒険主義への反対、アメリカ人労働者階級の生活水準を向上させる政府プログラム、透明で誠実な政策 - 政策論争の場で中心であったというだけではなく、議員が法案を通過させるために戦う議会や、法案に署名する大統領にとってもそうだったのだ。そのような時代には、ところで、民主党はこの国の多数派政党であった。[連邦]議会だけではなく、州政府と州議会においても。民主党がその政策の提供を止めると、多数派の地位を失った。相関は因果関係を証明しないけれども、私が思うにこの場合には決定的な関係があると言えると思う。

より一般的には、もしも左派がトランプに投票した人々に自分たちへ投票させたいのであれば、それらの人々に票を投じるように説得した問題に対して対処しなければならない、ああ、ところで、彼らはただ嫌悪によって突き動かされているのだと声高に主張するのではなく、当の投票者たちが言うことに耳を傾けるようにすることも大きな助けとなるだろう。聞くべきことはたくさんあるかもしれないが、しかしひとたび叫び声が収まれば、それは可能だと思っている。

Dark Age America: Climate Change, Cultural Collapse, and the Hard Future Ahead (English Edition)

Dark Age America: Climate Change, Cultural Collapse, and the Hard Future Ahead (English Edition)

翻訳:ドナルド・トランプと憤怒の政治 (ジョン・マイケル・グリア)

この記事は2016年1月20日に書かれた。本記事の2週間前の記事で、ジョン・マイケル・グリアは2016年の予測としてドナルド・トランプが大統領に当選すると述べた。本記事は、その予測記事に対する反響への補足である。

DONALD TRUMP AND THE POLITICS OF RESENTMENT

2週間前、私が新年に立てた予測のうちで一番大きな困惑と冷笑を引き起こしたのは、来年の1月に聖書に手を置いて立ち、次期合衆国大統領としての宣誓をする可能性が最も高い人物が、ドナルド・トランプであるという提案であったようだ。その予測は、人々をイラ立たせるつもりで、あるいは楽しませるつもりで立てたものではない; あるいは、それは世論調査でのトランプ支持率上昇に対する単純なリアクションでもなければ、共和党のどうでもいいライバルたちのトランプを減速させる試みが、散々に失敗したことに対するリアクションでもない。

ドナルド・トランプの台頭は、むしろ、私がこれらのエッセイで既に何度も議論してきたターニングポイントの到来を示すものである。未来の舞台におけるその差し迫った姿をここで説明してきた他のターニングポイントと同じく、それは世界の終わりではない; そのため、もしトランプが当選したらアメリカを去るという民主党員の主張を聞くと、もしオバマが再選されたらアメリカを去ると主張していながら今でもアメリカに居る共和党員たちを思い出し、私は愉快な気分を覚える。それでも、この二者の間にはいくらかの重要性の差異が存在する。なぜならば、アメリカ合衆国の歴史的な軌道という観点からは、トランプはバラク・オバマよりもはるかに意義深い人物であるからだ。

2008年の選挙キャンペーンを取り巻いていたホープとチェンジという空疎なレトリックにもかかわらず、結局のところ、オバマは前任者ジョージ・W・ブッシュの政策を容赦なく継続したため、それらの政策 -21世紀初頭のアメリカ政治の一般常識 [conventional wisdom] あるいは、一般非常識 [conventional folly]- は、ダビーオバマ・コンセンサスとでも呼びうるだろう。トランプの立候補は、そしてある程度は民主党のトランプのライバル、バーニー・サンダースも同様であるが、それら政策への反発が巨大な政治的現実と化したことを示している。この反発が、多くの左派の人々が望んだ形を取らなかったのは、まったく驚きではない; そんなことは決して起こらなかっただろう。なぜならば、このような反発を不可避のものにしたダビーオバマ・コンセンサスへの反対は、左派の目標ではないからだ。

その後何が続いたかを理解するために、読者諸君にお願いする必要がある -特に、自分をリベラル派だと考えている人たち、あるいは、今日の複雑なアメリカ政治シーンのなかで、自分は中心よりも左側のどこかに位置していると考えている人たちに。しかしそれに限らないのだが- 2つの一般的なクセを一度棚上げしてほしい。最初は、今日のアメリカで有意義な政治的思考の欠如を埋め合わせるためにしばしば使われる、あざけりの言葉の反射的な利用である-もう一度言っておくと、左派に顕著であるが、しかしそれだけではない。ドナルド・トランプの選挙キャンペーンに対して繰り返し投げつけられる殺伐とした侮辱は、この好例である: 「腐ったチートウ[スナック菓子]」、「トマト頭の愚か者」、「妄想チーズ生物」などなど。

これらほとんどの侮辱の目標は、トランプの身体的外見を狙った単なるひねくれた男子生徒めいた悪口でないのならば、彼が愚かであると主張するものである。これはまったく驚きではない。アメリカ文化の左側に位置する多数の人々は、自分に賛同しない人々に愚かさを割り当てるために、このような無意味な言葉を使うことを好むからだ。ゆえに、たぶんここで指摘しておく必要があるだろうが、トランプはまったく愚かではない。彼はとんでもなく賢く、その賢明さを示す指標の1つとしては、たくさんの敵対者を引きつけて、自身の選挙キャンペーンにとって最も重要である有権者へのアピールを強めるような行動を取らせていることである。自分が後者のカテゴリに属しているのかどうか分からない場合、読者諸君、もしもあなたがトランプの髪型をチーズウィズと比較するツイートの投稿を好むのであれば、ノー、あなたはトランプがアピールしたい有権者ではない。

だから、これがトランプ現象を理解するために止めなければならないことの1つ目である。2つ目は、私の読者の多数にとってさらに困難だろう; アメリカ社会で問題となる分断は、何らかの生物学的な基礎を持つものだけであるという考え方である。肌の色、性別、民族性、性的指向、障害など。-これらは、アメリカ人が好んで語る社会の分断線であり、それは分断線のどちらか一方に属する人々に対する態度がどうであれ変わらない。(ところで、上記の4個の単語、「何らかの生物学的な基礎 [some basis in biology]」には注意してほしい。私は、これらが本質的に純粋な生物学的カテゴリであると主張しているわけではない; これらすべては実際のところ膨大な文化的構築物と偏見により定義されるものであり、生物学へのリンクは、定義というよりはむしろ直示的カテゴリに対するマーカーである。私がこの注釈を挟んだのは、あまりに多くの人がここで私が説明しようとしているポイントを誤解していることに気付いたからだ。)

ここで名前を挙げた分断線は重要であるのだろうか? もちろんその通り。今日のアメリカの生活では、これらの要素に基づいた差別的扱いが広く蔓延している。それでも、アメリカ社会には生物学的なアンカーを欠いた異なる分断線も存在するという事実、そしてその中には少なくとも上記の分断線と同じくらい蔓延しているものも存在するという事実は残っている-また、その中で最も重要なものはタブーの話題であり、今日アメリカのほとんどの人々が語りたがらないテーマである。

これが関連のある事例である。今日のアメリカ人の経済的・社会的な将来の見通しの大部分は、非常に簡単な質問をするだけで判断できる: 収入の大部分をどうやって得ているのですか? 広く言えば、 -すぐ後で説明する通り例外があるものの- 収入源は、4つのうちのいずれか1つである: 投資の利得、月ごとの給与[salary]、時間ごとの賃金[wage]、または政府の福祉支給である。これら4つのうちの1つから大部分の収入を得ている人々は、共通の大きな利害を持っている。そこで、アメリカ人を投資階級、給与階級、賃金階級、福祉階級に区分して話すことには意味がある。

ここで明確に指摘しておかなければならないだろうが、これら4つの階級はアメリカ人が好んで語る分断と一致するものではないということだ。つまり、福祉階級には薄い色の肌の人が多数存在し、賃金階級にも濃い肌の人が多数存在する。2つの富裕階級では白人が増える傾向にあるものの、それでも有色人種の人々も存在している。同様に、女性、同性愛者、障害者なども4つの階級すべてに発見でき、その人たちがどう扱われるかは、これら階級のどこに属しているかに大きく依存する。たとえば、もしも読者が障害者であるならば、障害に対処する有意義な支援を受けられる可能性は、時給労働をしている場合よりも、給与を受け取っている場合のほうが、概してかなり大きくなる。

上記の通り、これらの階級に分類されない人々も存在する。私がそうだ; 作家として、私は収入の大部分を書籍の売り上げに対するロイヤリティから得ている。つまり、あらゆる販売チャンネルで流通する私の書籍が売れるたびに約1ドルが得られ、それは年に2度私に送付される。ただし、Amazonで売れた場合にはそれよりもかなり少ない-Amazonの大きな値引きは、あなたのお気に入りの作家のポケットから直接的に奪われたものなのだ。このようにして生計を立てている人はとても少ないので、ロイヤリティ小階級はアメリカ社会で重要な要素ではない。今日アメリカで生計を立てる他の方法についても、それは同様に当てはまる。かつて大きな利益を上げていた階級、自分自身が所有するビジネスの利益から収入を得る人々[自営業者]も、今日ではあまりに縮小してしまったため、集合的な存在感を欠いている。

これらの4つの主要階級について議論できることは莫大な量になるだろう。しかし、私は政治的な側面に注目したい。なぜならば、現在進行中の2016年大統領選挙キャンペーンで、圧倒的なまでの関連性を持っているからだ。4つの階級を極めて単純な質問で特定できるのと同じく、先に言及した反発をドライブする政治的爆弾は、また別の単純な質問によって確認できる。過去半世紀程度の間、4つの階級の暮らし向きはどう変化したのか?

答えは、もちろん、4つのうちの3つはほぼ同じ場所に留まってきたということだ。投資階級にとっては、実際には少しだけ厳しい時代だった。かつて安定した収入をもたらしてきた投資手段-預金証書、政府債券など-の利益率が落ち込んでいるからだ。それでも、代替の投資手段と政府による株式市場価格への狂った介入により、ほとんどの投資階級の人々は慣れ親しんだライフスタイルを維持できた。

給与階級は、同様に、半世紀間蓄積された変化を通して親しんだ特権と能力を維持し続けた。現在投機バブルに捉えられている少数の沿岸都市エリアの外では、月給から収入の大部分を得る人々は、概して家を所有し、数年毎に車を買い替え、毎年の休暇には旅行をするなどの余裕がある。スペクトラムの逆の末端、福祉階級は、ほとんど以前と同じような窮地が続いている。変わりばえのしない過酷な貧困という厳しい現実への対処、非効率的な政府官僚機構、国家生活への完全な参画を妨げる膨大な直接的・間接的障壁。ちょうど、1966年における同等の人々の状況と同じである。

それでは、賃金階級は? 過去半世紀以上、賃金階級は破壊されてきた。

1966年、時給制でフルタイムの労働をする1人の働き手が居るアメリカ人家族は、家、車、1日3回の食事、その他の普通の生活必需品を所有でき、その余りを時々の贅沢品に使用できた。2016年、時給制でフルタイムの労働をする1人の働き手がいるアメリカ人家族は、路上生活を余儀なくされている可能性が高い。そして、現在の条件以下でも喜んでフルタイムで働くであろう多数の人々が、まったく職を見つけられないか、あるいはパートタイムや一時雇用しか得られていない。アメリカ賃金階級の貧困化と悲惨化は、我らの時代の最も巨大な政治的現実である-またそれは、最も言及されることのないものでもある。それについて話そうとする人、あるいはそれが発生していることさえ認める人はごく少ない。

賃金階級の破壊は、大部分がアメリカ経済生活の2つの大きな転換によって達成された。最初は、アメリカの工業経済の融解と第三世界搾取工場 スウェットショップ によるその代替である; 2番目は、第三世界諸国からの大量の移民である。これら2つのどちらとも、賃金を低下させるための手法であった-注意してほしい。給与、投資利得や福祉支給ではない-賃金が支払われる仕事の数を経らすこと、その一方で、それらの仕事へ競争する人の数を増加させることである。両方とも、逆に、政府の政策によって強く推奨されたのだ。また、議会のどちらか片方からの大量の空疎なレトリックにもかかわらず、[共和党民主党の]双方は、実際的な目標のために手を取り合い、政治的エスタブリッシュメントから超党派の支持を受けたのである。

最後のポイントについては少しだけ話しておく必要があるかもしれない。両党は、アメリカ人労働者とその家族に対してときどきワニの涙[ウソ泣き]を流して見せるけれども、徹底的に雇用のオフショアリングを支持した。移民は、これよりも少しだけ複雑な問題だ; 民主党は移民を支持し、共和党はいつも反対しているものの、実際上それが意味することは、合法的な移民を困難にして違法移民を容易にすることである。その結果は、何らの経済的・政治的権利も持たない膨大な非市民の労働力の創造である。賃金を低下させ、労働条件を低下させ、それら賃金労働者たちを雇用する者の利益を上げるために使用しうる-そして実際に何度も何度も使用されてきた-人々である。

次の点はここで議論する必要があるだろう-そして、私の読者の大部分は困惑するかもしれない。つまり、誰がアメリカ人賃金階級の破壊から利益を得たのかである。アメリカの保守派と見なされる人々は、あらゆる人が今示した変化から利益を得たのであり、そうでない人たちは自分自身の責任であると主張することを好んできた。同様に、アメリカのリベラル派と見なされる人々の間で人気のある主張は、それらの変化から利益を得たのは上位1%に属する悪辣な超資本家であるというものだ。これら2つともごまかしである。なぜならば、賃金階級の破壊は、先に私が示した4つの階級のうちの1つに不釣り合いなほどの利益を与えたからだ: すなわち、給与階級である。

これがその理由だ。1970年代以来、上述の給与階級のライフスタイル -郊外の持ち家、数年毎の新車、マサトラン [メキシコの観光地] での休暇、など- は、時代錯誤 アナクロニズム と化した: ジェームズ・ハワード・クンスラーの有用なフレーズを使えば、未来なきアレンジメントである。それは完全に、第二次世界大戦の勃発によって発生したアメリカ合衆国によるグローバル経済支配の産物であった。当時、地球上の他のあらゆる主要工業諸国は、敵対国の爆撃機に工場を破壊しつくされ、ペンシルヴェニア、テキサスとカリフォルニアの油田は、地球上の他のすべての国の合計よりも多くの石油を算出していた。アメリカによる世界支配は、けれども、急速に過ぎ去ってしまった。当時、1970年代にアメリカの在来型石油生産はピークを迎え、ヨーロッパとアジアの工場はアメリカの工業的ハートランドを打ち負かした。

そのような変革の歯のなかで、給与階級のライフスタイルを維持するための唯一の方法は、給与階級の平均的購買力に比例させて商品およびサービス価格を強制的に低下させることであった。給与階級は、その規模に対して不均衡に大きい経済的・政治的影響力を行使した (そして、今でも行使し続けている)ため、これが1970年代の規範となった。そしてそれは今日までアメリカの公的生活における政治的コンセンサスとして留まり続けている。賃金階級の破壊は、そのプロジェクトの1つの帰結でしかない-アメリカにおけるあらゆる種類の製品の劇的な品質低下、国家的インフラの卸売などは、そのプロジェクトによるまた別の結果である。しかし、それが今日の政治という観点から関係のある帰結である。

注目に値するのは、同様に、賃金階級に対して給与階級から提示されるあらゆる救済策は、実際には賃金階級の犠牲のもとに給与階級に利益を与えるものであったということだ。過去数十年間、賃金が支払われる仕事の消滅により職を失なった人は、大学に通い職業訓練を受ければ再び繁栄のパレードに参加できると大声で主張されていたことを考えてみてほしい。学生ローンにサインして大学の講義を受け-職業訓練を受けた人々にとって、それは大してうまく行かなかった。結局のところ、存在しない仕事への訓練を受けたとしても大して役に立つわけではない。そして、あまりに多数の元賃金労働者は、大学教育を修了した後でも以前より職業上の見込みが向上したわけではなく、引き換えに何万ドルもの学生ローンの負債を負わされたのだ。彼らにローンと講義を押し付けた銀行と大学にとっては、けれども、これらプログラムは莫大な額の金のなる木 キャッシュカウ だった。そして、銀行と大学で働いている人は、ほとんどが給与階級だったのだ。

賃金階級の経済的希望を破壊し、彼らに劣等な未来を割り当てた変化に対して何らかの実効性ある異議申し立てを行なう試みは、これまでのところほとんどなされていない。ある意味では、宗教的・道徳的な基盤のもとで賃金階級の有権者共和党候補を支持するよう仕向けさせる、共和党による継続的な努力の目的はこれだ。それは左側の末端で民主党が採用してきた策略の鏡像である-確かに、民主党はあなたにとって最も重要な問題に取り組んでくれないかもしれない。けれども、あなたは共和党員ではないので、一番感情を害されない政党に投票する。そうではないだろうか? よろしい。もしもあなたが、あなたにとって最も重要な関心事にまったく対処されないことを確実にしたいのならば。

けれども、更なる障害が存在する。それは、賃金階級にとって本当に重要な問題を提起する試みに対する、給与階級の広い範囲 -左、中道、右、どんな名前であれ- からの反発である。稀な場合にこれがパブリックな空間で発生した時には、賃金階級の代弁者はコキ下ろされる。私がこの記事の最初に議論したような大盛りのあざけりによって。同様のことがプライベートで起きた場合は、異なるスケールで同じことが起きる。もしも疑うのであれば -読者はおそらく疑っているだろう、もしもあなたが給与階級に属しているのなら- 以下の実験を試してほしい: あなたの給与階級の友人たちを何かしら気楽な状況に置いて、一般的なアメリカ人労働者についての話をさせてみるのである。そこであなたが耳にすることは、粗野で、戯画的な一面的ステレオタイプから、正真正銘のヘイトスピーチまでの範囲に及ぶだろう。賃金階級の人々はこれに気付いている; 彼らはすべてを聞いているのだ; 彼らは馬鹿で、無知だなどと呼ばれている。

そこで、読者諸君、ドナルド・トランプの登場である。

トランプは聡明である。これにはいささかの皮肉も込めているつもりはない。トランプは、賃金階級を自身の旗印のもとに結集させる最も効果的な方法は、給与階級からの通常通りの鋭いあざけりによって自分自身を攻撃させることであると気付いたのだ。あなたは本当に思うだろうか? - 数億ドルを持つ男が、給与階級から受け入れられるような髪型をする余裕が無いなどと。もちろん、彼にはそれが可能だ; 彼は意図的に異なる方法を選択しているのだ。なぜならば、メディアの特権的なコメディアンの誰かが、あるいはインターネットの荒らしが、トランプが給与階級の好みを満たせないことを直接的に侮辱するたびに、別の数万人もの賃金階級の有権者たちは、自分が経験した給与階級からの終わりなき侮辱を思い出して、こう考えるのだ。「トランプは私たちの一員だ。」

トランプが、許容される政治的言説に関する現行のルールに意図的に違反していることも、同一のロジックが支配している。トランプが何かを口にして専門家を極度の混乱に陥れさせるたびに、また、今度こそ彼はやりすぎで選挙キャンペーンは必ずや無様に崩壊するだろうとメディアが自分自身と視聴者を信じ込ませようとするたびに、トランプの支持率が上昇していくことに気がついただろうか? トランプが話していることは、労働者向けの居酒屋やボウリング場で、違法移民やムスリムのジハード戦士テロリストが議論に登るときに話されていることとまったく同じなのである。メディアの金切り声は、トランプのアピール対象である賃金階級の有権者たちの心の中では、トランプは彼らの仲間であるということ、スーツの人間に見下された賢明な考えを抱く普通のアメリカ人だということを確証するものでしかない。

また、トランプが発する専門家にとって受け入れ難いコメントが、レーザーのごとき正確さで移民問題に焦点を当てていることにも気がついただろうか。それは入念に選定されたスタート地点なのである。というのは、違法移民の削減は、共和党がしばらくの間支持すると主張していたことであるからだ。トランプがリードを広げるにつれて、今度は、方程式の逆側についての話も始めている。雇用のオフショアリングである。海外のアップルのスウェットショップに対する最近のトランプの攻撃がこれを示している。トランプのジャブに対する主流派メディアの反応は、この事例を証明する好例である: 「もしもスマートフォンアメリカで製造されていたら、我々はスマートフォンにより多く支払わなければならないだろう!」というものだ。そして、もちろんこれは正しい: もしも賃金階級が家族を養えるだけの真っ当な仕事を得るのならば、給与階級は自分のオモチャにもっと多く支払わなければならない。これは給与階級の多くの人々にとっては考えられないことである -自分たちが使うエレクトロニクス製品が、海外にある地獄の穴の底で飢餓的賃金で製造されていることに対して、給与階級の人々は完全に満足している、それによって価格が低下する限りは- それが、トランプが極めて効率的に活用している煮えたぎった憤怒の釜を理解する一助になるかもしれない。

トランプが、人々の憤怒に乗って一直線にホワイトハウスへと至るのかはまったく定かではない。けれども、現時点ではそれが一番可能性の高そうな結果だと思える。とはいえ、彼が敗北したとしても、それが政治的エスタブリッシュメントがあらゆる批判を投げかける中で彼をフロントランナーの地位へ引き上げた現象の終焉を意味するなどと考えるほど、読者諸君がナイーブだとは信じていない。私は、トランプの立候補をアメリカの政治生活における大きな分水嶺と捉えている。賃金階級 - アメリ有権者の最大階級であることを忘れないでほしい- が自分自身の力のポテンシャルに目覚め始め、給与階級の上昇に対し反発を始めた地点である。

トランプが勝とうが負けようが、その反発は今後数十年間のアメリカ政治を定義する力となるだろう。それでも、トランプの立候補は、ありえないほどの最悪の形だというわけでもない。もしもトランプが敗北したとすると、特に、明白に不誠実な手段によって負かされたならば、賃金階級の大義を継承する次のリーダーが好むものは、軍隊の腕章、さらに言えば、路肩爆弾である可能性がとても高い。ひとたび憤怒の政治が開始されたならば、いかなることでも起こりうる。とりわけそれが当てはまるのは、おそらく言っておかなければならないだろうが、当の怒りがそれを向けられた人々の行動によって十分に正当化される場合である。

2016年米大統領選挙 ジョン・マイケル・グリアのトランプ当選予測エッセイ集

既にこのブログで何度も取り上げているジョン・マイケル・グリアですが、彼は2016年1月の時点でドナルド・トランプの大統領当選を正確に予想していました。それもただの思い付きや当てずっぽうではなく、アメリカの田舎町で自身が見聞きしたことをベースとして、その上に歴史の知識と歴史の勃興サイクルについての深い洞察を加え、アメリカ政治の (そして、民主国家の) 現在と未来を極めて説得力高く描き出していました。

そこで、グリアの2016年の時事評論のなかでも特に興味深いものをピックアップしてみました。日付は、特に明記していなければすべて2016年ものです。またグリアの旧ブログ『The Archdruid Report』は既に閉鎖されているため、有志のミラーサイトにリンクしています。

Down the Ratholes of the Future (1月6日)

新年の企画として、毎年グリアは昨年の予測振り返りと当年の予測を行っている。この記事でドナルド・トランプの当選の可能性について初めて言及した。

一方で、アメリカ人の生活の政治的コンテキストは、爆発へと向けて定常的に加熱されている。私がこれを書いているとき、重武装民兵集団がオレゴン州南東の砂漠にある連邦の野生動物保護区の建物を占拠し、膠着状態を起こそうと試みている。このようなスタントが道化じみたものであることは疑いがないが、ジョン・ブラウンといった暴力的奴隷廃止論者の行動も、同時代にはそれと同じくらい無意味なものだと見なされていたことを忘れてはいけない; 彼らが重要であるのは、純粋に、内戦へ向かう圧力の高まりの目安としてである-そして、それこそがまさに私がたった今説明したイベントから読み取ったことである。

つまりは、私はいかなる規模の武装蜂起であれ、今年の合衆国で発生するとは予期していない。田舎と都市部でのゲリラ戦闘の時代、路肩爆弾、強制収容所、あらゆる側からのおぞましい人権侵害、そしてあらゆる方向へと逃げる何百万人もの難民、などがアメリカ合衆国で発生するまでには、まだしばらくの時間がある。それには一つの決定的な理由がある: 近い将来において武装蜂起する可能性が最も高い人々のほとんどは、最後の挑戦として政治プロセスに賭けると決断したからだ。そして、彼らにそれを仕向けたのは、ドナルド・トランプの立候補である。

トランプの、フロントランナーの立場への驚くべき進歩の重要性は、あまりに巨大で複雑であるため近い将来にこのブログで独立の記事を書くつもりだ。今のところ、関連のあるポイントは、名目上の共和党員は、党の公式認定候補者によって宣伝され平常運転にあまりにも疲れているため、彼らはダビーオバマ時代とでも呼びうる超党派のコンセンサスを壊すためであれば、ほぼ誰にでも進んで投票するだろうから: ダビーオバマコンセンサスとは、アメリカ人の膨大なマジョリティを悲惨へと追いやり、しかし特権的なマイノリティに利益を与え続けているコンセンサスである- 延々と批判されている1%ではなく、アメリカ人の収入上位20%程度のマイノリティである。

ヒラリー・クリントンは、20%の有権者の候補者である。過去20年かそこらの間ずっと続いていたものごとを、今後も継続したいと願う者たちの選択肢である。より正確には、彼女は平常運転の ビジネス・アズ・ユージュアル軍団の左翼の候補者の1人である。というのは、民主党へ投票する上位20%の半数は彼女のまわりへと集い、競争を行なわせないために最大限の努力をしたからであり、一方で共和党へ投票する半数は、ジェブ・ブッシュあるいはそれ以外の凡庸で代替可能なライバルのもとへ集うことに失敗したため、下位80%の人間が独自の選択をした際に妨害を受けたからである。未だバーニー・サンダースが困難をくぐり抜けて逆転する可能性はある、もしも彼がこの先の初期の予備選挙のいくつかでクリントンを完全に打ち負かし、民主党の下位80%が自身の声を聴かせられたら。けれども、それは途方もない挑戦である。現時点においてそれよりも可能性が高そうなのは、ヒラリー・クリントンドナルド・トランプである。そして、サンダースであればトランプを負かせられるかもしれないが、クリントンではほぼ確実に不可能である。

長く、鈍重で、派手に腐敗した選挙プロセスをアメリカが進むにつれて、確実にたくさんの転換点が存在するだろう。共和党が何らかの方法によりトランプを指名から締め出すことはありうる。そのような場合には、誰が共和党候補となったとしても、共和党支持者の下位80%は家に留まるために地滑り的な敗北を喫するだろう。多くの選挙不正が行なわれた場合、-選挙不正が純粋に共和党の習慣であると考える人は、シーモア・ハーシュの『The Dark Side of Camelot』を読むべきだ。そこでは、1960年の大統領選挙で、ジョー・ケネディが彼の息子[ジョン・F・ケネディ]のために買収を行なったことが詳細に記されている-クリントンが勝ち進み、ホワイトハウスに入る可能性もある。サンダースが、民主党エスタブリッシュメントによって上げられた防壁をよじ登り、選挙戦に勝つ可能性さえある。

現時点においては、しかし、これについて私が言いたいことよりは少ないものの、2016年の選挙の結果として最も可能性が高いのは、2017年1月にドナルド・トランプが大統領として任命されることであると思う。これがスペシフィックな予測の3番目である。

Donald Trump and the Politics of Resentment (1月20日) 
ドナルド・トランプと憤怒の政治

トランプの躍進に関する、最初のまとまった記事。アメリカの労働者階級の苦境と、それを効果的に活用したトランプの戦略。

The End of Ordinary Politics (4月6日)
ふつうの政治の終わり
Where On The Titanic Would You Like Your Deck Chair, Ma’am? (4月27日)
タイタニック号の上のどのデッキチェアをお好みで?ご夫人。
A Few Notes on Burkean Conservatism (5月11日)
バーク保守主義についてのいくつかの覚書
Outside the Hall of Mirrors (6月29日)
鏡の間の外で

Brexitに関する評論

Scientific Education as a Cause of Political Stupidity (7月13日)
政治的愚かさの原因としての科学教育

エンジニアの思考が政治について誤った判断を下すことについての解説

The Coming of the Postliberal Era (9月28日)
ポストリベラル時代の到来
Reflections on a Democracy in Crisis (11月9日)
危機における民主主義についての省察

11/8 の大統領選挙直後に書かれた記事。政敵を悪魔化するレトリックについて。

When The Shouting Stops (11月16日)
叫び声が止むとき

「なぜ彼らはトランプに投票したのか?」 その答えをトランプに投票した人に聞いてみる。

The Kek Wars (2018年7月)
ケク戦争

番外編。トランプを大統領の座へと押し上げた、アメリカの2ちゃんねるに集った混沌の魔術師たちの話。

書評: AIレジェンド大盛りインタビュー集 『The Architects of Intelligence』 (マーティン・フォード)

AI (人工知能) 研究に大きな貢献をなし、現在も最先端を走り続けている伝説的な研究者・技術者たちへのインタビューをまとめた書籍で、人工知能の過去と未来を考えるための必読書であると思う。

Architects of Intelligence: The truth about AI from the people building it

Architects of Intelligence: The truth about AI from the people building it


著者マーティン・フォードは、シリコンバレーでソフトウェア会社を起業した経営者だ。最近ではフューチャリストとして、情報技術の未来と、その社会への影響に関して活発な執筆活動を行なっている。訳書に『ロボットの脅威 人の仕事がなくなる日 (日経ビジネス人文庫)』があり、こちらの本では空疎で無根拠な未来予測を避けながら、未来のAIと労働・技術的失業について地に足のついた考察を行なっていた。

本書『知能の建築家たち』は、2018年11月に出版された本で、人工知能研究の現状と未来について総勢23名の研究者・技術者、起業家たち、そして思想家や政策立案者なども含む多種多様な専門家と1対1で行なった対談をまとめたものだ。(元になったインタビュー自体は、2018年2月から10月にかけて行なわれたものだという)

インタビュー対象者の名前と主要な業績を簡潔にまとめておく。

名前 業績
デミス・ハサビス 認知神経科学者、DeepMind創業者
レイ・カーツワイル 起業家、Google 技術ディレクター、シンギュラリティの伝道師
ジェフリー・ヒントン トロント大学教授、ディープラーニング研究者、現在のディープラーニングブームの立役者の一人
ロドニー・ブルックス MIT人工知能研究所所長、iRobot社の共同創業者
ヤン・ルカン Facebook人工知能研究所所長、ヒントンの教え子
フェイフェイ・リー Googleチーフデータサイエンティスト、スタンフォード大学教授、ImageNetプロジェクトに参与
ヨシュア・ベンジオ モントリオール大学教授、ディープラーニングブームの立役者の一人
アンドリュー・ング Google Brain 創設者、Baidu チーフサイエンティスト、オンライン教育企業 Coursera の共同創業者
ダフニ・コラー スタンフォード大学教授、オンライン教育企業 Coursera の共同創業者
スチュワート・ラッセ カリフォルニア大学バークレー人工知能システム研究所(CIS)所長
ニック・ボストロム オクスフォード大学教授、哲学者、超知能に関する思弁的な考察
バーバラ・グロッツ ハーバード大学教授、米国人工知能学会の初の女性会長
デヴィッド・フェルッチ IBMディレクター、ワトソンプロジェクトリーダー
ジェイムズ・マニカ マッキンゼー・グローバル・インスティチュート(MGI)ディレクター、オバマ政権の科学技術政策の諮問委員
ジュディア・パール ベイジアンネットワーク、統計的因果推論の研究、チューリング賞受賞者
ジョシュア・タネンバウム MIT教授、認知神経科学
ラナ・エル・カリオビー MIT教授、Affectiva社CEO、顔認識・感情認識アプリケーションデバイスの開発
ダニエラ・ルス MIT教授、人工知能研究所所長
ジェフ・ディーン Google Brainディレクター、分散システム、Google翻訳 (ニューラル翻訳) の開発など業績多数
シンシア・ブリジー ソーシャルロボットJibo社の創業者、ブルックスの教え子
オーレン・エツィオーニ アレン人工知能研究所CEO
ゲイリー・マーカス ニューヨーク大学教授、認知神経科学者、ディープラーニングのハイプ批判で知られる
ライアン・ジョンソン 起業家、Kernel社創業者、人工神経、ブレイン・コンピュータ・インターフェイス (BCI) デバイスの開発


AI関連のニュースを追っている人は、上記のリストだけですごい本だということが分かるだろう。 第三次人工知能ブームのきっかけとなったディープラーニングに多大な貢献をした第一人者たちが勢揃いしている一方で、記号処理的AI、確率的アプローチやロボティクスなどの異なる手法を提唱する研究者、また現在の過剰なAIブームの盛り上りに対して苦言を呈する人々も対象に含まれる。

インタビューで、著者はそれぞれの研究者がどんなキャリアを辿ってきたかを聞き出し、それを人工知能研究の歴史的文脈のなかに位置付けている。また、話題は過去の業績だけに留まらず、現状のAIの可能性と課題、AGIの実現方法や実現時期についての予測、更にはAI技術の社会に対するインパクトやベーシックインカムの必要性にまで及ぶ。

ほとんどの研究者は、今後のAIの進歩および社会への影響については楽観的だ。けれども、その進歩のペース、今後の研究の方向性、あるいは社会への悪影響を低減するための政策や対応法には、多様な意見があり見方はまったく一致していない。似通った話題を複数の人と話しているために微妙に冗長な記述もあるものの、単なる個人の意見や抽象的なサマリではなく、さまざまな角度から人工知能に光を投げかけている極めて優れた本だ。

また、インタビューアであるマーティン・フォードの技量も素晴しい。幅広い知識をベースに識者と対等に渡り合い、ほとんどの場合には黒子として意見を聞き出すことに徹しながらも、時には読者の目線で専門用語の説明を求め、時には批判者としてインタビューイが提唱するアプローチの弱点を指摘し、議論に深みを与えている。

汎用人工知能はいつできるのか?

インタビューされている識者たちは多くのトピックについてまったく意見が一致していないものの、1点だけ、「汎用人工知能の実現時期」については、かなり明確なコンセンサスがあるように見える。つまり、ほとんどの識者は、「まったく分からん」という一致した意見を述べているのだ。

著者は、インタビュー対象者全員に「人間レベルのAI、汎用人工知能 (AGI) が50%の確率で実現する時期はいつだと思いますか?」と質問しており、巻末の25章に回答をまとめた章がある。

ほとんどの対象者は、AGI実現時期の明確な予測を避けている。(ちなみに、名前を明かして予測を提示したのはただ2人だけで、レイ・カーツワイルの「2029年」、ロドニー・ブルックスの「2200年」のみ。私が大好きなこの2名が、楽観と悲観の両端に位置しているのは面白い) 23名のうち、AGIの実現時期を述べたのは16名で、平均は2099年である。(上記2名以外は全員匿名での回答)

(注:予測の起点は2018年)

  • 2029 ..........11 年後
  • 2036 ..........18 年後
  • 2038 ..........20 年後
  • 2040 ..........22 年後
  • 2068 (3名) .....50 年後
  • 2080 ..........62 年後
  • 2088 ..........70 年後
  • 2098 (2名) .....80 年後
  • 2118 (3名) .....100 年後
  • 2168 (2名) .....150 年後
  • 2188 ..........170 年後
  • 2200 ..........182 年後

平均:2099年 2018年から81年後
(ちなみに、カーツワイル、ブルックス2名の「外れ値」を除外した場合の平均は、90年後の2108年である)

「平均で2099年という結果は、これまでに行なわれた別の調査と比較するとかなり悲観的である… 他のほとんどの調査では、人間レベルのAIが50%の確率で実現する時期として、2040年から2050年の範囲に集まる結果が得られることが多い。これらの調査のほとんどにはより多くの対象者が含まれており、一部のケースでは、AI研究の分野外の人々が含まれている場合があることを見逃してはならない。」と、著者は指摘する。

インタビューの中では、いわゆる「ディープラーニング派」の研究者はAGIの早期実現について比較的楽観的であり、記号処理的AI・ロボティクスなど、それ以外の分野出身者は悲観的な傾向があるようだ。同様に、学術界に軸足を置く研究者はやや悲観的である一方、産業界のキャリアが長い起業家・技術者は楽観的であるように見える。ただし、いずれの研究者もAGIはそれほどすぐには実現できず、解決すべき問題がまだたくさん残されていると答えていることは印象的だった。AIの楽天家として語られることが多いアンドリュー・ング(1976年生)でさえ、自分の生涯の間にAGIが実現しない可能性はあるかもしれないと語る。


対談をベースにした本のため、文章も短く平易なので、それほど英語が得意でない人も是非原書に挑戦してほしい。名前を知っている研究者のインタビューを拾い読みするだけでもタメになると思う。とはいえ、2018年現在のAI研究の現状を知るための、またトップ研究者たちが何を考えて研究を進めているかを知るための貴重な本であるため、早く翻訳されてほしい。

ミニレビュー:NiZ atom66 キーボード

f:id:liaoyuan:20190211152634j:plain
キーボードとiPad

年末にiPad Proを新調し、ブログなど文章書きの環境を一新するべく Bluetoothキーボードを購入したので、感想を書いてみたい。中国製のNiZ plum ATOM66 というキーボードだ。

(なぜか私が買ったモデルへはAmazonのリンクが貼れなかったので、66キーではなく84キー版にリンクしている。)

ちなみに、これまで私用のデスクトップPCではマジェスタッチの赤軸テンキーレスを使い、また会社の同僚と先輩が使っているHappy Hacking Keyboard (HHKB) ProとRealforce(初代)を試し打ちさせてもらったことがあり、比較対象としてはこの3台となる。

このキーボードの優れた点をいくつか挙げておこう。

1. 静電容量無接点方式でありながら比較的安価であること
このキーボードは、高級キーボードでしか使われていない静電容量無接点方式を使っている。この方式についての説明は別サイトを見てほしいが、機械的接触する部品が少なくなるので耐久性に優れ、非常に打ち心地が良いという利点がある。

ノートパソコンでよく使われるパンタグラフ/メンブレン方式では、打ち始めに一番大きな力が必要で、それを超えると一気に抵抗感が減る。一方で、静電容量方式の場合は、力を加えるとスッとキーが押し下がりリニアに抵抗が増していく特性がある。このおかげであまり指が疲れにくい。長時間タイピングをしていると恩恵がよく感じられる。

価格は約1万5千円弱で、キーボードとしては比較的高価な部類に入るものの、日本製の静電容量方式のキーボードの場合は2万円代からスタートすることを考えると、相対的には安価である。

2. Bluetooth接続ができること
この種のキーボードでBluetooth接続ができるものはかなり限られているが(ほぼHHKB一択)このキーボードはBluetoothで3台までの機器に接続できる。iPadiPhone、会社の貸与PCにペアリングしているが、それぞれの切り替えもスムーズだ。

3. プログラマブルであること
梱包のQRコードのURLから、キー配置を変更するためのソフトウェアがダウンロードでき、これを使うとほぼ全てのキーマッピングを変更できる。私は、CapsLockキーをCtrlキーに置き換えて使っている。ちなみに、このキーマッピングはキーボード側のファームウェアに記録されるため、別の機器に接続しても有効だ。

ただし、やや気になる部分もある。

1. バッテリーが内蔵式で交換不可能
無線接続のための充電池がキーボードに搭載されているが、キーボードの筐体は開けられず、交換はできない。また、USB接続時に充電を止めることもできないようだ。高級キーボードは10年単位で使うものであるため、バッテリーのヘタりは多少気になるところである。ちなみに、私の使い方だと数日から1週間弱で再充電が必要になる。

2. 品質の甘さ
一昔前の中国製製品のような安かろう悪かろうではないし、ネット上の別のレビューにあるような筐体の歪みなども無かったものの、キーキャップのバリの処理が甘い、キャップの色によって高さが微妙に異なる、USBのケーブルが抜き差ししにくいなど、細やかな部分の品質は決して高くないと思う。ただし、タイピングに支障があるレベルではない。あくまでHHKB Proなどの高級キーボードと比較してみると若干気になるという程度だ。

3. タイピング音
打鍵はそれなりに静かである (メカニカルキーボードのようなカチャカチャというクリック音はない)ものの、それなりの音はする。特に、キーを離した後の跳ね返りのプラスチック音は、キーストロークが深いせいもあるのか結構大きな音がする。とはいえ、オフィスや喫茶店で使う分にはほとんど問題にならず、図書館で使う場合は若干気を使わなければならないという程度の音である。

というわけで、気に入って毎日持ち歩いて職場と自宅で使っている。本記事もこのキーボードを使って書いた。

書評:トランプ政権の暴露本決定版、だが…『FEAR 恐怖の男』(ボブ・ウッドワード)

FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実

トランプ政権の内幕を暴露する本は、『炎と怒り』(本サイト書評) など、これまでにも何冊か出版されている。しかし、本書は2018年までのトランプ政権を描き出した書籍としては決定版になるだろうと思う。

『炎と怒り』の著者、マイケル・ウォルフは無名のゴシップライターであり、その情報ソースはスティーブ・バノンにかなり偏っていたと言われる一方で、本書の著者ボブ・ウッドワードは、ニクソン政権のウォーターゲート事件をスクープした伝説的ジャーナリストであり、複数の関係者に綿密な取材を行っている様子がうかがえる。

内容も極めて堅実で、ゴシップ的な政権高官同士の不和だけではなく、トランプ政権の意思決定プロセスがどれほど混乱しているかを丁寧に書き出している。トランプ自身は自分の直感を絶対的に信じている一方で、軍事と経済の主流派・良識派は、必死でトランプを説得し、時には書類の下書きを隠して(!)それをトランプが忘れるのを待つといった滅茶苦茶な方法を取り、何とか政策に一貫性を持たせようとしているのだという。

 

煽情的でもなく、党派的立場に偏らない記述は好感が持てるし、良書であることは間違いなく、アメリカの政治史を語る上で今後数十年間参照され続ける本となるだろうけど、正直なところ、若干読んでいてダレてしまった感は否めない。トランプ劇場も多少食傷気味かもしれない。

合わせて読みたい

過去読んだトランプ関連本で印象に残ったものを紹介。

トランプの前半生と選挙戦を扱った(大統領当選以前の)ものは、『トランプ』(ワシントンポスト取材班)、と『熱狂の王 ドナルド・トランプ』(マイケル・ダントニオ) で詳細に書かれている。

政権高官の目線ではなく、アメリカの行政機関の職員たちが見たトランプ政権の混乱っぷりは、『The Fifth Risk』(マイケル・ルイス) (本サイト書評)が面白かった。

翻訳:インテリゲンチャのたそがれ (ジョン・マイケル・グリア)

以下は、ジョン・マイケル・グリアによる"The Twilight of the Intelligentsia" の翻訳です。

元記事は2018年11月9日、米中間選挙の翌日に公開された。記事冒頭には選挙結果について簡単な論評が書かれているが、訳出にあたっては省略した。

The Twilight of the Intelligentsia

これまでのところの連載では、これら歴史の深淵なるサイクルを理解するための主要なフレームワークとして、オズワルト・シュペングラーの洞察を利用してきた。議論を先に進めるにあたって、読者諸君にはシュペングラーの基本的な概念を心に留めておくよう勧めたい。今週の記事では、けれども、歴史的サイクルの別の学徒を重点的に取り上げたいと思う。シュペングラーの英国人のライバル、アーノルド・トインビーである。彼の膨大な12巻本『歴史の研究』において、トインビーはシュペングラーの比較文明論的な方法論を取り上げ、彼が収集できた充分な量のデータをもとに、あらゆる文明に対して百科事典的なスコープでその方法論を適用したのである。

トインビーの研究から派生した理論は、全体として、私にはシュペングラーよりも説得力が高くないように見える。けれども、当時彼はこの問題に対してシュペングラーよりもはるかに大きな個人的利害を持っていたのだ。シュペングラーは高校教師として平穏に生計を立てており、博識家としての研究生活を意図的な曖昧さの中で追求していたのに対して、トインビーは英国支配カーストの一員であり、政府と密接な関係を築いていた名高い非営利団体の秘書として働き、彼の歴史研究はイギリスとアメリカのエリート集団の支援のもとで行なわれた。シュペングラーは、イギリスは衰えつつあるアテネであり、それを覆い隠すローマはニューヨークかベルリンに位置する可能性が最も高いだろうと冷静に観察していた; トインビーは、あまりに無慈悲な明晰さから逃げ出し、シュペングラーが先へと進み (これまでのところ最も成功した) 予測を立てたまさにその地点から、ごまかしへと撤退していったのだ。

細かなディテールについて言えば、けれども、トインビーは正確であり、それゆえ多くの点において有用である。彼はシュペングラーが擬形態と呼んだ現象 --新興文化が、旧来のより権威のある文化の政治、経済、宗教および社会的な形態を取り入れることによるプロセス-- について記している。そしてそれを詳細に調べ、ありとあらゆる場所と時間での文明間の遭遇について精査したのである。このプロセスについてトインビーが強調したことの一つに、そのような文化間の遭遇で知識人インテリゲンチャが果たす役割があった。

ところで、「インテリゲンチャ」は元々はロシア語の単語であるが、この語が作られたのは--多数の言語における多くの語の起源と同じく--ある言語の単語を借用し、その語に別の言語の文法的接尾辞をくっ付けたものである。[intelligentsiaはラテン語に起源を持つロシア語の単語で、そこから英語に借用された] これはインテリゲンチャが出現するプロセスとだいたい同じものである。インテリゲンチャとは、トインビーの用語では、ある文化に属していながらも別の文化の考え方、習慣と実践によって教育を受けた者たちである。

それは第一の文化が第二の文化によって征服され、新たな大君主オーバーロードが自身の文化的形態を新たな領域へと課すことによって起こるかもしれない; それは、第一の文化のエリート階級が、第二の文化に支配された世界で競争するために、第二の文化の考え方や習慣を最大限に取り入れた場合にも起こりえるかもしれない。最初のカテゴリの事例としては、19世紀全体を通してヨーロッパの植民地帝国によって採用された地元の教師や下級官吏を想像してほしい; 2番目のカテゴリの事例としては、民主的な議会を持ち、首都に高層ビルを建築し、エリート階級はビジネススーツとネクタイで身を包んだ今日の第三世界の諸国を想像してほしい。

インテリゲンチャは擬形態の歩兵である。彼らの任務は、外国文化の形態を自分自身で受け入れ、また自らがその一員である社会のメンバーに対しても、説得を通してであれ強制であれ、それを課すことである。このプロセスをどの程度まで浸透させられるかには、必然的に厳しい制約が存在する。そこには常に反発がある。インテリゲンチャは常にかなりの少数派であるために、反発を単に無視することはできない。それが植民地社会の標準的パターンである。コスモポリタンなエリート階級 (外国人であれ自国出身であれ)、自身は絶対に得られないコスモポリタンのステータスを熱望する地元のインテリゲンチャ、そしてインテリゲンチャと彼らが推進する外国文化に対して鬱屈した敵意を持つ、莫大な、疲労した労働者階級である。

インテリゲンチャの地位には、どれほど特権的であろうとも苦い欠点がある。一方では、インテリゲンチャは、既に述べた通りの莫大で疲労した労働者階級のメンバーから憎まれ嫌われている。他方では、彼らが入念に模倣する外国人エリートからの承認を得ることは決してできない。魚も鳥も上等の赤身肉であれ、インテリゲンチャは文化間のギャップに囚われている。植民地社会の世界観の限界の中では、彼らの苦境から脱出するすべはない。彼らが取り入れた外国文化へと大衆を改宗させることもできないし、一方では、外国文化に属する人々から完全に受け入れられることもない。

インテリゲンチャを苦境から逃れさせる要因は、むしろ、まさに彼らが最も恐れることによるものである。最初に、個人的な失敗がある。数カ月前に私が記した通り、成熟した社会の教育制度は、社会が吸収できるよりもはるかに多くの人々を管理的地位に向けて教育することが一般的である。我々が議論しているような社会では、インテリゲンチャの数は、必然的に教員、下級官吏、その他類似の地位への求職マーケットが求める数よりも増大する。その結果は、単なるダイナマイトよりもはるかに危険な爆発物である: 自分自身の立場を理解し、既存体制に敵対する反対勢力の組織に必要となるあらゆるスキルを訓練された後で、その体制から打ち捨てられた教育あるアンダークラスである。

そして、2つ目の要素がある。つまり、いかなる支配的文化であれ永遠に支配を保つことはできないということだ。いずれにせよ、政治的権力と文化的カリスマの満潮の後には、いつも海へと帰る潮流が続く。支配的文化がその優勢を失うにつれて、インテリゲンチャはもはや取引のための唯一の株式の市場を持たなくなり、労働者階級からの反発は力を増していく。

そこで最初に起こることは、インテリゲンチャとしての訓練を受けたものの、準備をしてきた仕事へと踏み込むことができなかった人々で構成された教育あるアンダークラスの人間が、労働者階級と共通の大義を打ち立てることである。第三世界のヨーロッパ植民地の夜明けの年を見れば、そのダイナミクスが働いていることが分かるだろう。ものごとを推し進めて壁を乗り越えて急速な変化を起こすのは、アンダークラスに属してはいないインテリゲンチャのメンバーである。植民地体制のもとで良い職業と特権的な地位を得て、何が起きているのかに気付き、自身の選択肢を見極めて、アンダークラスと大衆の側に付いた人々である。おそらく読者もモハンダス・K・ガンジーという名の男のことを聞いたことがあるだろう; 彼について書かれた優れた伝記の最初半分を読めば、10フィートもの高さに達する手紙に書かれたそのダイナミクスを見られるだろう。

それではここで私が数週間追求してきたテーマに戻ろう。北米とロシアは未だに、文化的に言えばヨーロッパの植民地である; 両国のエリート階級は、第三世界諸国のエリート階級と同じく、裕福なヨーロッパ諸国の流行と習慣を熱心に猿真似している; どちらの国の主要都市の建築物、都市エリート層が熱心に消費する芸術形式、展示された衣服のスタイルさえも、すべてがヨーロッパの発明である。それは文化的植民地の道筋と同等であり、同じことをシュペングラーの用語で言うならば、支配的文化からの擬形態の影響下にある社会である。

およそ1世紀前にヨーロッパエリートの手から政治的権力が滑り落ちているとしても、実際には大差はない。ヨーロッパのエリートと彼らの国家は、真に重要な国家の支配者に対して2番目の細工を行うことができる。同じことは、二千年以上も昔、ギリシアがローマの支配下に下った時にも発生した。ローマの貴族 パトリキたちは依然として合争ってギリシア文化の知識をひけらかし、自身のヴィラをギリシアで購入した彫像で飾ったのだ。かつてアメリカ人のミリオネアたちが、今日ピッツバーグオマハの美術館を飾るヨーロッパの絵画を購入していたように。旧社会の文化的カリスマ性は、特権的エリートと、そのエリートの意によって雇われクビにされるインテリゲンチャ階層に留まり続ける。

私はロシアに住んだことはない。私のロシア文化への接触はほとんどが死者たちによって書かれた文学作品によるものであるため、個人的な経験からは、この植民地の社会構造がロシアで発生していることにどれほど正確に合致しているかを述べることはできない。アメリカでは、その一方で、これまでの私の生涯においてさまざまな地域に居住した経験を活用でき、その一致は正確である。アメリカ社会にも独自のコスモポリタンなエリート階級が存在しており、衰退段階に入ったあらゆる帝国で一般的な通り、贅沢さの馬鹿げた顕示に耽溺している; アメリカ社会にも独自のインテリゲンチャが存在している。上位の階級からの排除について苦悩し、下位の階級には、自身の唯一の取引材料であるヨーロッパの考え方と習慣を取り入れるように説得することもできないというありふれた束縛に囚われている。

アメリカのインテリゲンチャについて注目に値するのは、彼らがアメリカ人インテリゲンチャである限り、明確にヨーロッパの擬形態に執着し続けていることだろう。夢想の対象となる焦点は歴史の流れに従い移り変わっていくことは確かである; 植民地時代から20世紀初期には、インテリゲンチャのメンバーは英国を猿真似していた; 20世紀最初の2/3かそこらの間は、フランスがそのような執着の対象となった - 特にここで私が考えているのは、英国の作家サマセット・モームが小説『剃刀の刃』の中で述べた、 フランスは良きアメリカ人が死後に向かう場所であるという容赦ない皮肉なコメントである。

今日では、ふつうスカンジナビア諸国がそのモデルを提供している。つまり、アメリカのインテリゲンチャのメンバーが意識的または無意識的に、アメリカ合衆国がそうなるべきであると望む夢想のモデルである。(参考までに、それはスカンジナビア人の私の友人たちが困惑を覚える習慣である。) 数年前の本、マイケル・ブースによる『The Almost Nearly Perfect People: Behind the Myth of the Scandinavian Utopia』は、英語話者の国々で北欧諸国が理想化される傾向に対して、読者の誤解を解こうとするものであった; 私が知る限りでは、目的はあまり果たされていないようだ。また、もしそれがうまくいったとしても、その本が狙った対象の読者たちは、単に別のヨーロッパの国を見つけてそれを理想化し続けるだろう。

アメリカでは、アメリカ人ではないというフリをすること、自分自身の文化的・民族的なバックグラウンドへの教養ある軽蔑を示すことが、インテリゲンチャの自己認識の本質である。それが、インテリゲンチャが「アイツら [those people]」、つまり彼らが強く軽蔑するアメリカ人の大衆に属していないことを証明する方法である。(私は年を取っているので、中流・中上流階級の白人による「アイツら」という語が、同じ声のトーンで唇をつり上げて発せられるとき、それは有色人種の人々を指していたということを覚えている; 今ではその語が白人労働者階級の人々を意味するようになったという事実は、現在の特権階級の間で、階級的偏見が人種的偏見に取って代わったということの有力な証言である。)

けれども、アメリカ人インテリゲンチャによるアメリカ合衆国をヨーロッパ化せんとする望み薄の挑戦が直面する困難は、そのような不毛な試みが普通に相対する要因を超えている。きわめて重要な点として、ヨーロッパ文明のイデオロギー的な中心には、あらゆる人類の歴史はヨーロッパへの序曲であるという確信がある; 現在のヨーロッパの姿が、他のあらゆる社会が必然的に向かう行き先なのだ; ただヨーロッパのみが現代的であり、ヨーロッパをその細部に至るまで模倣していない社会は遅れており、未来の最先端にキャッチアップする必要がある、そしてその最先端とは (もう一度言えば) ヨーロッパなのだ。これを信じることは非常に心地良いことは確かだが、けれどもそれは真実ではない。

「ヨーロッパ」と「現代的」を同一視し、他すべてを概念上の過去と見なす混乱の蔓延は、現在を理解する上での巨大な障壁となっている。ヨーロッパが今の姿であるのは、そして今存在する習慣を備えているのは、過去数千年の極めて特異な歴史による膨大な遺産があるからだ。そのような歴史の無いところでは、ヨーロッパ文化の形態は、非常に異なる基盤を覆う薄い化粧板でしかなく、深い根を張っている兆候を示していない。そのような考え方を否定することが、アメリカのインテリゲンチャの世界観と自己認識の本質である。なぜならば、彼らの世界は、いつの日かアーカンザスが今日のボストンの態度の文化的習慣を持つようになるという確信の周りを回っているからだ。どの時代でも、確かにボストンはヨーロッパの都市と区別できないかもしれない。あるいは、より正確に言えば、アメリカ人インテリゲンチャの集合的イマジネーションの中でのあるべきヨーロッパの都市のファンタジーと区別できない。

ここで当然、ヨーロッパの都市は、スカンジナビアの都市でさえ、たった今示したファンタジーとの共通点を持っていない。ヨーロッパも現在、独自の困難なトランジションを迎えている。それを駆動するのは、過去の記事で見た通りの衝突である --シュペングラーが議論している通り、民主制を装ったエリート主義的な寡頭制と、大衆の支持を受けたポピュリスト的な君主制の間の不可避の闘争である。(少しだけネタバレしても良いだろうか? 長期的には、この闘争でエリート寡頭制の側が勝利する見込みはない。) けれども、それ以外の要因もある。前回の記事で議論したものである: 定義は難しいが無視することは危険な、文化とそれが生じた広い地域を結び付ける普遍的なリンクである。

ここアメリカ合衆国では、大西洋海岸沿い地域の古い沿岸入植地のような工業化以前のヨーロッパ世界の一部である地域と、ヨーロッパの文化的発展が完了するまで (シュペングラーの考えでは1800年ごろに起こった) 手付かずで残された広大な内陸部との間にある差異を捉えることは難しくない。[1970年代のロックバンド] イーグルスが当時歌っていた通り、[ロード・アイランド州] プロビデンスには「旧世界の影が空中に重く垂れ込めている」のだ。今日のプロビデンスの通りを歩けば、そこでははっきりとした半ヨーロッパ的雰囲気を味わえるだろう。20世紀の都市再開発による破壊を逃れたランカスター、ペンシルヴァニアなどの古い町並みでは、より強くその雰囲気を感じられる。

西へと進んで山脈へ至りそこを超えると、そのような雰囲気は完全に消える。それを置き換えるのは、何らかの未だ素[す]の、未完成の感覚であり、ショッピングモールと分譲住宅地の下をうごめく暗く静かな土壌である。何らかの成就へ向けて不器用に到達しようとしているものの、その成就の形は未だ明確になっていない。それが作家と詩人たちがアメリカ内陸部で何世紀もの間感じてきた感覚だ。フロンティア拡大の時期には、この感覚はヨーロッパアメリカ人の入植の広大な可能性への自覚として理解 (あるいは、私の考えでは誤解) されていた; 後のアメリカ帝国の全盛期には、ヨーロッパ化した世界に平和をもたらす普遍国家としてのアングロ-アメリカ帝国を夢見る集合的白昼夢と混ざり合った。

フロンティアは1世紀と四半世紀前に閉ざされ、私がこれを書いている間にも世界の大部分でアメリカ合衆国の一時的ヘゲモニーは終わりを迎えつつある。しかし、アメリカの大地のさまざまな場所を歩く間に、私は同じ胎動を感じられた。アーネスト・トンプソン・シートンがエッセイの中で生き生きと描写した「バッファローの風」、ロビンソン・ジェファーズが詩の中で力強くうたった未来をはらんだ土地の感覚。私はヴォルガ川の川沿いを歩く機会に恵まれず、土と風のなかに何らかの類似の蠢きが、異なる大文化の表現へと至る予感が感じられるのかは分からないが、しかしきっとそこに存在するだろうと私は確信している。

我々がアメリカ合衆国で今現在目撃している政治的けいれんは、ヨーロッパの擬形態が揺さぶられることによるプロセスの一部である。我々のインテリゲンチャの大多数がこれに酷くショックを受けているのは驚きではない。けれども、なぜあれほどの多数のインテリゲンチャが、甘やかされた2歳児のような終わりなき癇癪が意味あるまたは効果的な反応だと考えているのかは、私にはよく分からない。(今日、前衛的なサークル内で、感情を表現する演技が流行しているからではないかと思う。) この先の何年かにも、彼らには金切り声を上げる機会がたくさんあるだろう、またお祝いの機会もあるだろう; 我々が議論しているプロセスは、数年、あるいは一人の生涯の間にさえ達成されるものではない。けれども、歴史的な根拠から判断すれば、通常のタイムスケールとごく近いうちに、通常通りのやり方で演じられるだろう。

我々は、死と難産のインターバルを生きている。この先の記事で、そのインターバルの残りの期間がどのように進んでいくのかについて話そう。